第733話
翌早朝、森の中。
イザベルが野営地前で荷物の確認中。
既に野生馬の位置は分かっているので、今回は少し軽い。
それでも途中泊。寝袋など大きな物があるので、やはり背負子を背負う。
軽く枝を払いながら進み、少し道も広げておきたい。
むん、と荷物を背負って、気合を入れる。
「ふふふ」
新しく馬を連れて帰ったら、マサヒデ様がどれほど喜ぶであろう!
にやにやしながら、朝日に煌めく川を渡り、対岸の森に入って行く。
尾が左右に振られている。
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魔術師協会。
「ご主人様は宜しいのですか」
「楽しみは後に取っておくんです」
マツ、クレール、シズクは朝餉を済ませてすぐに出て行った。
四半刻もせずに建物が作られていることだろう。
その後は大量の木材が奥の森から運ばれて来る。
木材が切られ、シズクが腕力に物を言わせ、どすどすと柵を作っていく。
「工事なんて、どうせ今日一日で終わりますよ」
「ふふ。そうですね」
「牧場は皆さんが帰ってきたら見に行きましょう。
それより、私はたたら御三家が気になります」
「あの製鉄の。何か気に掛かる事でも」
「ええ。イザベルさんは、御三家からお返事を頂いてからお父上に報告すると言っていましたが、これって事後承諾になりませんかね。先に一言は相談した方が良かったのではないか、と思って」
「ああ」
マサヒデが腕を組んで、
「マツさんも出かけてますし、私から報せておきましょうか。
キホに早馬を出して何日も経ちますが、報せないよりはましでしょう」
「そうですね。目付けをファッテンベルクから出すとなったら、先に人選も済ませておいた方が良いかとも思います」
「ところで、カオルさんはあの通信機の使い方、分かります?」
「いえ」
「ううむ・・・私も分からない。しまった、私達では報せられませんか」
「ギルドの通信機をお借りしては?」
「ああ、そうしますか」
あ、とカオルが小さく声を上げ、
「そういえば、牧場の事は報せられておりましたか?」
「あ・・・そう言えば、それも報せてないですよね。
マツさんかクレールさんが報せてくれてますかね?
商売の事になりますし、騎乗技術者の方も早く出してもらわないと」
「商売」
カオルが腕を組んで、首を傾げる。
「ハワード家、ファッテンベルク家には商売になると思いますが、奥方様とクレール様にはどうでしょう。お小遣い稼ぎ程度では?」
「む! 確かに!」
「ううん・・・ハワード家にとってもどうでしょうか・・・
どちらかと言えば、家よりもハワード様の個人的な商売になるのでは。
やはりお小遣い稼ぎですね」
「ええ? アルマダさんの家も、そんなにお金持ちなんですか?」
「お家にはお報せは送られていると思いますが・・・
そうですね。やはり、ハワード家の財政を変える程ではないと思います」
「あんなに目の色を変えていましたけど」
「そういえばそうでしたね・・・確かに大きな商売ではありますが・・・
ご実家の財政をそこまで把握しておられないのでしょうか?
当然ですが、道場暮らしで領地経営には参加しておられないでしょうし」
「アルマダさんの家の領地って、どのくらいあるんです」
「おおよそ、80万石です」
「ええっ!?」
80万石。小国よりも大きいではないか。
「実収は80万石を遥かに超えます。
小国など相手にならない収入が入っております」
「アルマダさんのご先祖様って、昔大活躍した武将だったとかですか?」
「いえ。魔の国との戦争中に、土地売買で大きくなったのです」
「土地売買ですか?」
カオルが頷いて、
「ご主人様、戦となれば、まず貴族が兵を出さねばなりませんね」
「ええ」
「魔の国との戦争は長く、困窮した貴族が多く出たのです。
そこで彼らが手放した土地をハワード家が買い取り、援助していたのです。
ハワード家は前線から遥か遠く。後方の財政支援のようなものですね」
「それで大きくなったんですか」
「はい。そして、戦争が終わったらいつの間にか・・・という訳です。
戦争中の領地は、広さだけなら100万石を軽く超えていたようですね。
戦後、元の貴族に返還したり、石高以下の領地を売るなどして整理。
そして、現在の80万石となりました」
マサヒデが首を振りながら、
「ちょっと待って下さい。では、それではですよ。
アルマダさんって、そこそこの国の王子くらいの貴族って事なんですか?」
「はい」
目の前がくらくらしてきた。
今までずっと一緒に稽古をしてきた友人が、そんな貴族であったとは。
「ご主人様?」
「すみません、目眩がしてきました。私、そんな貴族の友人だったんですか」
カオルがくすっと笑って、
「今更何をおっしゃいますやら。ご主人様は、魔王様の義理の息子ですよ。
願えば、ハワード家よりも大きな領地を頂けましょう」
「いりませんよ、領地なんて・・・」
「ふふふ。お茶を淹れて来ましょう」
「お願いします」
おおよそ80万石・・・
この国が420万石だから、5分の1くらいはアルマダの家が握っているのか。
まさか、ハワード家とはそれほどの家であったとは。
少しは貴族の事を知っておいた方が良いかもしれない。
カゲミツは「結構大きな貴族」としか言っていなかったから、まさかそんなに大きな貴族だなどと想像もしていなかった。
そう言えば、初めてここのギルドに行った時「あのハワード家の」と言われていたが、そういう事だったのか。
眉を寄せて庭を見ていると、カオルが戻って来て湯呑を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
出された茶をぐぐっと飲み干すと、カオルが湯呑を手で抱えながら、
「ご主人様、ハワード様の家は国政には参加しておりませんし、要は大商人と同じような感じです。ハワード様も、何もなければ当主とはなりませんでしょうし、それほど肩肘を張らずに」
マサヒデが苦笑して、
「いや、別に態度を変えるつもりはありませんよ。出来ないでしょうし」
カオルも小さく笑いながら、空になったマサヒデの湯呑に茶を注ぐ。
「興味で聞くんですけど、レイシクランってどのくらいあるんです」
「ふふふ」
カオルがにやにや笑って、茶を一口飲み、
「クレール様の家だけで、700万石です」
「はっ!?」
「分家も入れますと、一族全てでおおよそ3000万石になりましょうか」
「・・・」
「クレール様が本来は国賓待遇にされるというのも、納得されましたか」
「・・・」
「ふふ。この国よりも大きな領地と収入を持つ家。
引っ張りだこの高額ワインと領地一杯の大農園。収入は倍かそれ以上か。
文字通り、魔の国の食はレイシクランが握っております。
それがクレール様のご実家、フォン=レイシクランです」
「・・・」
言葉も出ない。
700万石。この国より遥かに多いではないか。
分家を入れると3000万石以上?
レイシクラン一族の家だけで、この国の7つ分以上あるのか?
「ご主人様は、嫁に恵まれておりますね」
「え、ええ・・・」
背中や脇の下を、変な汗が垂れていく。
マサヒデが湯呑の茶を見つめながら黙ってしまうと、
「ふふ。ご主人様、どうぞ」
カオルが懐紙を差し出した。
は! と顔を上げると、カオルが微笑みながら、
「額に汗が浮いております」
そーっと湯呑を置いて、カオルの手から懐紙を受け取り、ぺたぺたと額の汗を拭く。くしゃっと丸めて裾に入れ、
「ふう・・・魔の国の1、2の貴族って、そういう貴族なんですね」
「はい。ご当主の一言で、世界の経済を変えられる程の力を持っております」
「世界の」
こく、とマサヒデの喉が小さく鳴る。
固くなったマサヒデの顔を見て、くすっとカオルが笑い、
「ふふふ。あまりクレール様を無下にされませぬよう。
ご主人様の一言で、人の国の危機に陥る事もございますゆえ」
「無下になんてしませんよ」
「それと、ファッテンベルクは、おおよそ10万石」
「ええ!? 10万石!? 貧乏貴族だなんて言ってましたけど、すごく大きいではありませんか!」
カオルが首を振り、
「広さだけです。領地は荒れ地ばかりで、実収は半分もありません。
山林も少なく、かと言って砂漠地域のように鉱物や地下資源もなく・・・
農作も難しい土地で、食事も輸入が多いです。
一所に根付く者はほとんどおらず、領民は遊牧民が大半を占めております。
魔獣もよく出る地域で、常に兵が領内を走り回っております。
収入のほとんどはそれらの兵や支援金で出ていき、かつかつの生活です」
「ううむ・・・そうなんですか。厳しい所なんですね」
「此度の製鉄や牧場経営のお話は、必ずやファッテンベルクの大きな助けになりましょう。ご主人様は良い事をなさいました」
マサヒデが苦笑いをして、
「お小遣い程度でしょうに」
カオルも笑って、
「ふふふ。あのお三方の『お小遣い』は、我らとは桁がいくつも違うのです」
「ははは! いや、全くですね!」