第732話
夕刻。
1日中、町中を走り回って依頼をこなしたイザベルが魔術師協会に・・・
「何をしておられます!」
「はっ!」
目隠しをしたクレールが、大声を出したイザベルの方を向いた。
クレールの向こう側には、抜身を持ったカオルが立っている。
カオルの小太刀がきらりと西日を反射して、イザベルの目を刺す。
切先は真っ直ぐクレールの顔。
「イザベルさーん!」
クレールは目隠しをしたままイザベルの方にぶんぶん手を振って、
「見てて下さい! 私、勘が鋭くなったんです! カオルさん!」
「は」
クレールがカオルの方を向くと、カオルが切先を向けたまま歩いて行く。
小太刀が触れるより前に、すうっとクレールが横に動く。
「何っ!?」
驚いてイザベルが声を上げると、縁側から拍手が上がった。
「お見事ー!」
シズクの大きな声。
ぱっとクレールが目隠しを取って、にっこり笑ってイザベルに顔を向ける。
「どうですか!」
「な、何故・・・」
驚きながら庭に入ってくるイザベルを見て、カオルがにやりと笑う。
抜き身を持っているせいか笑顔に迫力があるが、殺気は微塵も感じない。
「クレール様には、勘を鋭くする稽古を受けて頂きました。
もう目を瞑っていても避けられます」
「勘を・・・いつから、いつからそのような稽古を」
「つい先程です。四半刻ほど前でしたか」
「ですね!」
カオルとクレールが笑顔を合わせる。
イザベルが驚いて、
「馬鹿な! たった四半刻で! 殺気も感じられなかったのに!」
「ふふふ」
カオルとクレールがにやにやして、イザベルを見ている。
は、と縁側の方を見ると、皆が並んで座り、驚くイザベルを見ている。
マサヒデが笑いながら、
「カオルさん。イザベルさんにも一度やってもらえば」
「イザベル様には必要もないと思いますが」
カオルが笑いながら答える。
む、とイザベルが少し眉を寄せる。
「カオル殿、私には出来る訳がない、と」
「イザベル様、誤解をされております。
森で暮らしておられますから、この程度には研ぎ澄まされております。
ですので、必要などございません」
「まさか! それは買い被りも過ぎます」
目を瞑り、殺気もない相手の攻撃をどう避けるのか。
達人と呼ばれる者でも、中々出来る芸当ではないはずだ。
ましてや自分程度の者が出来るものか。
カオルがマサヒデの方を見ると、マサヒデが少し肩をすくめた。
クレールがイザベルの手を取って、目隠しを渡す。
「楽しいですよ! さあ、イザベルさんも!」
「楽しい? 楽しいのですか?」
「はい!」
真剣を向けられて・・・楽しい?
イザベルが困惑した顔をカオルに向けると、
「ささ、イザベル様、私の前に。まだ目隠しはせず」
「は・・・」
手招きされるまま、カオルの前に立つ。
「念の為に申しておきますが、この刀、本物です」
ひら、とカオルが懐から懐紙を1枚投げて、すぱ! と宙で斬る。
これは中々出来る技ではないが・・・
「この通り。稽古用の物ではなく、私の得物」
「う、ううむ・・・お見事でございます」
「ふふ。ありがとうございます。
しかし、これは私の腕ではなく、得物の良さです」
カオルが笑って1歩下がり、
「さ、目隠しなど必要もないでしょう。目を瞑って下さいませ。
機を見て私が歩いて行きますから、来たと感じたら避けて下さい」
「カオル殿、冗談が過ぎます」
「ふふふ。私の足は、イザベル様でも耳も鼻にも引っ掛かりませんよ。
さあ、目を瞑って下さい。刺さっても皮一枚で止めますから」
す、とカオルが切先をイザベルに向ける。
殺気はないが、これだけでも危険を感じる。
「さあ、騙されたと思って。私はこのまま真っ直ぐ前に行きます。
横に1歩だけで避けられますから」
「ううむ・・・」
イザベルが目を閉じる。
数秒して、カオルが足を上げた瞬間、すうとイザベルが横に出る。
「おっ!」「すげえ!」
マサヒデとシズクの声。
ぱちぱちと拍手の音。
イザベルが目を開くと、足を上げたままのカオルが前にいる。
カオルが自分の足を指差して、
「この通り。足を踏み出そうとしただけで、イザベル様は避けられました」
イザベルが我が身に起こった事を信じられないように、口を開ける。
「・・・」
「音はしましたか?」
「いえ、全く・・・」
「ふふ。しかし、分かりましたね。やはり、勘が鋭くなっております。
皆様は歩き始めてから避けられましたのに、イザベル様は私が足を上げただけで。
確認の為、もう一度やってみましょう。次は後ろから」
「後ろですか!?」
「はい。さあ、後ろを向いて下さい」
カオルがイザベルの肩に手を置いて、くるりと背中をこちらに向けて、
「では、合図をしたら目を瞑って下さい」
「は」
カオルが普通に下がって、足音を消して歩いて行く。
足音も気配もしない。見事なものだ。
いくら稽古とはいえこれは・・・
「あっ!」
ぱ! とイザベルが振り返ると、縁側の皆が拍手を上げる。
カオルがにっこり笑って、
「ふふふ。気付かれましたね。冴えておられます」
「あ、合図は!?」
「しませんでしたが、ほら、ご覧の通り。分かりましたでしょう」
「な、な・・・むう」
すっとカオルが小太刀を納めて、
「言った通り、イザベル様には既に勘が鋭く磨かれておられますので、このような稽古など必要もないと言う訳です」
「ううむ・・・カオル殿、信じられません」
「山や森で過ごしておられれば、勝手に磨かれていくものです。
しかし、ここまで見事に磨かれるとは、私も思いも寄りませんでした。
やはり獣人族の勘は素晴らしいものがあります」
マサヒデが拍手を止めて、イザベルに笑顔を向け、
「さ、イザベルさんもこちらに。カオルさんも。
そろそろ稽古は終わりましょう」
と、ぽんぽん、と縁側に手の平を置く。
「は!」「は」
2人が頭を下げ、縁側に座ると、マツが茶を差し出し、
「良い稽古になりましたか」
「は!」
イザベルが隣のカオルに顔を向けて、
「カオル殿、ありがとうございました」
と、頭を下げた。
カオルがにっこり笑って、
「今のは稽古ではございません。ただ確認しただけ。礼など必要ありません。
時にイザベル様、本日は走り回っておられたようですが、明日から」
「は。馬を捕まえに行きたく思いますが、マサヒデ様、宜しいでしょうか」
マサヒデがにっこり笑って、
「ふふふ。また寂しくなりますね」
「えっ! では行きません!」
「ははは! そこは「申し訳ありませんが」とか言って、行って下さいよ!
私達も楽しみにしてるんです」
「ははっ! 必ずやご期待に添える馬を揃えます!」
「15頭でしたね。どのくらい掛かりますか」
イザベルが指を繰りながら、
「行き帰りに2日、1度に持って帰る事が出来るのは・・・多くても3頭。
最短でも10日掛かります。2週間程、見て頂けますと。
勿論、途中何もなければですが」
「最初は、明日行って、明後日に帰りですか」
「は」
マサヒデがマツに顔を向け、
「もう場所は決まっているんですよね」
「はい」
マツが頷く。
「じゃあ、厩舎と柵だけでも急いで立てておきませんと。
後で建て直すにしても、仮に馬を入れておく場所がないといけません」
「あ、そうでした。では、明日のうちに仮の厩舎を建てておきましょう」
マサヒデが腕を組んで上を見上げ、
「餌、15頭もいると、さすがに生えている草ではすぐに無くなりますよね。
飼葉なんかも、馬屋さんに急いで揃えておいてもらいましょう。
すぐに15頭揃うと言う訳でもありませんが、今のうちに」
「そうですね。では、飼葉を入れておく倉庫なんかも適当に建てておきます」
「お願いします。いやあ、楽しみだなあ」
マサヒデが上を向いたままにやにやしている。
きっと満足頂ける馬を揃えてみせる!
ぐ! とイザベルが膝の上で拳を握った。