第730話
冒険者ギルド、食堂。
稽古を終えた、マサヒデ、カオル、シズクが飯を食いながら、
「カオルさん」
「は」
「丹田の稽古法って、さっき指導してましたよね」
「はい」
「他にもあるんですか?」
「まあ、色々あります」
「例えばどんなものが」
カオルが米の椀を置いて、
「この椀のように、バケツの中に砂利を入れまして」
「砂利ですか」
カオルが箸を突き刺し、
「このように指を突っ込みます」
「ええ!?」
マサヒデは驚いたが、シズクは何ともない顔をしている。
鬼族なら、釘の中に手を突っ込んでも平気そうだ。
「それって、手の・・・指の、鍛錬みたいな?」
「まあそうです。ただ、この稽古をしておりますと、痛いです」
「そうでしょう!? 痛いでしょう!?」
「痛みに耐えておりますと、自然と丹田に力が入るのです」
「・・・」
「痛みに耐えるという事をしておりますと、丹田が鍛えられてきます。
当然ですが、指の部位鍛錬にもなるのです。少々失礼致します」
カオルが隣のマサヒデの顔の前に手を持っていき、左右のこめかみを掴むようにして、指を立てる。
「このように」
ぎ! と指が締まって、
「いででで!」
ぱ、とカオルが手を離すと、シズクがげらげら笑い出した。
「あははは! カオル、ひっでー!」
「つー・・・すうー・・・」
マサヒデが顔を歪めて、左手でこめかみをさする。
「カオルさん、凄い握力じゃないですか!」
「握力自体はそれほどないかと。これは指先です。
手で掴んで登ったり降りたりとか・・・まあ、色々と便利です」
「ふうー・・・色々便利ですか。他にはどんな稽古法とかがあるんです」
カオルが口に手を当てて考える。
簡単なものなら、教えても良いだろう。
「例えば、1尺くらいの鉄の棒で、自分を叩いたりします」
「・・・それ、どんな効果があるんです」
「これも痛みに耐える稽古です。斬られたり、叩かれたり、任務中にどこかしら怪我をするような危険もありますが、そこで声を出さないように」
シズクが顔を歪めて、
「うへえ! 鉄の棒は私でも痛いなあ」
「骨が折れない程度で力加減は致しますから」
「それはやりたくないですね」
「勘を鍛える稽古もございます」
「ほう! 勘をですか。それは聞きたいですね」
「後で、庭でやってみましょう。至極簡単な稽古ですので。
失敗しなければ、痛い事もございません」
マサヒデが不安そうな顔で、
「失敗しなければ、と言う所に、凄く不安を感じるんですが」
「平気だと思います。シズクさんはやる必要はないですね」
「え、なんで?」
「元々、野生の動物のように勘がありますから。
まあ、稽古を見ていて下さい。きっと驚きますよ」
カオルがにやりと笑って、
「たった1日で、凄く勘が磨かれます」
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魔術師協会、庭。
マサヒデとカオルが向かい合う。
マサヒデは素手。腰の物も刀架に掛けてある。
カオルが手にする小太刀、イエヨシが光る。
面白い物を見られると聞いて、マツ達が縁側に並んでいる。
「それではご主人様。勘を研ぎ澄ます稽古を始めます」
「無手と、得物相手という立ち会い稽古ですか?」
「いえ、違います。まず、私がこのように」
すう、とカオルが片手で小太刀を上げる。
切先は真っ直ぐにマサヒデに向けられている。
「と、構えております。危険です」
「いや、それは危険ですね。こちらは無手ですし」
「この距離までなら、という所まで詰めて下さいませ。
これ以上詰めては危険という所まで」
マサヒデが首を傾げなら、すたすたと歩き、
「ええと・・・ここら辺りですかね」
カオルの間合いの1歩外。
「目ではなく、肌で感じて下さい。何となく危険だ、という所。
少し離れて、改めてじりじりと近寄り、これ以上は行けないという所まで」
「ええ? ううむ」
1歩離れて、すり足で指の先程ずつ、じり、じり、と足を前に出して行く。
じりじりと、入り、離れ、入り、離れ、と繰り返し、
「このくらい、でしょうか・・・何となく」
先程よりも、半歩くらい離れている。
「宜しいかと。では、目を瞑って下さいませ」
「ええ? ちょっと」
まさか、斬りかかってくるのか?
それを、目を瞑って避けろと言うのか?
「ご安心下さい。私はそっと歩き出します。斬ったりは致しません。
但し、何か嫌な感じがする、何か危険だと感じたら、避けて下さいませ。
刺さりそうになったら、しかと引きますゆえ」
「本当ですか?」
「しかと。皮一枚で」
皮一枚は刺されるのか。
下手に動くと大出血だ。
「このくらいの速度で歩きますから」
す、す、す、とカオルが歩いて来る。
確かに遅い。
この速さなら、服に当たった瞬間にさっと避ければ大丈夫だろう・・・
と、思った瞬間、ぱ! とカオルが元の位置に戻る。
流石に速い。
「もう一度、1歩下がって、危なそうだな、と感じるぎりぎり手前に」
「はい」
にじにじ、と足の指で地を掴みながら、少しずつ進み、
「やはり、この辺り、ですかね」
「結構です。では、目を瞑って頂きまして」
「はい」
マサヒデが目を瞑る。
「私が機を見て歩き出します。避けて下さいませ」
「ええ? 教えてくれないんですか?」
「はい。では、参ります。目をしかと瞑ったままで」
ごく、と縁側の面々の喉が小さく鳴る。
しばらくして、カオルがゆっくりと歩き出した。
しんとした庭で、カオルが足音もなく進んでいく。
ゆっくりと、マサヒデが首を傾げながら横に避ける。
避けた後、すうっとカオルが目の前を歩いて行く感じをはっきりと感じた。
「お見事です。目を開けて結構です」
と、マサヒデのすぐ後ろからカオルの声。
「おおー!」
と、クレールが声を上げ、驚いた顔で手をぱちぱち叩く。
マツもシズクも、口を開けている。
ふう! とマサヒデが息をついて目を開け、両手を顔に当て、
「何ですかこれ! 凄い緊張しましたよ!
カオルさん、音もしませんし! 殺気も全く無いじゃないですか!」
「別に殺すつもりもございませんし、殺気など・・・
しかし、目を瞑っていても、聞こえずとも避けられましたね。
完全にご主人様の勘だけで避けられましたでしょう。
ささ、次は私の横へ」
「横ですか? 横からですか?」
言いながら、カオルの右手に立つ。
「先程のように、危険だ、という距離ぎりぎりまで」
じりじりとマサヒデが近寄って行き、首を傾げて、
「この辺り・・・ですかね」
「ご主人様。私の得物に目を取られてはいけません。
身体が感じる、ここだという距離まで」
「いや、見てしまいますよ」
ぴ! とカオルが小太刀をマサヒデの方に突き出す。
「うわ!?」
遅れてマサヒデが跳び下がろうとしたが、しゅ! とカオルが引いて、
「この通り、手を伸ばしても全然当たりません。
ご主人様ですと、まだまだ離れ過ぎでは? もう少し詰められると思います。
ささ、目を瞑って、身体が何か嫌な感じがする所まで、詰めてみて下さい」
「ううむ」
マサヒデが目を瞑って、にじにじと足を寄せて行く。
何も言わずにカオルが近寄って行くと、すうっとマサヒデが横に逸れる。
「すげえー!」
シズクが声を上げる。
「お見事です」
目の前からカオルの声がして、あっ! とマサヒデが目を開けた。
「今、今、行くって言わなかったじゃないですか!」
「しかし、避けられました」
「これが稽古ですか? 勘を養う?」
「如何にも。慣れれば、今のようにゆっくり歩かずとも避けられるようになります。本来、人の身は、身体が何か危険だと教えてくれるのですが、目や耳、鼻、地から伝わる振動などから入る色々な感覚が、ここに」
とんとん、とカオルが頭の横を指で突付き、
「頭で解した情報が、身体が感じる勘を鈍らせているのです」
「ううむ、なるほど。殺気がなくても分かるものなんですね」
「さあ、ご主人様、参りましょう。次は後ろに立ちます」
カオルがマサヒデの後ろに立つ。
「危険ではないと感じるまで、ゆっくり離れ、先程のように少しづつ近寄ったり離れたりして、ぎりぎり危なくない所で立って下さいませ」
マサヒデがゆっくり離れ、足を少しずつ進めたり後ろに戻ったりしながら、
「ここかな・・・この辺ですね」
「では、目を瞑って頂きまして」
「はい」
「参りますよ」
すうー・・・と、カオルが音もなく近付いていく。
ゆっくりとマサヒデが横に避ける。
おお! と縁側の皆から声が上がった。