第718話
森を抜けた草原。
イザベルが荷物を下ろした場所に着く頃には、日も落ちてしまった。
が、馬を見つけて上機嫌。
疲れも吹き飛んでしまった。
「よしよし。ちとここで待っておれ」
歩いて森に入り、太めの木の枝を山刀で叩き斬り、焚き火に戻ってくる。
焚き火から少し離れた所に枝を突き刺して杭にし、縄を結んで、馬の首に軽くかけておく。逃げはしないと思うが、保険だ。
小さく頷いて、焚き火に戻って火を着ける。
「おうおう」
焚き火に火を着けると、この馬の光沢が夜の闇に映える。
その美しさに、にやにやと笑顔が浮かぶ。
干し肉を枝に突き刺して並べながら、
「そう言えば、お前は何でここにおるのだ?」
馬が少し顔を上げて、イザベルを見る。
この品種は砂漠地帯の馬。
この辺りで、この種の野生馬が居るはずがない。
「ううむ、やはり密輸キャラバンから逃げ出して来たのか?」
そうであれば、数も居たから、かなり昔にここに来て増えたのだろう。
雄雌がいなければ増えはしない。キャラバンが襲われでもして逃げて来たか。
まあ、理由は何でも良い。
ここに居るということが大事なのだ。
「良い色だ。正に名前通りの黄金色!
そうだな。相応しい名を付けてやろう。
今からお前はシトリン・・・シトリーナ? 呼びづらいな。シトリナだ」
さて。馬は見つけたが、この馬は荷運びには向かない。
スタミナもあるし、足もそこそこ早く小回りもきくが、力は全然ない。
洞窟に荷運びで送るのであれば、マサヒデ達の馬のような大きな馬が・・・
(いや待て。これで良いか。大きな馬では、洞窟内では邪魔だ)
あの洞窟で作業に使うには、丁度良いかもしれない。
この馬は粗食にも耐え、水も少なくてすむ。
いざとなれば、数日飲まずに平気なのだ。
食となる植物が少ない砂漠地帯産の馬なので、そういう身体になったのだ。
明日もう1頭を連れて来て、洞窟に届けてやろう。
これはあの群れの中で、良くない馬を選ぶ。
走らせて使う馬ではなく、あくまで荷運びなのだ。
(それと、あの冒険者達にも)
葛を教えてくれた冒険者2人に1頭ずつ。
あの2人には約束通り、良い馬を選んでやろう。
馬屋に雄雌揃えて持って行けば、永代で厩舎を借りられるかもしれない。
貴族には人気ある品種だし、非常に高く売れるはず。
そうしたら、農家に預ける必要はない。
農業区画は住宅街の奥で、かなり遠い。
「ふふふ」
これで遠方配達の仕事も請けられるようになった。
葛で儲けた金で鞍と蹄鉄を揃えよう。
あの冒険者達が金を散財していなければ良いが。
炙った干し肉を取って、ぐにぐにとかじり、乾パンを口に入れる。
今夜の干し肉は美味である!
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翌早朝。
ぱっちりと目が覚めて、焚き火の向こう側の馬を見る。
草を舐めている。
朝露を舐めて、水を取っているのか。
もそもそと寝袋から出ると、馬がイザベルを見る。
イザベルはにやりと笑って、
「おはよう、シトリナ」
ふ、とシトリナが鼻息を吹く。
「今日はもう1頭、お前の仲間を連れて来るからな。
あの洞窟まで連れて行く」
言いながら、焚き火に松ぼっくりをばらりと置いて、じゃり! と火打ち石。
枝を組むと、すぐに火が着く。
干し肉を並べて刺していき、乾パンをかじる。
口が乾くが、遠慮なく水を飲む。
洞窟近くの小屋まで行けば、水は分けてもらえる。
よ、と立ち上がって、手に竹筒から水を少し落とし、
「さあ、飲め」
溢れないよう、そっと手を差し出すと、シトリナがべろべろと舐める。
「よしよし」
少しずつ、水を足していく。
水を足すたびに、シトリナがべろべろと水を舐める。
「ふふふ。良い子だ」
まだ若そうだ。年齢は2、3歳と見た。
これは鍛えがいがありそうだ。
杭から縄を解き、シトリナの首からも外し、束にして腰に括り付ける。
「では参ろうぞ!」
しゃ! と裸馬に跨る。
ちょっと嫌がって前足を少し動かしたが、すぐに収まる。
「よおし、よしよし。それで良いのだ」
ち、と口を鳴らして、ぱん! と腹を蹴ると、シトリナが走り出す。
「ははは! やはり鞍がないと乗りづらいな!」
滑りもせず、イザベルが馬に乗って走って行く。
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「どうどう。止まれ」
しばらく走って、馬の群れの前。
するりと滑り下りて、群れを見る。
「適当な老馬で良いかな。お前の先輩に働いてもらうぞ」
ぽんぽん、とシトリナの首を叩いて、
「お前はここで待っているのだ。良いな」
すい、とシトリナが首を下げる。
「宜しい。すぐに済む」
わしわしと草を鳴らして歩いていくと、あ、と馬達が顔を上げる。
「おはよう。皆元気だな」
にこにこしながら、イザベルが馬の群れの中を歩いて行く。
上機嫌なのが伝わるのか、首を伸ばしてくる馬もいる。
「ふふふ・・・うむ。お前、来てくれるか」
少し骨が浮いて、良く見ると白髪もある。老馬だ。
年齢は17、8歳と見た。
大して良い身体つきでもない。
牝馬だが、もう子も産めないだろう。
ぽん、と首を叩くと、馬が顔を伸ばしてくる。
「ふっ。お前、歳の割に甘えん坊だな? 自分の年齢を考えろよ」
言いながら、満更でもなく、馬に甘えられるのは嬉しい。
左肩にくいくい鼻先を押し付けてくる。
「やれやれ。これならレイシクランの皆々様にも可愛がってもらえよう。
さあ、行くぞ。付いてこい」
踵を返して歩き出すと、老馬も付いてくる。
シトリナの所に戻って来て、老馬の首に縄を縛る。
少し嫌がったが、暴れるでもない。
「そうそう。それで良いのだ。早く走りはせんから、ちゃんと付いてこいよ」
しゃ! とシトリナに乗り、腹を軽く蹴って、縄を引っ張る。
老馬もちゃんと付いてくる。
「さあ、行くぞ! 忍の皆に挨拶だ!」
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洞窟から少し離れた小屋の前。
「ううむ、イザベル様、真に馬を見つけてしまうとは、お見事」
忍が3人集まって、馬を見ている。
「老馬であるが、別に走らせるでもなし。荷運びには十分ではないか?」
「十分ですとも。助かります」
「これは黄金馬という品種だが、どのような馬か分かるか」
「黄金馬・・・黄金の馬ですか。いや、我ら馬には疎く」
「見ての通り細いゆえ、大して力はない。だが、恐るべきスタミナがある。
2、3日は水も無しで歩いていられる程だ。粗食にも耐える」
「ほう! ラクダのようですな」
「その通り。元々、砂漠地帯にしかおらぬ品種なのだ。
おそらく、遠い昔にキャラバンから逃げたのであろうと思う。
まあ、なぜここにおるのか、理由はどうでも良いか。
この平原の南端に群れておるが、荷馬に使うのであれば、駄馬にしてくれ。
折角の良品種ゆえ、勿体ない」
「ですな。ただの荷運びに若い馬を使うのは、確かに勿体のうございます」
「ああ。それと、我の馬を見てくれ。輝いておろう」
「はい。素晴らしい毛並みです」
「この金属のような光沢から、黄金馬と呼ばれるようになったのだ。
そして、この細い見た目と輝かしさから、道楽貴族共にも人気があるのだ。
ふふふ。名前通り、正に黄金を生む馬よ! いくらになろうかな!」
「ううむ!」
「マサヒデ様やカオル殿の馬には遠く及ばぬが、これも良い馬よ。
重装戦馬にはとても使えぬが、軽装戦馬にはぴったりの品種だ。
長く走れるから、冒険者仕事にもうってつけだ」
「長距離配達にはぴったりですな」
「そういう事だ。ふふふ。冒険者ギルドにも高く売れような」
「ううむ、大人気ですな」
「であるが、人の国の砂漠地域の国々は戦が多いからな。
あの辺りの国々は、軽装弓騎兵隊を中核にしておろう。
それゆえ、軍に徴収されてしまい、あまり外には出されん。
戦に使えぬような怪我をした馬や老馬は、大した金にならぬし」
「なるほど・・・」
「もし繁殖に成功すれば、オリネオの町は大いに潤うであろうな。
競走馬として育てるのは金がかかるが、これは早馬や貴族の飾りで十分だ。
適当に育てて売るだけで、いくらでも金が入ってくる」
「ううむ!」
「ふふふ。帰ったら、マツ様とクレール様に馬屋への投資を願い出てみる。
この洞窟から出る金、馬の金、どんどん金が増えようぞ」
「レイシクランの取り分は・・・」
「ははは! そこはマツ様、クレール様でご相談なされてな。我は知らぬ。
しかし、レイシクランが今より大きくなる必要もあるまいが! ははは!」
「ファッテンベルクはいりませぬので?」
イザベルは少し首を傾げて、
「ううむ・・・先日、マサヒデ様から製鉄のお話を頂いたしな。
されど、馬と聞けば父上も必ずや飛びつこうし・・・
しかし、これ以上仕事を増やしては、父上の尻尾が本当にハゲてしまうし。
秘密にしておいても良いかな?」
「ははは! 尾がハゲますか!」
「ふふ。では、我はこれにて失礼する。
早く帰って、マサヒデ様にこの馬を見せたい」
「は! 此度はありがとうございました!」
「礼などよい。我らは同僚であろう。おっと、ひとつ頼みがある」
「何なりと」
「あの馬の群れは、決して乱獲はせんでくれるか。
この品種は、馬の中でも最古の品種のひとつで、貴重な品種でな」
「最古の! そのような品種でしたか!」
「如何にも。非常に、非常に貴重な品種なのだ。
仮にクレール様に命ぜられても、まず貴重な品種の馬であると、一言な。
賢く情け深いお方であるから、絶対に無理に捕えようとはしまい。
長い目で見れば、今居る馬を捕らえて使うより、大事に増やした方が良い」
「確かに」
「戦続きで数が年々減っておる品種だ。
このままでは、100年もせぬうちに保護動物になるやもしれぬ。
保護対象となれば、簡単に売れなくなる。大きな商売にはならぬぞ」
「承知致しました」
「この事、我からもしかと伝えておく。ではな」
しゃっと裸馬に跨って、イザベルが駆けて行く。
その姿を見て、忍達が唸る。
裸馬でも人馬一体、見事に操っているではないか・・・