第708話
職人街、弓師の店。
がらっ! ぴしゃん!
「おうふ・・・」
イザベルが顔をしかめて息を吐く。
「ああっ! イザベル様!」
弓師が声を上げる。
「今日は買い物に来たぞ」
「おお、ついに!」
「ああ、いやいや。10貫(37.5kg/約83ポンド)の方だが」
「あ、さいですか」
弓師が肩を落とす。
「むう、そうがっかりせんでくれ。
我が一文無しから働いておる事は聞いておろうが・・・」
「ええ、まあ・・・それ、本当なんですかい?」
「本当よ。でなければ、先日の弓を買っておるわ。
何とか金を作ってきたぞ」
「へい。じゃ、弦の代え、木蝋も要りますな」
「さらしを巻いておるが、一応、胸当ても頼もう。手袋は買っておく」
「ええと、弦の代え、銀2枚。木蝋が銀1枚。胸当が銀4枚。手袋が銀1枚。
矢筒の大きさはどうします」
「ああ・・・ううむ、そうだな。1鞍(24本)入るのが欲しい」
「1鞍となると背負いになりますなあ」
「背負いか・・・ううむ」
店主が棚から矢筒を取って、
「腰に付けるので一番大きいのがこれです。
まあ、矢の太さにもよりますが、20本て所ですかね」
「背負いと腰と、どちらが良かろうか」
「短弓ですからねえ。腰で良いと思いますが。
うん、私は腰用の奴をお勧めしておきますよ。
腰に下げて動いてみて邪魔なら、肩に帯でも回して背負えば」
「それもそうか。ではその矢筒で良い」
「じゃこの矢筒で銀3枚。矢はどうなされます。
1鞍24本の束で銀6枚ですが」
「では1鞍を頼む」
「長さはどうしましょう」
「そうだな・・・」
弓を取って、くいっと軽く引いてみる。
少し首を傾げて、
「2尺半で良い」
「2尺半? 長いですね。イザベル様は弓に慣れていると見ましたが」
「短いと簡単に突き抜けてしまうからな。
狩りの最中、いちいち矢を探しに行くのも面倒だ。
刺したままの方が良かろうが」
「じゃ、長弓用の短いのにしますかい? 3尺くらいの」
「商売上手だな」
長弓の矢は値がぐんと高くなる。
相場は短弓の矢の10倍だ。
「それより、別の矢を注文しておきたい。
少し金が貯まったら買いに来る」
「別の矢というと」
「鉄の矢を1鞍。いかほどになろうか」
「鉄の矢って、矢じりが鉄ってわけじゃありませんよね」
「ああ。羽以外を総鉄で頼む」
総鉄の矢?
この弓で放てば、甲冑も貫いてどこかに飛んで行きそうだが・・・
「熊でも狩りに行くんで・・・」
「熊? 熊なら先日狩ったぞ。石で倒すのには流石に苦労したが」
「石で!?」
「ああ。頭にいくつも当てたが、倒れてもまだ生きておって驚いた。
こいつを頭にぶち込んで、脳味噌を引っ掻き回してやっとよ」
イザベルがぽんぽん、と腰の山刀に手を置いて、にやにや笑う。
「へえ・・・よくもまあ!」
「木の上から投げつけておったからな。まあ安全な狩りではあった」
「ええ!? 木の上からですかい!?」
「そうだが」
「熊は木い登るんですぜ! 木の上は安全な狩りじゃありませんよ!」
「そんな事は知っておる。我は獣人族ぞ。
登っておる木に近付かれたら、木から木に飛べば良かろうが」
「落ちちまったらどうすんです」
「ああ見えて熊も足は速いと聞くが、獣人族の足には勝てまい」
「いや、呆れたもんだ・・・」
「馬鹿にしておるのか?」
「違いますよ。そこまでお強いとは思いもしませんで」
「ふふふ。と言っても、手伝いもしてもらったが・・・」
言いながら金貨を10枚出して、
「さて、まずこの弓が金貨10枚だな」
「10枚。確かに」
「矢が銀6枚の・・・他はいくらであったか?」
「弦の代え、銀2枚。木蝋が銀1枚。胸当が4枚。手袋が銀1枚、と。
2の、3の、7の、8で・・・合わせて銀14枚ですか」
弦、木蝋、胸当て、手袋と店主が並べていく。
「矢持ってきますんで、手袋と胸当てを試してて下せえ」
「うむ」
よいしょ、と胸当てを着け、手袋もはめてみる。
手袋は人差し指、中指、薬指の3本を入れて、親指、小指が出る形。
どちらも丁度良い。
手袋をはめた手でくいくい弓を引いていると、店主が戻って来た。
「うむ! これで良い!」
「毎度!」
「鉄の矢を頼むぞ。金が貯まったらまた来る」
「1鞍ですね。承りました」
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森の奥、イザベルの野営地。
「ふっふっふ」
背負子を背負って、イザベルがテントから出てくる。
背中は背負子があるので、矢筒は腰だ。
やはり腰に下げる物を買ってよかった。
この背負子に狩った獲物を背負っていく。
鹿なら2頭はぎりぎり・・・
「むうっ!」
河原から森に入って行く所で、ぴたりとイザベルが足を止めた。
背負子が重さに耐えられるか!
この背負子で、確か17、8貫はいけるとの事であった。
しかし、鹿の重さは通常16、7貫(60kgちょっと)、大物で20貫。
個体差もあろうし、中にはもっと大きいものもいるかも・・・
背中に背負うのは良い。
この背負子は背中に当たる所に、しっかり革があって中に綿が入っている。
この革の部分でダニをシャットアウトしてくれる。
下から差し込むように入れ、縄で縛ってしまえば触らずに済む。
だが、もう1頭となると、手で運ばねば・・・あのダニだらけの鹿を!
(ぬかった!)
この森には猪もいる。猪はどうだ? さすがに猪は運べまい。
では大八車を持ってくるか? この森の奥まで?
大きめの手押し車なら良いか?
このがたがたした森から、倒さずに運び出せるか?
載せる時はどうする? 手で載せる!? 触るのか!?
あのダニだらけの獣を!
「ひいっ」
想像して肌が粟立つ。
そうだ。猪を狩る時は、冒険者を1人誘えば良いのだ。
2人いれば、棒にくくり付け、ぶら下げて運ぶ事が出来るではないか。
そうしよう。
「すっ・・・ふうっ!」
粟立った腕をさすりながら、イザベルが森の中を歩いて行く。
かさかさかさ・・・
おとなしい風が吹いて、落ち葉が転がる音。
ダニを想像してぞくぞくした身体を抑えつけ、目を瞑る。
感覚を研ぎ澄ませて・・・
(こっちかな)
聞こえる落ち葉の音が違う気がする。
動物が踏んだ音かも、と歩いて行く。
かさ。
(おっと)
足を止め、ぴーんと音に集中する。
かさ・・・かさ・・・かさ・・・
動物の音。
そう重い音ではない。
しかし、小動物でもない。
ここには野犬はいないから、鹿だ。
(軽いものだな。稼げそうだ)
かさかさ落ち葉を鳴らして歩いて行くと、すぐに鹿が見つかった。
「ふっ」
弓を肩から下ろし、矢をつがえる。
距離、10間(約18m)。
止まった的なら、外す距離ではない。
ひゅ、と小さく口笛を吹くと、鹿がこちらを向いた。
くいっと軽く弓を引き、ぴっ!
声もなく、どさっと頭を射抜かれた鹿が倒れた。
「ううむ、しまった」
矢が突き抜けてしまった。
すたすたと歩いて行く。
木の間を覗いてみるが、矢はどこへ飛んだのか、見当たらない。
いきなり矢を1本無くしてしまった。
苦い顔をして、ふ、と息を吐いてしゃがみ込む。
背負子の下の載せる所を、倒れた鹿の胴の下に差し入れ、軽く縄で縛る。
(よし! 触らずにいける!)
ひょいと背負って、イザベルは森の中を駆け抜けて行く。
肉を少し分けてもらい、マサヒデ様にも届けよう!
今夜は肉だ!