第703話
魔術師協会、居間。
イザベルが縁側に座ると、シズクが顔を上げ、
「イザベル様、何だった?」
「嫌な物を見た。罪人を運んでおった」
「あらら。何した奴?」
「分からぬ。ハチが先頭で運んでおったが、とても聞ける雰囲気ではなかった。
が、重罪人である事は間違いないな」
「何で分かるの?」
「唐丸籠で運ばれておった」
「なにそれ」
「知らんのか? 罪人がひっくり返した籠に入れられて運ばれるあれよ」
「ああ! 見た事ある!」
「あれは余程の重罪人でなければ被されぬのだ」
「へーえ・・・」
「顔は見えなんだが、尾が見えた。猫族だ。盗賊か、或いは」
「ふふふ。殺し屋さんとか?」
「まあ、日のあるうちに堂々と運ぶ者だ。盗賊の類であろうな」
「だね」
「盗みに入って殺しでもしたか、余程の物を盗んだか」
「おおこわ! マサちゃんもその刀盗んできちゃったから、運ばれるうー」
クレールがくすっと笑って、
「お奉行様からお目溢ししてもらったんですから、言わなければ平気ですよ!」
む、とイザベルがクレールの方を向いて、
「そうだったのですか?」
「そうですよ! お奉行様も、この刀の正体は知ってるんです!
あとは私達と、ハワード様と、お父様と、修理してくれた職人さんだけ。
イザベルさんも、そんな刀だって口にしてはいけませんよ!」
「勿論です。知られたら文科省に買い上げられると」
「そうですよ! すっごい刀なんですから」
ちら、ちら、と2人を見る。
誰もこの刀について教えてくれない。
夕日を照り返し、きらきら輝く鞘を見ながら、
「クレール様、一体、誰の作なのです?
虎を正面から両断し、刃毀れもなかったとギルドの受付嬢にも聞きました」
クレールとシズクが、にやけ顔で顔を見合わせる。
「にひひ」「うふふ」
「教えて頂けませぬか。気になって仕方がありません」
「どうしましょうかねー」
と、クレールが本を置き、にじにじと刀架に膝を進める。
「イザベルさん。お願いがひとつ!」
「は! 何なりと」
「髪の毛1本下さい!」
「は? 髪の毛?」
ほ? と頭に手を当てる。
「はい! その髪です!」
クレールが答えて、そーっと刀架から雲切丸を取る。
イザベルの隣に座って、よ、と鞘から抜く。
イマイが研ぎ上げた鍔元2寸が、夕日を浴びて輝く。
「うお!? 間近で見ればなんという!」
「うふふ。さあ、ここに髪の毛1本!」
ふ、とイザベルが鼻で笑って、
「クレール様。よもや乗せれば斬れるなどと」
「むふふふ」「あーははは!」
「・・・」
くい、とクレールが雲切丸を少しだけ持ち上げ、
「さあ。ほどく時に気を付けて下さいね。まとめて乗せてはいけませんよ」
「は」
まさかな。さて、どうやって笑わせてくれるのか。
後ろでまとめて上げてあった髪をほどき、すーっと指を滑らせて、1本。
「これで・・・」
苦笑しながら、ふわっと髪の毛を乗せて、笑いが凍りついた。
ふわり、と髪の毛が斬れてしまった!
指先から垂れ下がる自分の髪。
刀の向こう側にふわふわ落ちていく自分の髪。
クレールが凍りついたイザベルを見て満足気ににやりと笑い、雲切丸を納めて刀架に掛け、斬れた方の髪を拾い、イザベルの顔の前に持って行く。
「ほおら! 驚きましたー!」
「あはは! イザベル様、その刀持ったマサちゃんと立ち会ってたんだぞ!」
ぞくぞくぞく、と肌が粟立つ。
もし、こんな刀がどこかに当たっていたら・・・
「早めに降参しといて良かったね! あははは!」
「全くだ・・・この斬れ味なら、虎の両断も簡単であろうな・・・」
ふふん、とクレールが笑って、
「そうでもないんですよ。刀って、小枝を斬っただけでも、すごく瑕が付いてしまうこともあるんですって。この刀は特別なんです」
「特別というと・・・マサヒデ様は普通の刀と」
「これには、コウアンさんとイマイ様の思いが強く宿っているんですよ」
「コウアンさん?」
「ちょっとっ! クレール様!」
「うぇっ!」
ぎく! とクレールが口を押さえる。
あちゃあ、とシズクが額に手を当てる。
「コウアン・・・さん?」
さあー・・・とイザベルの顔から血の気が引いていく。
さほど刀を知らないイザベルでも知っている。
まさか、あのコウアン?
鬼も軽く斬ると言われた刀を打った、コウアン?
刀工の祖と言われる、コウアン・・・?
「クレール様・・・」
「はい・・・」
クレールが気不味そうに目を逸らせる。
「これはもしや、酒天切コウアンの、コウアンの作で?」
「さ、さあ・・・どうでしょうか? 国宝の刀って、たくさんありますし」
たらたらとクレールが汗を垂らしている。
くるっとシズクの方を振り向くと、シズクがばつの悪そうな顔をしている。
「国宝の兄弟刀とは、もしや酒天切コウアンの兄弟刀では?」
「さあ・・・どうでしょうか」
イザベルがクレールに手を伸ばしかけて、すっと引いた。
「クレール様。これ以上はお尋ねしますまい。されど、私は納得致しました」
「・・・はい」
イザベルが手を付いて頭を下げる。
「この事、決して漏らしは致しませぬ」
「さあ・・・何の事やら・・・」
「はい。何の事やら、私にもさっぱり分かりませぬ。
これで宜しいでしょうか」
「さあ、何が宜しいのか、さっぱり」
「しかと承知致しました」
ふう、とシズクが呆れ顔でため息をついて、
「まあ良いんじゃない? 内輪で秘密にしておく事でもないし。
聞いたら、マサちゃんも普通に教えてくれたと思うし」
「で、ですよね!」
「じゃないと、クレール様、大変だったよ」
「ですよね・・・」
「イザベル様。それ、陛下も知らないんだから、本当に気を付けてね。
今のクレール様みたいにうっかりしないように」
「む。しかと」
「クレール様。ちょっと」
シズクがクレールを手招きする。
「イザベル様、しっかり耳塞いでて」
「何だ、何の話だ。まだ何ぞあるのか」
「いいから」
「む」
ぐっとイザベルが耳を押さえ、後ろを向く。
シズクが口に手を当てて、クレールの耳に、
(魔剣。教える?)
(あれはやめておきましょう。マサヒデ様のご判断で)
(分かった)
シズクが頷いて、大声で、
「イザベル様ー! いいよー!」
「む。で、何の話だ」
「今は秘密ー。マサちゃんとマツさんのご判断!」
「やはりまだあるのか! マサヒデ様には一体いくつ秘密があるのだ!?」
「イザベル様だって秘密はいっぱいあるでしょ」
「後ろ暗い事はないぞ」
にや、とシズクが笑って、
「今、下着は何枚持ってるのさ」
気不味い顔が一転、ぶ! とクレールが吹き出す。
かあー、とイザベルの顔が真っ赤になる。
「貴様!」
膝立ちになった所で、び! とシズクが手を出して、
「おおっとおー! そんな理由で私に手を出しちゃって良いのかなあー。
本気の勝負する? 理由は下着? マサちゃん怒るぞおー」
ぶるぶるとイザベルが震える。
「マサちゃんはまだ知らないぞ。私達は口が固いんだ」
「くっ、おのれ・・・脅す気か! 小悪党が!」
「あそう? じゃ、やる? 私は別に構わないけどー。
イザベル様から仕掛けられた勝負だしー。私は怒られないしー」
きりきりとイザベルが歯を鳴らせる。
にやにやとシズクが笑う。
「別にカオルが喋ったわけじゃないぞ」
「誰だ!」
ぱ! と庭を見る。レイシクランの忍か!?
「違う違う。マツさんが心配して、イザベル様とカオルを見てたのさ。
遠くを見る魔術ってやつで、マツ様はどこでも見れちゃうんだ。
買いに行く時、至急の用事だって誤魔化したろ。心配して見てたんだよ」
「奥方様が!?」
「勘違いしないでね。私達も何か危険な事かって心配したんだぞ。
それで、大丈夫だからって教えてくれたんだ。
別に笑い者にするつもりじゃあなかったんだから」
「く、く、く・・・」
「あははは! マツ様には隠し事は出来ないね!」
「ええい!」
どすん! とイザベルがあぐらをかく。
「ちっ! 此度は許してやる!」
「あーははは! ま! 秘密は誰だってあるんだって!
私だってあるぞ! ビビりになっちゃったとか。
昼間っから、こっそり呑みに行ってるとか」
「自分で口にしておいて秘密とは、よくも言えるな!」
「あはははは!」