第701話
魔術師協会、庭。
イザベルが立っては倒され、立っては倒されと、レイシクランの忍に厳しく徒手格闘を叩き込まれている。
「む?」
ぱ、と百姓姿の忍が手を前に出し、空を見上げて指を差す。
イザベルも釣られて空を見る。
すうっと忍が目を細める。
「ふむ・・・皆様が帰って来られますな。
マツ様、クレール様と飛んで参られます」
「何故」
し、と忍が口に指を当て、耳に手を当てる。
イザベルも集中するとすぐに分かった。
風が巻く音。
ばたばたと何かがはためく音。
凄い勢いで近付いてくる。
「イザベル様。稽古はこれまでと致しましょう」
「ありがとうございました」
礼をすると、忍は庭木に歩いて行き、裏に回ると消えてしまった。
イザベルも井戸に行って、ぱんぱんと服をはたき、水を汲んで顔を洗う。
手を拭い、軽く髪も拭いてから、結びをほどいて手櫛で軽く梳いて結ぶ。
「ふ」
と小さく息を吐いて、縁側に座る。
空を見上げていると、小さな点が見えてきた。
どんどん近付いてくる。
ばすん! と土煙が舞い、風を巻きながらマツ達が空から下りてくる。
マツとクレールは、あら、という顔をしながら。
カオルとシズクは顔に手を当てながら。
しゅう、と風が止まって、皆が庭に降り立った。
び! び! とカオルが服を改める。
マツがにっこり笑って、
「イザベルさん。いらっしゃったのですね」
「は! 留守を預かろうと、ここで庭を眺めておりました」
「あら! 分かりますか!? この配置、苦労したんですから」
「流石は奥方様。お見事です」
「うふふ。ありがとうございます」
にこにこしながら、マツが縁側から上がってくる。
酒の匂いがぷんぷんする。
カゲミツ達と呑んできたのだろうが、ほんのり顔が赤い程度。
クレールもシズクも同じ。
カオルに至っては全く変化がない。さすがは一流の忍。
「マサヒデ様は、ギルドの食堂で皆様の祝杯を受けられまして。
酔い止め薬が切れる前にと、お休みになっておられます」
クレールも上がってきて、
「お客様が居るのに、寝ちゃったんですか!?」
「は。そろそろ酔い止め薬が切れると申されまして」
「もーう、仕方ないですねえ」
「マサヒデ様からは、今宵はここに泊まるようにとお言葉を頂きました。
皆様、宜しゅうございましょうか」
クレールが酒で赤く染まった顔をほころばせて、
「勿論ですとも! マツ様、宜しいですよね?」
「当たり前ではありませんか!
さあさあ、まだ日も高いですし、遊びに行きましょう!」
「遊びに?」
「さあ、皆で8代王を見に行きましょう! 私、楽しみで楽しみで!
うふふ。今回はカオルさんの奢りですからね!」
カオルが顔を向けて、
「え? 全員分ですか? イザベル様だけでは?」
「違うんですか? まさか、たかが講談で・・・ねえ?」
「カオルさん・・・」「カオル・・・」
じっとりとした皆の目。
「・・・参りましょう」
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「すぱーん! 襖が開いた! そこに立つは般若の仮面の男!」
「おお!」
興奮したイザベルが声を上げる。
「貴様何奴!」
どどん!
「愚か者! 権力と我欲のみで、いつまでも人の心を惑わせると思うな!
誰か! 先生! せんせーい!
ばたんばたんと襖が開く! 部屋を埋め尽くす不逞の浪人達!」
「何! 用意周到な!」
声を上げるイザベルを見て、くす、と皆が笑う。
「まだ分からぬか! 固く握り合った手は、貴様の悪の力では離れはせぬ!
それをこそ絆と呼ぶのだ!
ぴしゃりと扇子が飛んだ!
金に手を伸ばした悪代官の手から、ちゃりんちゃりん! 金貨が落ちる!」
ばばん!
「痛みに驚き手を引く悪代官!
そして扇子に見えるは『正義』の2文字!」
「おおッ! 正義ッ!」
イザベルが拳を握る。
「8代王の手からばらりと投げられる銅貨6枚!
三途の川の渡し賃! しかと受け取れ!」
「おのれ胡乱な浪人風情が! 斬れ! 斬れーい!
浪人共が押し寄せる! ぱっと面を投げつけたるはやはりこの男!
8代王が剣を抜く! ちゃきりと回すその剣を見よ!
はばきに見えるは王家の紋章!」
ぱらり。
講談師が紙芝居をめくる。
「はっとする悪代官! その目ははばきの王家の紋章に釘付け!
待て! 皆の者! 貴方様はもしや・・・いや、まさか! 陛下!?」
「貴様の悪行三昧、しかとこの目で見届けた!
もはや猶予ならぬ! 切腹など許さぬ! 天に代わって余が成敗致す!
この場で打首! 獄門! お家は取り潰し! 覚悟せよ!」
ぱらり。
「うむ。妥当であるな」
「きりりと歯を慣らし、代官が立ち上がる!
うぬぬ・・・斬られれば獄門取り潰し! 斬っても獄門取り潰し!
ならば斬る! 皆の者! 斬れ! 斬り捨てよ!
斬った者はこの金を持ち、この場を去るが良いぞ!」
「悪党めが・・・居直るか!」
ぱらり。
「浪人共が剣を上げた時! 街に響くこの声は! はっとする浪人共!
御用だ! 御用だ! 御用だー!
御用と書かれた大量の提灯!
ずらりと屋敷を囲む奉行所与力と同心!
駈け入って来るはこの男!」
ぱらり。
「南町奉行所である! 貴様の悪行の証、全て届いておる!」
ぱらり。
「お奉行様の声が響く! 皆の者! 縛り上げる必要などなし!
構わぬ! 手向かいする者は全て斬り捨てよ! ははっ!
お奉行様の後ろにずらりと並ぶ同心与力達が刀を抜いた!」
「そうだ! 悪人共め・・・もはや捕える事なく斬り捨てよ!」
ぱらり。
「あっと言う間に斬られる浪人共!
だが奥に1人静かに酒を呑む男!
ゆっくりと8代王が歩んでいく。この男は・・・」
ぱらり。
「ゆらりと浪人が立ち上がった! しかし剣を抜かずにぴたりと頭を下げる!
8代王。その剣、しかと見せて頂いた。
このような身にやつせど、私も元は剣客でありました。
聞き届けてもらえぬのは重々承知なれど、されども願いたく!
剣の道に生きる者として今生の名残、私と立ち会って頂けませぬか!
どうか、どうか! お頼み申す!」
ぱらり。
「8代王、深く頷き庭に下りた。その目に映るは憂いの光。
静かな、しかし良く響く声。
皆。場所を開けてくれぬか」
「なんと! 立ち会いを受けるか!」
「有り難き幸せ! 浪人が頭を下げ、庭に下りた。
ゆっくりと刀を抜く! 月光に光る、浪人の刀!
はっと気付いた8代王! この男の剣、血を吸っておらぬ!
されども・・・8代王、剣を返す! これは峰打ちではない!」
「なんと・・・」
ぱらり。
「参る! 一閃! 浪人の刀が光る!
これは流せぬ! 避けられぬ! 受ける8代王!
火花を散らす鍔迫り合い!」
イザベルが拳を握る。
「ぱっと離れる8代王! ぱっと離れる浪人!
ごくりと喉を鳴らすお奉行様! これは並の者ではない!
8代王、八相に構えた! 浪人、上段に構えた!
これは次の一振りで決まる!」
ぱらり。
「たあー! 目にも止まらぬ浪人の剣! 目にも止まらぬ8代王の剣!
すれ違った8代王の後ろで浪人が呟いた!
御留流剣術・・・お見事! もはや・・・未練なし・・・
ばたり! 浪人が倒れました!」
ぱらり。
「懐紙を出して剣を拭い、ばらりと捨てる。
振り向いて8代王が呟く。名も知らぬ剣客よ。見事であった!」
ぱらり。
「お奉行様の声が響く! その代官を引っ立てい! ははーっ!
ゆっくりとお奉行様が倒れた浪人に歩いて行く。
この男、一体何者でしょうか」
「分からぬ。だが、あの剣。この者は本物の剣客であった。
ひとつ道を違えねば、世に名を知られる剣客となれたであろうに・・・
くるりと8代王が振り返る」
ぱらり。
「この男は、手厚く葬ってくれぬか。
あの刀は血を吸ってはおらぬ。この男、誰も斬ってはおらぬ。
なんと! 驚くお奉行様! ははっ! お奉行様が深く頷いた」
ぱらり。
「静かに月を眺める8大王。これで良かった。そう思いたい・・・
お奉行様も頷く。王よ。これで良かったのです。
これで世の悪がひとつ消えた!
これにて一件落着! 此度の8代王暴れ日記、これにて完!
皆様、ご静聴ありがとうございましたー!」
わー! ぱちぱち、と子供達から拍手喝采。
イザベルとクレールも立ち上がって拍手を贈る。