第694話
冒険者ギルド、訓練場。
ばーん! と扉が開かれ、黄色いつなぎのイザベルが駆け込んでくる。
「マサヒデ様ー!」
訓練場に響くイザベルの声。
何事か、と冒険者達が驚いて手を止める。
「あ」
ずざー! と地を滑りながら、イザベルが膝を付き、
「マサヒデ様!」
マサヒデがにっこり笑って、
「ああ。受付の方から聞きましたか」
「はっ!」
「まあ、お聞きの通りです。信じられないでしょうけど、陛下が、テルクニに大魔術師の称号を贈って下さったんですよ」
「お祝い申し上げます!」
「ふふふ。ありがとうございます」
「稽古の後は道場へ!? 私もすぐに準備を!」
「ああ、いやいや。私は放逐の身。道場の敷居を跨ぐ事は許されていません。
ですから、稽古が終わったら、皆さんと食堂でお祝いです」
「そのような・・・大殿様はお許し下さいます!」
ぷ! とマサヒデが吹き出し、
「大殿様って! ははは! テルクニは若殿様ですか!?」
「はい! 主のお父上、お子様ではありませぬか!」
「ははははは! 皆さん、聞きました!? テルクニ、若殿様ですよ!」
くすくすと冒険者達から小さな笑い声。
笑ってよいものか、困った顔の冒険者達。
「さあ、イザベルさんも着替えて道場に行きなさい」
「しかし、マサヒデ様は」
「構いません。今頃、道場では皆さんが父上とはしゃいでいますよ」
祝ってくれる冒険者達はいるが、内輪が居ない。
マサヒデは1人ではないか・・・
にこにこしながら、膝を付いたイザベルを見下ろしている。
嗚呼! なんと気丈な主か!
ぐっと胸に来るものを堪えながら、頭を下げ、
「マサヒデ様、申し訳もございません。
トミヤス道場での祝いの席に出るに相応しい服がなく。
私も、こちらで同席する事をお許し下さいますでしょうか」
「ははは! どっちでも構いませんよ! あ、そうだ!
ホルニさんとイマイさんに声を掛けてきてもらえませんか?
職人街できついと思いますけど」
「お任せ下さい! 急ぎ参ります!」
ぱ! と立ち上がり、しゃー! とイザベルが駆けて行く。
「ははは! さあ、皆さん。稽古を続けましょう!
ぷ、くくく・・・若殿様ですって! あははは!」
----------
職人街、ホルニ工房。
がらっ! すぱしーん!
イザベルが勢い良く扉を開ける。
「御免!」
「・・・いらっしゃいませ」
「マサヒデ様よりの使いで参りました!」
「使い? お急ぎ?」
「本日、正午より、冒険者ギルド食堂にて、祝いの宴を催します」
「お祝い? 冒険者ギルドで?」
「は!」
「何のお祝い?」
「は。本日、陛下よりテルクニ様へ大魔術師の称号が下賜されました」
「・・・はあっ!? 大魔術師の称号!?」
「如何にも」
「テルクニ様って、トミヤス様のお子様ですよね?
もうタマゴから生まれたんですか?」
「いえ。なんと、まだタマゴであるのに、大魔術師の称号を頂きました」
「はあー!」
「これをうけ、祝いの宴を冒険者ギルドにて催したく。
此度は急な事ゆえ、パーティーではなく、ただマサヒデ様からの奢り。
されど、冒険者ギルドの食堂には、それなりの物も揃っておりますゆえ」
「平服で良いのかしら」
「はい。冒険者の食堂でございます。参加者もマサヒデ様の稽古の参加者。
マツ様方、ハワード様方は、道場の方へ運んでおられます」
「あら。皆様おられないの?」
「本来であればマサヒデ様も道場へ向かうべきですが、放逐の身。
それゆえ、敷居は跨げぬと・・・」
「ああ・・・そうでしたね」
「それゆえ、内輪は我のみで・・・
店もありますでしょうが、願えますでしょうか」
「勿論! 参りますとも!」
「有り難き幸せ! 時に、イマイ様という研師のお方のお店は何処に。
イマイ様にも報せるよう、仰せつかっております」
「あ、イマイさん・・・お店は橋を渡ってすぐの所ですけど」
ラディの母が顔を曇らせる。
「何か」
「うーん、今、起きてるかしら?
イマイさん、暗いうちに仕事して、朝は寝てる事が多いから」
「む・・・左様でしたか。この時間は寝ておられますか・・・」
「私が報せておきますよ! お任せ下さいな」
「かたじけない! お言葉に甘えさせて頂きます」
「少し遅れてしまうかもしれませんけど、必ず皆で行きますから。
イマイさんも引っ張って行きますから!」
「有り難きお言葉! マサヒデ様にしかとお伝え致します!」
「うふふ。楽しみにしてますね」
「は! それでは失礼致します!」
----------
冒険者ギルド、訓練場。
イザベルがすっ飛んできて、冒険者達の間を歩いていたマサヒデの前に膝を付く。
「ホルニ様方に報せを伝えて参りました!」
マサヒデが苦笑しながら、
「そうですか。イマイさんは起きていましたか」
「いえ! この時間では起きておられぬか分かりませぬゆえ、後程ホルニ様がお伝えするとお引き受けを。それゆえ少々遅れるやもしれませぬが、必ず参るとのご返答を頂きました」
「む、そうですか。職人街はきつかったでしょうが、よく行ってくれました」
「ははっ!」
「では、まだ時間はありますが、ひとつ仕事をこなしてきますか?」
「いえ。お許しを頂けましたらば、こちらで」
「そうですか。では着替えてきて下さい」
「はっ!」
イザベルが、ぱー! と駆け出して行き、すぐ着替えて戻って来る。
お? とマサヒデがイザベルの得物を見る。
元々イザベルの得物は長い両手剣だった。
普段、庭で稽古を付けている長剣ではない。
「ああ、そう言えばイザベルさんの得物は、両手剣でしたね」
「は!」
「片手で軽く持っていたのには、少し驚きましたが。
で、どうですか。少しは練習はしていますか」
「は!」
「見せて下さい」
立ち会っている冒険者達の間をすり抜け、脇に出て、
「構えて下さい」
「は」
がっくりと肩を落として、イザベルが中段に構える。
「うんうん。良く抜けていますね。やはり獣人族はこの辺の飲み込みが早い」
「有り難きお言葉」
マサヒデ軽く竹刀を垂らしたまま。
はて、とイザベルが怪訝な顔をする。
「あ、私は普段の構えはこれですから」
「え」
「今までの稽古では、分かりやすいように正眼に構えていただけです」
これが構え? 剣では見た事がない。
たらんと落としているだけではないか。
「構いませんので、撃ち込んで下さい」
「は!」
隙だらけに見えたが、いざ撃ち込んでみようと・・・
(う!)
ぴん、と勘が伝えてくる。
突きは通らない気がする。
竹刀がすっと上がってきて、また流されるのが見える。
同じく、横薙ぎも駄目なような気がする。
マサヒデの竹刀は下に垂れている。上段から振り下ろすか?
上と下。真反対なのに、何故かこれも通らないような・・・
「どうしました? 固くなりました。もう一度、抜いて」
「は」
は、と息をついて、肩を抜く。
考えて、固くなってしまっていた。
(落ち着いて見れば、なんと)
もうどこから撃ち込んでも通らない気がする。
「さあ。見せて下さい」
一縷の望みに賭けて、上段に構える。
マサヒデがにっこり笑って、
「お、良いですね。練習しているのが分かります」
危険だ、と勘が伝える。
撃ち込んではいけない・・・稽古なのに!
「つぁ!」
ひょい、とマサヒデの手が頭の上に上がる。
下を向いたままの竹刀が上に上がってくる。
イザベルの剣が、浅く角度がある竹刀の上を滑っていく。
マサヒデがくるっと竹刀を回しながら、少し前に出た。
竹刀がイザベルの鎖骨の上。
「結構! 良い撃ち込みでした」
「う、う」
すいっとマサヒデの竹刀が引かれ、マサヒデが満足げに頷く。
「たった数日でここまでとは、やはり伸びが早い。予想通りでしたね。
身体の余計な力を抜いていくだけで、ぐんぐん良くなる」
「は」
「では、そのままそこで素振りを続けて下さい。
身体に傾きすぎず、技に傾きすぎず。
その為には、落ち着いた平らな心が必要。心技体の基本です。
もう少し良くなったら、次の段階の振りに行きましょう」
「は!」
マサヒデは振り向いて冒険者達の方に向かっていく。
背中を見送りながら、膝を付きそうになった。
(勝てぬ!)
どこまで伸びようと、マサヒデには全く勝てる気がしない。
カゲミツとは違う、静かな恐ろしさがある。
自分がどれだけ伸びようと、この主には寿命でしか勝てまい。
喜びと恐怖と悲しみが混じったおかしな感覚で、イザベルが長い木剣を構える。