第691話
翌朝。
野営地でどんよりした顔のイザベルが目を覚ます。
「うぉう・・・」
ずきずきする頭を抱え、水を入れた竹筒を抱えて川まで歩いて行き、
「うぉげらららら」
どぼどぼと胃の中の物を吐き戻す。
口に水を入れ、ごぶごぶとうがいして吐き出す。
「ぶぇっ」
びちゃり。
鼻に水を入れ、鼻の奥に詰まった吐瀉物を「ふん!」と吹いて出す。
「うい・・・」
へぁ、と息を吐いて、水を飲む。
これはきつい。
ここまで酷い二日酔いは初めてだ。
がっくりと肩を落として立ち上がり、水を飲みながら歩き、
「うっ」
喉に「くぶっ」ときて、飲んだ水を吐き出す。
「はあ・・・」
地面に出来た水たまりを見て、ため息をつき、ゆっくり身体を起こす。
何も食べる気はしないが、綺麗な水は作っておかねば・・・
ふらふら歩いてテントに戻り、松ぼっくりを出してばりっと握りつぶす。
ばらばらと焚き火に撒いて、火打ち石。
ぽ、と火が付いて、小枝を適当に置き、薪を置いて、鍋を持って川に行く。
水を入れて戻ってくると、火が燃えている。
(ああ、松ぼっくりは優秀だ)
などと変な事を考えながら、火の上に水が入った鍋を置いて、テントに潜り込み横になる。
(これはいかん)
仰向けになって目を開けると、視界がほんのり歪む。
これはまずい。薬を飲んで寝なければ。
葛根湯・・・人参湯・・・
吐き気はどっちだったか。
薬の袋を出して、効能の小さな字の説明を見て目が回りそうになる。
人参湯。嘔吐。目眩。頭痛。これだ。
人参湯の袋から細長い紙袋を出し、竹筒を取る。
ぴ、と紙袋の上を破って、さーと口に流し込み、水で飲み込む。
「うふぁ」
漢方薬独特のあの臭い。
ぐっと食道に来たものを押さえつけ、横座りのまま目を瞑る。
まだ湯が沸かない。
早く沸いてくれ。
寝かせてくれ。
ぱちぱちぱち・・・
小さく薪の燃える音。
煙の臭い。
うっすらと顔に感じる揺らめく火の熱。
(汚れた・・・)
しかし、笑って許してくれた。
マツも笑っていた。
(明日からも頑張れと言われたが、今日は休んだ方が良かろうな)
こんな状態で仕事に出ても、碌な事になるまい・・・
体調管理も、冒険者の心得。
休むのも仕事のうちとしよう。
昨日は十分以上に稼げた。
(もう弓が買えるな)
やっと金が貯まった。
が、弓を買いには行けまい。
この状態で職人街に行ったら、即倒れる。
矢や胸当てなどの分も考えると、もう少し金を貯めた方が良いか。
もう考えるのはやめよう。
今日は大人しく寝ていよう・・・
ぱち、と燃える枝が小さく音を出す。
早く沸け。
----------
火が消え、イザベルが眠ってしまった後。
音もなくテントに近付く人影。
カオルが開いた入り口からそっと中を覗き込み、小さく笑う。
懐紙を出し、
『良薬相談承り候。
二日酔い1包、銀貨10枚。
カオル=サダマキ』
さらさらと書いて、小石を乗せ、静かに消えて行く。
----------
魔術師協会、居間。
「やっぱり二日酔いですか」
「は。あれはかなり。吐瀉物も近くに」
ぷ、とシズクが吹き出して、
「うぷぷ・・・あれだけ呑んでたもんねー。そりゃなるって」
カオルがくすくす笑って、
「ふふふ。ご主人様、此度はお許しを。
クビになるかと不安になっていたのです」
カオルが口を押さえ、
「ぷ、ぷぷぷ・・・私が願ったばかりに!
女として汚れてしまったのです! あはははは!」
「ははは! カオルさんも酷いですね!」
「いや、いや、まさかあれほどとは、思いも及ばず・・・くくく」
「ふふふ。今度、イザベルさんに8代王の講談でも奢ってあげなさい」
「はい」
シズクがにやにや笑って、
「ねえね、次は引退王漫遊記にしようよ」
「お、良いですね。でも、講談師さん、引退王もやってますかね?
8代王のだけでも凄い量の絵を持ってきてるでしょうし」
「あ、そうかあ・・・他の講談師さん、いるかな?」
「ご主人様。引退王漫遊記とは、どのようなお話で?」
「ああ。引退王とは言っても、引退した王ではなく副王。
それが2人の配下と忍を連れて、街道を旅しながら・・・
悪代官とか役人に、やっておしまいなさい! ですよ」
ぴく。
「忍を連れて」
「忍、いっぱいいるよね。風車とか霞とか梟とか・・・あと誰だっけ」
「陽炎?」
「あ! 陽炎は忘れちゃいけないね! 見せ場だもんねー! んふふふ!
さっすがマサちゃん男の子! 大事な所は押さえてるうー!」
「やめて下さいよ!」
「シズクさん。陽炎とは?」
「あはははは! お風呂に入ってたり、悪人を誘惑したり!」
くす、とカオルが笑って、
「ああ、色仕掛けの」
「そうそ! で、大事な所で陽炎のように消えるのさ!
あらーっと思ったら、悪行の証を持って消えちゃうんだ」
シズクがにやにやしながらマサヒデを見る。
カオルも冷たい視線を向ける。
「ちょっと! シズクさん、なんですかその目は!
カオルさんまで! やめて下さいよ!」
「んふふふ」「・・・」
「全く! 引退王漫遊記は本があるから、8代王で良いんじゃないですか!」
「あははは! そうだね!」
「それに8代王は御留流剣術を使いますからね。
やっぱり、私は8代王の方が好きですよ」
「御留流と言うと、やはりヤナギ派の車道流ですか」
「ええ。車道流・・・」
ぴた、とマサヒデが口を閉じ、眉を寄せて顎に手を当てる。
「ご主人様。如何されました」
「車道流ですよ」
「車道流が何か」
「袋竹刀。車道流、練習に袋竹刀を使いますよね」
「はい」
「あれ柔らかいから、訓練場で撃ち込めるかな、と・・・
いやあ・・・でも刀ならともかく、剣の練習には向かない、ですかね」
「軽すぎますが、撃ち込んだ時の感触は、普通の竹刀よりも良いかと。
こう、真剣の感触に少し近くなる感じがありますね」
「ううむ・・・どうしようかな。それなんですよ。感触」
「必要ないかと思います。ご主人様の仰られます通り、剣の練習には。
剣と刀では斬った感触も変わりますし、刀を使う者は居りませんし」
「あ、そうか。じゃあいらないか」
「私とご主人様は、個人で用意するのも良いかと思います。
竹刀よりは当たりが軽いですから、冒険者の皆様にも撃ち込めましょうか」
「ふむ。寸止めする必要もなくなる」
シズクが笑って、
「あはは! ないない! それがどんだけ軽いか知らないけど、マサちゃんとカオルの撃ち込みじゃ、寸止めしなきゃぶっ飛んじゃうに決まってるじゃん」
「む・・・」「・・・」
「寸止め失敗の時のためとか?
いいじゃん、訓練場には魔術使える人がいっぱいいるから、すぐ治せるし。
骨の2、3本、稽古に来る人は皆覚悟してるって。冒険者だよ?」
「ううむ、ここではいりませんかね」
「いらないんじゃない? トミヤス道場だって使ってないじゃん」
「結構良い思い付きかと思いましたが」
「何使ったって、マサちゃんとカオルが撃ち込んだら、すっごい痛いに決まってる。
木刀だろうが竹刀だろうが、変わりないね」
「そうですかね?」
「そうそう。余計な金になるだけー。それより他にお金使った方が良いね」
「何かありますか?」
「美味いラーメン屋探しとか」
「ははは!」