第687話
郊外の山中。
熊を辿って、イザベル達が山道を下っていく。
獣人族の鼻が、3人をまっすぐ熊に案内して行く。
歩きながら、イザベルがふと疑問に思って、
「のう。ひとつ尋ねても良いか?」
「何でしょうか」
「我らであれば、狩りなど簡単よな。獲物は簡単に追える」
「ええ」
「何故、皆、狩りをせんのだ? お主は何故だ?」
「いや、出来るなら稼げはしますが・・・あれですよ」
2人が顔をしかめる。
「たまんねえよな」
「だよな」
獣人族は、皆がダニ、ノミが大嫌い。
生まれ持った本能のようなもので、仕方がない。
中には嫌悪感を超え、もはや恐怖症に近い程の者も出る。
人族にも好く者などいないが、そこまでか? と言うほどの反応をする。
獣人族の狩人というのは、その本能を克服した一握りの者のみ!
まさにスーパーエリートなのだ!
「野生動物って、ダニとかノミがいっぱい付いてますし」
「ああ・・・」
「イザベル様、よく鹿を抱えて来れましたね。
さすがファッテンベルクは違う! と驚きましたよ」
「我は野の動物にあんなにダニが付いているなど、知らなかったのだ。
後で皮をなめそうとして、驚いて手落としてしまった。
あの時、顔は真っ青であったろうな・・・」
「しかし、故郷では狩りはしておられたのでは?」
「ダニの事は知らなかったのだ! ああ、我は狩りをしておった!
荷馬車に乗せておったし・・・こう、脇に抱えるなどせんかった。
ああ、堪らん! 毛の下にあんなにダニがおったとは!
もう思い出させんでくれ! あれを触っておったのだぞ・・・」
イザベルが頭を抱えてぶんぶん振る。
「知らぬが仏ですね・・・」
「しかし、お主らこそ、よく革鎧など着ておれるな。
我は職人街で、革の臭いで気を失って倒れてしまったぞ」
「我慢と慣れです。毎日磨いてますし、臭いはしますが綺麗ですよ」
「くっ! 慣れるしかないのか・・・」
「ところで、もし熊が狩れたらどうします。持って帰りますか?
我々なら、多分持っては帰れますが・・・」
「・・・」「・・・」
「熊の毛って、ダニとかいっぱい居そうでは」
「きぇい! 言うな! うう、おぞけが立つ!
・・・しかし、狩ったら証として持って帰らねば、手当は出ぬわの」
「我慢、ですかね・・・」
「仕方あるまい。それに、荒れた熊を狩った報酬だぞ。
報酬は倍額になってもよかろう。鹿で銀貨15枚で売れる。
まさか熊で30枚、40枚ということはあるまい」
「倍かあ・・・倍なら何とか我慢出来ますね」
「だな」
「狩りで稼ごうと思っているのだがな・・・
ああ! あのダニは堪らんな!」
「なるべく手で触らないようにしましょうね」
「勿論だ! うう、恐ろしい。何か棒でも作って、吊り下げていくか」
「鹿程度ならともかく、棒で熊の体重を載せられますかね?」
「ぐぬぬ・・・太い棒を作れば良かろう。
いや、太い棒より、細いのを何本も重ねた方がしなりが出て良いか。
ノミが飛び移ったりせんと良いが」
「イザベル様! ノミが飛び移るとか、やめて下さい!」
「うわ、鳥肌が!」
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「止まれ。居る」
「・・・」「・・・」
3人が足を止め、耳を立て、鼻を鳴らせる。
すぐ近くから強烈な獣の臭い。
大きな動物の呼吸音。寝ているのか。
「寝ておるかな・・・余裕たっぷりであるな。
よし。お前は向こうの木。お前はあっちの木。我は前のあの木。
良いか、好機と見えても絶対に近付くな。
逃げても下に下りず、上から離れて射掛けよ。
熊が木に駆け寄ってきたら、余裕を持って早目に別の木に離れよ」
「はい」「はい」
「最初の1射は出来る限り頭を狙えよ。
合図で攻撃開始だ。散開」
ぱ! ぱ! ぱ!
3人が木の枝に飛び乗る。
弓を持った者がきりきりと弓を引き、イザベルの方を向く。
イザベルも石を持ち、うむ、と頷き、
「射て」
しゅ! と矢が飛び、イザベルの石も飛んでいく。
矢は頭の上を掠め、首に入った。
石はがつんと当たった。
が、もろに当たったのに、熊は大声を上げる。
「どんどん射て!」
「はい!」
イザベルもぶんぶん石を投げる。
ごす、ごす、と入るが、倒れない。
矢も刺さっているのだが、浅いのか。
威嚇か本気になったか、熊が立ち上がった。
よし! 足にきている。
「ふらついている! やれ!」
「はい!」
びし! と矢が熊の口に刺さる。
ごん! とイザベルの石が目に当たる。
(目に入った!)
うわ、と熊が顔を背ける。
矢が首に刺さる。
ぶん! と石が飛び、熊の横顔に当たる。
「ええい! なんと固い!」
熊がイザベルの方を向いた。
石が飛んで行き、額に入る。
ぐっと顔を背けて、どすん! と横に倒れたが、まだ立ち上がろうとする。
「おのれ!」
上がった熊の顔に、もう一撃。
ばす! と矢が刺さり、イザベルの石が当たり、がっくりと倒れた。
「良し! 二人共、まだ下りるな!」
「はい!」「はい!」
ぱ、とイザベルが飛び降り、ゆっくりと回って角度を変えて行く。
まだ昏倒はしていない。
ここなら十分頭が狙える、という所で、思い切りぶん投げる。
がつん!
まだまだ。
がつん! がつん! がつん!
「・・・」
熊がふらりとして、どすん、と地響きを立てて倒れた。
ひょい、と石を軽く投げる。
ぼん、と当たったが、反応はない。
とどめにもう一撃。
がつん!
「まだ待て! 弓は構えておれ!」
「はい!」「はい!」
ゆっくりと近付いていく。
ここまで近付いて見れば、なんと大きな生物か。
(まだ息があるのか!?)
驚いた事に、あれだけ当たってまだ生きている。
鉈の形の山刀を抜いて、慎重に近付き、思い切り頭に突き刺す。
引き抜いて、もう一度。
更に、もう一度。
最後、もう一度。
血と脳漿が飛び散る。
ぱ、と離れて、様子を伺う。
少し経っても、動かない。
(さすがに死んだか)
冒険者達の方を向き、
「もう良いぞ! 来い!」
ぱ! と木から飛び降りて、2人が駆けてくる。
飛び散った血と脳漿で汚れたイザベルが、ほっとして熊を見下ろしている。
「やりましたか!」
「ああ。しかし驚いた。この山刀をぶち込むまで、生きていたぞ。
見よ。これだけ矢も刺さり、我の石も当たっておったのに・・・」
「あんなに食らってですか・・・凄いですね」
冒険者達も驚いて熊を見下ろす。
懐紙をまとめて出して、山刀を拭きながら、
「やはり、慎重にしておいて良かったわ。
ふうー! 全く、弓がないと狩りは大変だな!」
剣の冒険者が周りを見て、
「追って来るのに気が行っておりましたが・・・
こいつ、もうすぐ山を下りる所でしたね」
イザベルも周りを見渡す。
木の間から、遠くにもう街道が見える。
「ああ。始末しておいて良かった。
今夜には山を下りていたかもしれんな」
ばらっと汚れた懐紙を捨てて、
「使えそうな矢を抜いたら、足をきつく何重にも縛っておいてくれ。
我は運ぶ棒を作ってくる。
ふふふ。お手当が楽しみだな!」