第686話
郊外の山。
山道に転がった無惨な骸を前に、イザベルがにやにや笑って、
「良いか。もしもの話であるぞ。もしも、これが熊の仕業でなく、魔獣の犬であれば、此度は大儲け出来るかもしれぬぞ」
「ふふ、山狩りですか」
「いいや。聞いたことはないか? 魔獣も飼い慣らす事が出来ると」
「あっ!? もしかして!?」
「ふふふ。犬であれば、雑食よな。
肉ばかり食わせんでも、余り物で良いのだ。
どうだ。餌代も大してかからんな」
「いやしかし、イザベル様、町には連れて入れませんよ」
「しかと飼い慣らせておれば、普通に役所で登録証を貰えば良いのだ。
いちいち、町の門番に見せる必要があるがな」
「おお! それをペットに出来れば!」
「ははは! 愚か者、わざわざ慣らしてペットになどするか!
そのまま売れば良いのよ! 大金が手に入るぞ!
ペットにするなら、その辺の野良犬を飼い馴らせば良いわ!」
イザベルが5寸ほど手を開けて、
「ふふふ。このくらいのネズミの魔獣、いくらで売れると思う?」
「ネズミの魔獣・・・まあ、魔獣ですし・・・金貨1枚くらいですか?」
「はーははは! こんな小さな魔獣で金貨10枚よ!
犬はいくらすると思う!? 金貨100枚は軽く超えるぞ!」
「うお! 金貨で100枚以上ですか!?」
「そうよ! それを軽く超えるのよ! 200! 300!
良い物であれば、もっともっと上がるぞ! ははははは!」
「そんなに!?」
「くくく・・・しかも、飼い慣らす必要もなく大儲け出来る!
売り先は魔の国の軍よ!」
「ええっ!? 軍にですか!?」
「ふふふ。お主ら、魔の国の軍を良く知らぬと見える。
魔の国の軍の特殊部隊のひとつに、軍用犬部隊というのがあるのだ」
「軍用犬!? まさか!」
「そうよ! 魔獣化した犬を使う部隊よ!
躾など、向こうで勝手にやってくれるわ!
取りに来るまで、檻に閉じ込めて残飯を放り込んでおくだけで良いのだ!
くくく・・・どれだけになるかな?」
「うおお!」
「我がファッテンベルクで良かったであろうが!
捕らえられたら、その日のうちに通信で父上に知らせてやる!
1匹でもかなりの値になるぞ! 売れた額は我ら3人で山分けだ!」
「イザベル様!」
イザベルが腕を組んで仁王立ち。
にやにやしながら、ふう、と息を吐き、
「ふっ。まあまあ二人共、落ち着け。もしもの話よ。
ただの野犬かも知れぬし、熊かもしれんし。
この大きさだと、大きめの山猫もありうる。狐やら狸やらかもしれん。
はっきり足跡が残っておらぬから、まだ何とも言えん。
まずは、しかとこの辺りを捜索し、痕跡を見つけるのだ」
「はい!」「はい!」
「よし。この死体を中心に、周囲10丈を我らで徹底的に捜索だ!
枝を何本か拾って、足跡があったら円で囲んで、枝を刺しておけ!
こう見えて我も狩りは仕込まれておる。後で良く見てみよう」
「はい!」
「枝を集めてきます!」
がさがさ。
「あっ」
「む! どうした!?」
「イザベル様・・・」
「何事か!?」
イザベルが歩いていくと、薮の中に浅く掘られた穴。
落ち葉が散らかされている。
ふわりと血と獣の臭い。
がっくりと3人の肩が落ちる。
「熊部隊は・・・」
「残念だが、ない」
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掘り返された穴の前に、イザベルががっくりと肩を落としてしゃがみ込み、顎に手を当てながら、
「いざ狩りにと登ってきて、ここらでばったり熊と出くわした、という所か。
この薮から飛び出てきて目の前、どうしようもなく一瞬でという感じかな」
「残念でしたね」
「ま、原因は熊と分かったし・・・」
すん、と鼻を鳴らして立ち上がり、
「それに、ここは人が来る場所だ。熊を放っておくわけにはいかん。
そう高くもないし、こんな所では山を下りて行くかもしれん。
登ってくる途中に血が臭ったのを覚えておるな」
「あっ・・・そうか、あんな所まで行っていては」
「そうだ。危険だぞ。人の味を覚えた熊だ。
それも、もう秋に入る。冬ごもりに備え、熊が食欲旺盛になる時期だ」
ごく、と冒険者が喉を鳴らす。
「人の味を覚えた、食欲旺盛な熊ですか・・・」
「うむ。凶暴になっておる。放っておくと本当にまずい。死人が増えるな」
イザベルが腕を組む。
「さて、どうするかな。追って行くのは簡単そうだ。
戻って、血の臭いを辿っていけばすぐ見つかりそうだし・・・」
横の薮を指差し、
「ほれ、ぺきぺき枝が折れておる。しっかりここを歩きましたと跡を残しておる。こんな奴は、獣人でなくとも簡単に見つけられる。ま、姿は見ておくか」
「熊だと分かって、帰らないのですか?」
「もし、魔獣化した熊だったらどうする。1匹いれば他にもとハチが言うておったろう。この山に、魔獣化した熊が他にシロアリのようにおるとなると、きちんと掃除せんとまずいのではないか? 姿の確認だけはしておかねば」
「あ、確かに」
「うむ・・・」
イザベルが冒険者2人を見る。
剣、弓。
この地方の熊は大きい。あれと剣で戦うのは無謀だ。
獣人でも、かすっただけで吹き飛ばされる力があるという。
「お主のその弓、熊を射殺せるか?」
「いや、熊は自信はありません」
「ちと貸してもらえるか」
「どうぞ」
受け取って、引いてみる。
これでは弱すぎる・・・簡単には射殺せまい。
冒険者の手に返し、
「ううむ・・・始末は出来んかもしれんが、弱らせてはおくか?
我はそうしておいた方が良いと思うが、どうか」
「私は賛成です」
「私もです」
「うむ。ではやるか。ありったけの矢を打ち込んでおけば、少しは弱ろう。
矢の代金は奉行所が出してくれようし、手当もつこう」
「はい」
「ハチが言っておったように、木の上に登ってしまえ。
上から狙い撃てば良いのよ。登ろうと近寄って来たら木から木に跳んで行けば良い」
「あ、なるほど」
「木に向かって走って来たら、余裕を持って飛べよ。
こちらの熊はかなり重そうであったし、揺らされたら落ちるやもしれぬ」
「私はどうしましょう」
「荒くなった熊と剣で戦うのは危険過ぎよう。
弱ったと見えても、お前は近付くな。手負いの獣は恐ろしいからな。
もし我ら2人のうち、どちらかが怪我をしたら、なんとしても救助する。
それが今回のお前の役目だ」
「救助ですか?」
「おい、気の抜けた顔をするな。熊に襲われている者を救助するのだぞ。
今にも熊に噛みつかれんとする者を助ける所を、思い浮かべてもみよ。
いざ食わんとする熊の邪魔をするのだ。
どれだけ危険で重要な役回りか分かるな?」
「う・・・」
「よし。まず、お主が矢をありったけ打ち込む」
「はい」
イザベルが左手首をぽんぽん叩いて、
「我も、この釘と・・・うむ、石を投げて加勢する。
どちらも頭に当たらねば、いくら狼族の力で投げた所で大して効くまい。
あまり期待はしてくれるな」
よ、よ、とかがんで石をポケットに入れていく。
「もしうまく行って倒れても、遠巻きにしばらく近付くなよ。
その際は、我が思い切り石をぶん投げて頭に当てて・・・」
ぶん! とイザベルが手を振って、木の上の方に当てる。
があん! と音が響き、ばらばらと木から枝やら葉やらが落ちてくる。
跳ね返った石は見えなくなってしまった。
「これで完全に昏倒してからとどめ、だな」
「はい・・・」
十分に効きそうだが・・・
「この威力なら、石で十分と思うか?」
「そう思いますが」
「頭に当たらねば大して効きはせぬ。
あれは胴が太すぎて、おそらく中まで通らん。
あの巨体を支える骨と筋肉だぞ」
「ううむ? そうでしょうか?」
「野生動物は見た目以上に頑丈だ。我の石投げでは、鹿も仕留められん。
倒れはするが、すぐ起き上がって、ぴょんと逃げていく。
頭に当たらねば、その程度だ」
「鹿もですか? 意外ですね・・・」
「基本的に野の獣は打撃には強いのだな。
大体、どの獣の皮も、ほれ、お主等が着ておる鎧になろうが」
「あ、確かに」
「だが、矢は中まで突き通る。動きも止められる。
それゆえ、弓だと我の石投げ程の迫力がなくとも、仕留められるのよ。
この五寸釘も刺さりはするが、熊相手では浅すぎる」
「なるほど」
ひょいと石を投げ、ぱしっと受け取り、
「ま、別に仕留められずとも良い。弱らせておけば良いのだ。
ハチの言うように、命を張る額の仕事ではないし。
弱らせただけで、手当は十分出るはずよ」