第685話
街道。
目的の山はそう高い山でもない。
急いで登れば、すぐに頂上。
だが、山裾が結構広がっている。
3人で歩きながら地図を広げて、
「高くはないが、広いな」
「ええ。ですが、険しくはなさそうですね。
見回りだけなら結構簡単に終わりそうです」
「3手に分かれて行きますか」
「そうよな。別に狩る必要があるでもなし。
見つけたら帰れば良いのだ。が・・・」
ううむ、とイザベルが首を傾げる。
「何か気になることでも」
「いや、1頭が食い切れずに残して、他の獣が食ったりしていると、ちと面倒よな。いくつも血の臭いが分かれてしまう」
「あ、確かに」
「うむ・・・死体が放置されていた、となると、おそらく熊ではないな。
熊は、食いきれなかった獲物を埋める」
「え? 熊って、そんな事をするのですか?」
「そうだ。現場に行ってみて、死体の側に掘り返された後があったら、まず間違いなく熊だ。旅の途中、戯れに熊狩をしていた時に教わった」
「戯れに熊狩ですか・・・」
驚く2人の冒険者をよそに、イザベルは残念そうな顔をして、
「ううむ、まともな弓があればな・・・熊も楽なものだが」
熊が楽なもの。
冒険者が驚きと呆れを混ぜたような顔に変わる。
「戯れとはいえ、あの熊狩は良い勉強になった。ファッテンベルク領の熊は少なく、30頭もおらんゆえ、魔の国の保護動物の最重要級に指定されておる。それゆえ、熊狩りの機会など旅に出るまでついぞなかったのだ」
「30頭? たったそれだけしかいないのですか?」
「うむ。我が生まれる前には、既に最重要級の指定をされていたというから、非常に希少であるのだな。領地の南部のオアシス地帯におって、見に行った事があるが、こちらの熊とは少し形が違う」
「どのように?」
「小さいのよ。熊というと、こう見上げるような大きさを想像するであろう」
「ええ」
「立っても我と同じか、少し小さいくらいよ。
あと、こちらの熊と違って、足はかなり長いぞ。
丸く太った犬のような形、と言えば良いかな」
「へえ・・・」
「山でなく、平地に住んでおるから、走りやすいように足が長くなったのであろうか。こちらの熊は前の足が短いであろう? ほれ、熊に会ったら下って逃げろとか」
「ああ! 熊は前足が短いから、下るのが苦手とか聞きますね」
「全くあんな感じではないのよ。初めてこちらの熊を見た時は驚いたものだ。
正面から、額から腹まで矢をぶち込んでやったがな! ははは!」
「凄いですね・・・」
「おお、そうそう、ファッテンベルク領にはラクダもおるぞ。
ラクダはこちらではキャラバンでしか見ぬであろう?」
「おお! あのラクダですか! 砂漠の国にしかおらぬという?」
「そうよ。あのラクダよ。ファッテンベルク領は砂漠ではないが、たくさんおるぞ。遊牧を仕事にしておる者は、大体飼っておる」
イザベルが腕を組んで天を仰ぐ。
「ううむ・・・またラクダのチーズが食いたいの・・・」
「ラクダのチーズ?」
ふふん、と得意気に笑って、
「そうよ! レイシクランにもお墨付きを頂くほどのチーズよ!」
「なんと!?」
「だがなあ、量が作れぬのだ。熟練の技が必要で、価格も高くなる。
その上、普通のチーズより長持ちせぬゆえ、輸出も近隣に限る。
結果、大した売上にならぬ。いつまでたってもファッテンベルクは貧乏よ。
だが、魔の国の者でもそうそう食べられる物ではない珍味ぞ。
人の国では絶対に食えぬ、極上の美味よ」
「ううむ・・・死ぬまでには一度食べてみたいものですね」
「最高であるぞ。あれにレイシクランのワインなど合わせてみよ。
もはや天にも登る宴となる。安い貴族共が口にする誇張ではないぞ」
「おお、それ程の」
「我が家は食は切り詰めておったから、ワインはいつも安物であった。
贈り物でレイシクランのワインをもらうと、家族皆で大興奮よ!
兄上が自ら馬を走らせ、ラクダのチーズを買いに行くのだ! ははは!」
「そこまでですか!?」
「そうよ。クレール様に尋ねてみよ。
ふふふ。思い出してよだれを垂らすかもしれんな」
にやにや笑いながら、手首から五寸釘を出して、
「のう、見回りだけであるし、さっさと終わらせて狩りでもせんか?
臭いを辿れば、依頼目標はすぐ分かろうが。
鹿1頭持って帰れば、銀貨15枚といった所であろう」
「あ! やりますか!? 昨日の鹿はそれで仕留めたと聞きましたよ!」
「そうよ。これで頭を一撃よ。
ほれ、見回りする辺りは獲物も多く人がよく入り込んで・・・
と、ハチが言うておったな? つまり、見回り区域は良い狩り場なのよ!」
「おお!」
「あ、しかし、獲物なんて持って帰ったら、サボってたと思われませんか」
「む・・・それもそうか・・・
それに、本当に危ない魔獣などが隠れておったらまずいな」
ううむ、と五寸釘をしまう。
「此度は狩りは諦めるか。が、場所は覚えておこう。
我ら獣人であれば、よい小遣い稼ぎになりそうであろうが。
二人共、ここは秘密にしておこうぞ」
「はい!」「はい!」
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3人が、すたすたと山道を登っていく。
「待て」
先頭のイザベルが手を上げて、足を止める。
もう血の臭いが上から薄く漂ってきた。
「臭うか?」
すんすん、と2人が鼻を鳴らせる。
「あ」
「かすかに」
さわさわ・・・
葉の揺れる音。小さく風がある。
「風があるのに、血が臭ってきたぞ」
地図を出して広げる。
山の上の方を指差し、
「現場はこの方向の真上。風があっては、ここで血は臭わんはず」
「という事は・・・」
「この近くを、血を付けた獣が通ったか・・・」
「風上に血を付けた獣がいるか、ですね」
「そうだ。だが、この血の臭いが仏のものかどうかが、まだ分からん。
何か動物を襲った血の臭いかもしれん。が、気を付けておこう」
ごそごそと地図をポケットにしまい、慎重に周りに気を巡らせる。
「大きな生き物が動く音はせんな・・・獣の臭いはするが、何だかな。
らしい気配も全く感じんが・・・一応、得物の用意をしておくか」
「はい」「はい」
1人が剣の留め具を外し、1人が弓を持つ。
イザベルも、腰の山刀の留め具を外す。
慎重に3人が歩き出す。
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半刻ほど山道を登っていくと、急にむわっと血の臭い。
「う」
「もう現場の近くですね」
「おそらく、これが仏の血の臭いだな。で、こちらは風上。
という事は、食い散らかした後、こっちの方向に来た」
「ですね」
3人が後ろを振り向く。
「うむ。やはり後ろから臭いが流れてくるが・・・」
イザベルが足元を見る。
「足跡はない。この道を通っていないか、消えただけか・・・
最近雨は降っていないから、この道を通っていないのか」
じっと道の脇の薮を見る。
この中を通って行ったか?
調べてみないと分からないが、もう近くにはいまい。
「近くには居ないな。念の為、現場に行こう」
「はい」
緊張した3人が歩いて行く。
山道の先に、少し開けた場所。何かがある。
「あれか」
もはや形をとどめていない骸。
近付いて行って、ばん! と足を踏み鳴らすと、ネズミが散っていく。
「やれやれ。確かにこれでは何も分からんな・・・」
蛆は湧いていないが、小蝿がたかっている。
しゃがみこんで、血と肉が少しこびりついた骨を見る。
枝を拾って、ちょいと破れた服をどける。
「見よ。骨が砕けておる」
「む・・・」
「太い骨だな。これは足の骨であろう。
まさか、そこの木から落ちて、こんな怪我をした訳ではあるまい。
枝から落ちた程度で、こんなに砕けるものか。
何かが、この太さの骨を噛み砕いたのだ」
冒険者2人が不安気にきょろきょろ周りを見て、目を戻す。
イザベルは枝で骨を足元まで転がして、
「細かく噛んだり、ぎしぎし歯噛みしたのではないな。
一噛みでばりっと砕いている。やはり熊であろうか」
周りを見渡す。
野犬が来たのか、かすかに小さな足跡がついているが、大きな足跡はない。
「ううむ・・・これは野犬の足跡であろうか・・・はっきり見えぬ。
大きな足跡か、掘り返したような後がないか、少し周りを探そう。
野犬にしては派手に骨を砕きすぎだ」
「熊でなければ、魔獣化した野犬でしょうか」
「おそらくな・・・だが・・・だがな・・・」
にやにやとイザベルが笑う。
魔獣と化した野犬に何かあるのか?
冒険者2人が、イザベルの顔を不思議そうに見る。