第679話
冒険者ギルド、受付・・・
「ふん!」
ぱしん! とイザベルが依頼書を叩き付ける。
「ええい! 腹が立つ!」
「え、え、え」
大声と、脇に抱えた鹿1頭。
さすがに冒険者達も驚いて、イザベルを見る。
「終わったわ! あのキノコ野郎めが・・・」
受付嬢が下からちらちらとイザベルの顔を覗き、
「ど・・・どうされました?」
「ぐぬぬぬ・・・」
イザベルが下を向く。拳がぷるぷると震える。
喋れば己の恥をさらけ出すことになる・・・
凄味のある笑顔をゆっくりと上げ、
「いやあ・・・何でもないのよ・・・」
「そ、そ、そうですか?」
「ああ・・・何でもない。何でもな・・・依頼は無事終了した」
「はぁい・・・」
イザベルが怒りに震えながら下を向き、ふうー・・・と細く長く息を吐く。
「ところで、この鹿だがな」
「はははい!」
「食堂で買い取ってくれると聞いたのだが」
「はい!」
「如何ほどになろうか。皮は私が使いたい」
「ええっと、皮を引き取りますと、銀10枚くらい?」
え? とイザベルが顔を上げ、
「何? 銀10枚?」
「はい。多分そのくらいですよ」
「鹿1頭でそんなに? 依頼1回分ではないか」
ううん、と受付嬢が首を傾げて、
「肉の量を考えれば、銀10枚は妥当だと思いますよ。新鮮ですし」
「うむむ・・・では、鹿2頭を狩って両手に抱えて持って来れば銀20枚か。
あっという間に金が貯まるではないか・・・
おお、そうだ。皮はいくらになるのだ?」
「鹿の皮だと・・・そのままだと、銀5枚くらい? 大きさにもよりますね。
綺麗にしてあれば、もう少しいけると思います。
あ、今は毛が生え変わる時期だから、少し安くなってしまうかも?」
「何? という事はだ。丸ごと売れば、1頭で銀15枚くらいか?」
「大体そのくらいですね」
「狩りは儲かるのだな・・・知らなんだ」
「ううん、ちゃんと狩れる方でしたら、ですね。
何日も山に入って、何も狩れないという方も多いですし」
イザベルが、くい、と鹿の頭を持ち上げ、
「ほれ、見てみよ。我は五寸釘1本で狩れる」
「ええっ!?」
う! 確かに釘が・・・がっつり頭まで・・・
受付嬢が目を丸くして、口に手を当て、
「釘を投げるだけで、狩れちゃうんですか!?」
「さすがに鹿以上は無理であろうがな」
「弓矢なんて要らないじゃないですか!」
「何を言う。鹿より大きな獲物が狩れまいに、弓矢はなければ。
それに、釘の長さでは頭以外を狙えぬし、少し離れれば刺さらぬ。
熊や猪のように固い奴には、刺さらぬかもしれぬし」
「はあー・・・」
「では、食堂に行ってくる」
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魔術師協会。
紙に包まれた鹿皮を抱え、イザベルが玄関を開ける。
「イザベルでございます!」
「お疲れ様です」
手を付いたカオル。
「おお、カオル殿! ご在宅でしたか! 教えて頂きたい事が」
カオルがイザベルが抱えた包を見て、小さく微笑む。
「皮ですね」
「如何にも!」
「台所へどうぞ」
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カオルが皮を受け取り、血まみれの紙包みを開け、皮を広げる。
「ご覧の通り、まだ荒く肉が付いております」
「はい」
「まずはこの肉と脂を落とすのですが・・・」
「はい」
「事前に捌き、臓物を取り除き、川や清水に一晩漬けておくとなお宜しい。
この皮についた肉も取りやすく、皮も剥ぎやすいのです。
血が抜けて、肉の臭みも大人しくなります」
「なるほど!」
カオルが包丁を取って、ずり、ずり、と肉を取っていく。
「出来る限り皮を傷付けぬよう・・・」
ずり・・・ずり・・・
ぺちゃ、と、削った肉を落とす。
「これはこのような包丁やナイフより、その山刀の方がやりやすいかもしれませんね。削るように肉を取っていきますが、脂で段々と斬りづらくなります。注意として、あまり削りすぎないこと。削りすぎますと・・・」
皮の隅の所で、カオルががりがりと包丁を動かす。
包丁を止め、削った所を指差し、
「よく見て下さい。胡椒のような、黒い粒が見えますか」
んー、とイザベルが顔を近付け、
「ああ! ございます」
「これは毛根。ここまで削ってしまいますと、毛が抜けてしまいます。
売り物でないのなら構いませんが、使うにも抜け毛が着いてしまいますし」
「気を付けます」
カオルが包丁を置いて、
「では、イザベル様。どんどん肉を落として下さい。
力んで削りすぎないよう、お気を付けて」
「は!」
ずりずりずりずり! べちゃっ!
ずりずりずりずり! べちゃっ!
「・・・」
「ううむ、カオル殿、この肉も食べられるのでしょうか」
「勿論です」
「では、こちらは皆様でお食べ下さい!」
「ありがとうございます」
ずりずりずりずり! べちゃっ!
「ふう。中々手間ですね」
「ううん・・・」
初めての裏すき(皮の肉を取り除く作業)で、四半刻もかからずに終わってしまった。
「では、その皮を洗いに行きましょう」
「は!」
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井戸の横。
たらいに張られた水。
洗濯板。
石鹸。
縁側に皆が座り、にこにこして2人を見ている。
「ここで、よく皮を洗います。毛をまさぐってみましょう」
カオルが手を伸ばし、指先で、ぴ、と軽く毛を立てる。
「ここをよく見て下さい」
「この汚れを洗うという訳ですか」
「これは汚れではありません。ダニです」
「うぇ!?」
ダニ! 獣人族の大敵ではないか!
うわ、とイザベルが落とした皮を、カオルがぱしっと受け取る。
くるくるっと巻いて、ひょいとたらいに放り込み、
「鹿の皮には、大量のダニが居着いております。
その服も、洗濯は念入りにしておきましょう。
本日の水浴びも念入りに」
大量のダニが・・・何と言うことか!
ぞくぞくとイザベルの肌が粟立つ。
「は・・・」
「では、こちらへ」
2人がたらいの横に座り込む。
「次は洗濯。石鹸水で、脂がなくなるまでひたすら揉み洗いです」
石鹸水! ダニよさらば!
「は!」
「ぬるま湯であれば効率よく洗えます。
我々はこの洗濯板を使いますが、イザベル様なら素手でも出来ましょう。
肉が付いていた方をひたすら・・・こうやって・・・」
ごしごしごしごし・・・・
カオルが立ち上がって、井戸から水を上げ、桶に入れる。
「で、軽く水洗いをしてみます」
じゃばじゃば。
「触ってみて下さい」
「は」
手を伸ばし、皮を触ってみる。
少しぬめり気がある。指先をすりすりするとよく分かる。
これは脂だ。
「この脂がなくなるまで、ひたすら洗います。
皮に染み込んだ脂を搾り出す程度です。
さあ、どうぞ。あまり力んで破りませんように」
「は!」
イザベルが皮を受け取り、たらいに突っ込む。
ぐぐぐぐぐぐ!
げしげしげしげしげしげし!
ぐりぐりぐり・・・
石鹸水が飛び散る。
「・・・」
カオルが「ぴっ」と顔に着いた石鹸水を指で弾き飛ばす。
「ふむ・・・」
皮を引き上げる。
触ってみる。石鹸で良く分からない。
立ち上がり、桶に入れて水洗い。
ぴちゃ、と手を付けて、すすす・・・と動かしてみる。
「うむ。カオル殿、如何でしょう」
「失礼します」
つー、と指を滑らせ、指先を親指ですりすり。
しっかり取れている。
うむ、とカオルが小さく頷き、
「宜しいかと思います。では、水を絞って下さい」
「は!」
ぎゅぎぎぎ・・・
べたたたた、と水が落ちる。
「次の工程は三日三晩、なめし液に漬ける事になります」
「うっ!?」
「ふふふ。ですので、こちらは私がやっておきましょう」
「は!」
「漬け終わりましたら、漬け込んだ皮を柔らかくします」
「柔らかく。では、それで終わりでしょうか?」
カオルが少し首を傾げて、
「まあ終わりと言っても宜しいかと。
後は、内側をやすりなどで軽く削り、平にするだけです。
適当に使う敷物程度なら、やらずとも良いでしょう」
皮を受け取り、カオルが洗濯紐に引っ掛ける。
「さて・・・ここまでやって、更に三日三晩漬け込んで、更に作業が必要。
自作で革を作るのはこれだけ時間がかかります」
「はい」
「では、この三日三晩の間にもう1頭狩りでもして、売った金で店で革をお買い上げになられた方が早いのでは。イザベル様なら、このような作業をしているより、1頭狩る方が早く済むでしょう」
「あ、確かに」
くす、とカオルが笑って、
「ふふふ。次からは、店でお買いになられる事をお勧めします。
こちらは私が買い上げましょう」