第676話
トミヤス道場、門前。
カゲミツがさらさらと依頼書にサインをし、イザベルに渡す。
「ほい! いやあ、今日の稽古は良かったぜ!」
「光栄であります!」
「じゃこれ、依頼料」
「は!」
差し出されたイザベルの手に、1枚の金貨が置かれる。
「イザベルさん、まだ見習いだよな」
「は!」
「ランク上がったら、相応の分、ちゃんと出すからな」
「ありがたき幸せ!」
「ありがとな! じゃまた宜しく!」
ひらひらと手を振って、カゲミツが中に戻って行った。
(おお)
1日で金貨1枚。
それも、我が家の稽古法で。
(ファッテンベルクの稽古法は、このトミヤス道場で通じる!)
感無量。
ぐぐ、とイザベルが金貨を握りしめる。
金よりも、当家の稽古法が通じた事に身が震える。
(マサヒデ様! イザベルは頑張りました!)
金貨を握りしめ、イザベルが風の如く走り出した。
----------
オリネオの町、魔術師協会。
がらっ! ぱしーん!
「イザベルでございます!」
「・・・どうされました・・・」
カオルが驚いて目を丸くする。
「代稽古に行って参りました!」
「聞いておりますが・・・何かありましたか?」
「はい! 我がファッテンベルクの稽古法が認められました!」
くす、とカオルが笑って、
「それは良うございましたね。さ、お上がり下さい」
「は!」
ぱ、ぱ、ぱ、と地下足袋を外し、すぱーん! と居間に飛び込んで、
「マサヒデ様! イザベル、トミヤス道場より戻りました!」
滑るようにイザベルがマサヒデの前に平伏する。
「おおう! 凄い勢いですね・・・上手くいきましたか」
「は! 大殿様より、また頼むと!」
大殿様。
少し間が空いて、皆がげらげらと笑い出す。
「は、ははははは! 大殿様! 父上、父上が大殿様ですか!」
「ぶぁーはははははー!」
シズクの大きな笑い声。
マツとクレールも口を押さえ、肩を震わせている。
カオルもくすくす笑いながら入ってきて、イザベルの前に茶を置く。
「ふふ、ふふふ。で、門弟の皆さんはどうでした?」
ぴく。
イザベルの身体が固まる。
「あ、いや・・・」
マサヒデがひらひらと手を振って、
「ははは! 聞かずとも分かりました! ま、その程度ですよね」
「は・・・その・・・何と言いますか・・・」
「はっきり言って下さい。貴方の意見が聞きたい」
「は! 皆様、貴族の道楽馬術です! 武術ではありませんでした!」
ああ、とマサヒデが腕を組み、
「ううむ、やっぱりですか。
ま、門弟でまともに乗れるのは、アルマダさんくらいでしょう。
いや、アルマダさんも騎士の皆さんから習ってるくらいですし・・・
となると、父上しかいないでしょうね」
「は・・・」
「仕込めそうですか」
「はい。やはり人族の飲み込みの早さには、驚くべきものがあります。
1度の稽古でもうここまでか、と感嘆致しました」
「ほう。少なくとも、今日稽古に参加した皆様には、見込みあり、と」
「はい」
マサヒデがカオルを見て、
「次にイザベルさんに代稽古の依頼が来たら、カオルさんも参加してみては」
「是非とも」
カオルがにっこり笑う。
カオルがこんな笑顔をするのは珍しい。
イザベルの馬術の稽古が、どんなものか楽しみなのだろう。
「時間が出来たら、私にも教えて下さいよ」
「えっ」
後ろでイザベルの尾が立つ。
ふりふり・・・
ぷ! と後ろのシズクが吹き出す。昨日と同じだ。
「あ、ですが・・・」
しゅうん、と尻尾が垂れ下がる。
「何か?」
「いえ。マサヒデ様は、あの森の中を走れば良いだけかと」
「森の中を? 何故?」
「馬を自在に操るのは、森や林を軽く走らせていれば、自然と身に付きます」
木や石が転がる森の中。
なるほど。確かに、ゆっくり歩かせるだけで良い稽古になりそうだ。
カオルも頷いている。
あとは騎射か。
「ふむ! それは良い稽古を教えて頂きました。
最初はゆっくり歩かせる程度から、で良いですかね」
「はい。慣れぬうちに走らせると、馬が転んで怪我をしたりしますので。
乗り手は勿論、馬も足を折ったり」
「ううむ」
「マサヒデ様もカオル殿も、森を歩かせるだけで、どんどん上達していくと思います。あとは、騎射のみかと」
「騎射ですか・・・やはりイザベルさんは騎射を重視しますか」
「は!」
「ふうむ・・・そうですか」
今は短銃もあるから、短弓で通らなそうな鎧相手にも対応出来る。
騎射。動きながら撃てるし、有用な手だが・・・
「私もカオルさんも、騎射は苦手です。馬は何とか狙えますが」
鉄砲では。そこそこの狙いは出来るが、揺れる馬上で実際に当てられるか。
馬上で撃って、馬が驚かないかも心配だ。
マサヒデがカオルの方を向くと、カオルが頷く。
「カオルさん。少し、練習しますかね」
「よろしいかと」
「イザベルさん。騎射の素人の練習法は?」
あ。シズクがまたにやにやする。
イザベルの尻尾が小さく揺れている。
「まずは動かぬ的。次に動く的」
「立てた的で。次に狩りで良いでしょうか」
「は!」
ふうむ、とマサヒデが天井を仰ぐ。
さあて、どうしたものか。
「森の中を歩かせ、走らせ、騎射。
動かぬ的。動く的・・・1日、2日では出来ませんね。
まあ、当然ですけど。それで出来るなら、誰でも馬術達者だ」
くい、くい、とマサヒデが左右に顔を傾ける。
自分達が稽古するなら、カオルと2人で馬を走らせるだけで済むが・・・
その間、訓練場の稽古はシズク任せか。
「はてさて・・・どうしたものか」
「マサヒデ様、何か」
「ええ・・・我々が稽古をしている間は、ギルドで冒険者さんに稽古をつけられませんよね。どうしようかな・・・と思って・・・」
「順番にでは」
「それでも良いですが・・・少し考えます。
イザベルさん。ありがとうございます」
「は!」
----------
魔術師協会、居間。
イザベルが辞した後。
カオルがマサヒデの湯呑に茶を注ぎ足し、
「もう方針は決まっておりますか」
「ええ」
「指名依頼を出す」
「ええ」
「冒険者の皆様も、参加させる」
「ま、そうです」
「ご主人様が引っかかっている点をお聞きしても?」
「ひとつ目。何人参加するか。少人数なら構わない。
しかし、今日の父上からの指名依頼で、イザベルさんの名は大きく売れた。
イザベルさんが捌き切れる人数で済むか」
「なるほど」
「ふたつ目。参加者の腕はバラバラだ。
それぞれに稽古をつけないと。
これも、イザベルさんで捌き切れるか」
「ふむ」
「みっつ目。ある程度腕がある方。森の中を歩かせよう、走らせよう。
これは個々でやらせれば良いが・・・
同じ所をぐるぐる回って終了では、稽古にもならない」
カオルが目を瞑って腕を組む。
少し考えて、
「先着何名様」
「なるほど。ひとつ目、ふたつ目はこれで良い」
「みっつ目。森の奥の川に旗でも立てては」
「旗ですか・・・取って来て帰る」
「はい。上級者には時間制限を設ければ、稽古にもなりましょう。
狩りなどさせても良いかと思いますが」
「何頭も馬が入って来ては、獲物は遠く離れて狩りにはならない」
「はい。騎射の練習。的の裏には、広く高めに土の壁を作って頂きましょう。
冒険者には魔術を使える者もいます。薄い物でも良いかと。
参加者に魔術師がおらねば、奥方様、クレール様に作って頂きます」
「なるほど・・・ふうむ・・・カオルさんは、他に懸念がありますか?」
「怪我人。離れた、慣れぬ森の中で落馬などして、怪我人が出た場合」
マサヒデが腕を組む。
「ああ・・・確かに、それは大問題ですね。
下手な落ち方をしては、死人も出る。
ギルドには大迷惑だ。それが一番問題ですね」
「はい」
「確かに、冒険者は自己責任とはいえ・・・基本的に、それは雇われた場合。
雇われるのはイザベルさんで、参加者ではない。
師範役として雇われたイザベルさんに、責任が問われる。
道場でなら、厳しい稽古だなあ、で済みますが」
「はい」
「一人ひとりに治癒師をつけておくわけにもいかないし・・・
さあて、どうしたものかな・・・
やはり、我々でだけ・・・ですかね」
「事故の場合は自己責任という条件で・・・では済まないでしょう。
冒険者個人にはそれで済みますが、ギルドが通しますまい。
死人が出るかもしれない。構わないか?」
カオルが首を振る。
「それが護衛や魔獣狩りなどの危険依頼ならともかく、ただの稽古。
そこまで危険を犯すような依頼、受け付けてもらえましょうか」
「ですよね・・・依頼として出さずに希望者・・・
同じか。怪我人が出たら同じ。1人2人ならまだしも・・・
ギルドが良い顔をしないでしょうね。
下手をしたら、イザベルさんの冒険者資格は剥奪だ」
「難しいですね」
ふう、とマサヒデがため息をつく。
「ええ。難しいですね。教えるにも、習うにも、学ぶにも。
ただ乗るなら、そう大した事はないのに。
戦う馬術になると、こんなに難しいのか」