第674話
トミヤス道場、馬術稽古場。
少し離れた所で、カゲミツが馬を引いて止まっている。
(おやおや)
イザベルが鞭を振り上げ「クソ虫が!」「気合を入れろ!」と怒鳴っている。
完全に軍の教練ではないか・・・
まあこうなると予想はしてたし、別に良いけど。
「いよう! やってるねえー!」
「は! 大殿様!」
び! とイザベルが門弟の方に振り向いて、
「喜べクソ虫共! 大殿様のご視察である! 全員下馬! 整列せよ!」
「「「はい!」」」
ぴしし! と門弟が気を付けの姿勢で並ぶ。
(道場より気合入ってるじゃねえかよ)
ううむ、と小さく唸りながら、イザベルの横に並ぶ。
「で、イザベルさん、こいつらどう?」
「む、大殿様、口に出すのはちと憚れますが・・・」
は! とカゲミツが呆れ笑いして、
「やれやれ、憚れるってか。いいよ。どうせへっぽこ馬乗りだろ?」
イザベルが気不味い顔を上げて、
「初日ゆえ仕方もありませぬが、これが貴族の道楽馬術かと呆れるばかり。
馬術のばの字も分かっておりませぬ」
「ばっさり言うね!? ま、その通りだろうよ。
いやあ、トミヤス道場の門弟が情けねえよなあ」
カゲミツが恥ずかしそうに頭をかく。
「ここはトミヤス道場。
されば、ここで教えるは武の馬術。
貴族の道楽馬術など必要ありませぬ」
「だな」
「大殿様、私の、あいや、ファッテンベルクの馬術の稽古は、教官役は馬を操る術を教えるのみの者ではございませぬ。別の仕事もございます。折角のご視察、是非ともご覧頂きたく」
「というと、あれ? 精神的な所を叩き込むみたいな?」
「いえ。兵の中より腐った生ゴミを見つけ、切り捨てる事でございます。
勝利への足を引くゴミなど、馬に近付く事は許しませぬ。馬が汚れます」
「ああ・・・そう。ゴミね・・・うん」
びし! とイザベルが門弟を指差し、
「この者達は今はクソ虫以下! されど『今は』でございます!
必ずや殺戮兵器へと育て上げてみせましょうぞ!」
(あれ? 殺戮兵器?)
それはなんかちょっと違うような・・・
ぱしーん!
「クソ虫共! 大殿様にその汚い腕を見せるのも畏れ多いが、ご視察である!
せめて、我こそ殺戮兵器となろうという気概だけは見せよ! 全員騎乗!」
「「「は!」」」
ばばば!
しゅぱ! とイザベルが門弟の足に近付き、ぱしーん!
「何度言えば分かる! このクソ虫が! 柄を当てるな!」
「はい!」
「わざと叩かれて目立ちたいか! それとも同情を引きたいか!
ぺっ! この負け犬根性のクソ虫が! ええい! 全員下馬せよ!」
ざざざ!
「騎乗せよ!」
ばばば!
「下馬せよ!」
ざざざ!
「良し! 喜べ! そろそろクソ虫から蛆虫に格上げしてやる!
大殿様の前での格上げだ! 蛆虫になった事を今生の名誉に思え!」
「「「ありがたき幸せ!」」」
「んん・・・」
カゲミツはちょっと首を傾げたが、にっこり笑って、
「うん! 良いんじゃない? ていうかさ、すんごく良い! 良いよ!
流石はファッテンベルクの教練! 一味違うな!」
「は! お褒め有り難く!」
「じゃ、俺も軽くひとっ走りしてくるよ。
イザベルさんの、あの林を走るって稽古、凄く良いと思うんだ!」
カゲミツが自分の馬を見て、
「こいつで実際に試してみたいんだ! もう楽しみで楽しみで!」
「うっ!? これは見事な・・・」
イザベルが驚き、カゲミツがにやっと笑う。
「ふふん。だろ? サクマさん達が厳選してくれたのよ」
「なんと・・・」
しゃ! ぴた!
カゲミツが跨る。
「「「おお!」」」
驚いた門弟達が声を上げる。
「見たか蛆虫共! 人族の身であれど、この乗り方は出来る!
大殿様であるから出来るのではないぞ!
貴様らの根性が足りんから出来んのだ! 気合を入れろ!」
「「「はい!」」」
「良し! 稽古が終わるまでは、泣くことも笑うことも許さん!
馬術を学びに来てまともに騎乗すら出来ぬ? 笑わせるな!
馬を駆れ! 制圧せよ! 圧倒し! 駆逐せよ! すり潰せ!
殺せなければ、貴様らに存在価値はない! それが戦の馬術だ!」
「「「はい!」」」
「全員、騎乗!」
ばばば! 門弟達が騎乗する。
その横を、カゲミツが馬に乗り、ぽっくり、ぽっくりと歩いて行く。
「ううーん! 良いね!」
カゲミツの背中から、イザベルの声が響いてくる。
「敵は全て下郎! 立つことを許すな! 声を上げさせるな!
呼吸も許すな! 馬に乗った貴様らは王だ! 王の前に敵は無し!」
「ははは! 実に良い!」
ぽっくり・・・ぽっくり・・・
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1刻後。
イザベルが懐から時計を出し、時刻を確認。
「下馬せよ!」
ざざざ!
「蛆虫共! 朝の稽古はこれまでとする! 馬を繋ぎ場に連れ、休ませろ!
15分で飯を済ませろ! 休憩時間の残りは馬にブラシをかけるのだ!
貴様らの稽古に付き合ってくれた礼を贈れ! 毛玉ひとつ残すな!」
「「「はい!」」」
「解散!」
「「「ありがとうございましたッ!」」」
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トミヤス道場、本宅。
かちゃかちゃと膳を鳴らして、アキが昼餉を運んできた。
イザベルの前に膳を置くと、イザベルが手を付き、
「大奥様自ら、感謝致します」
ぽかん、とアキが口を開けると、カゲミツがげらげら笑い出し、
「ぶはははは! 大奥様! アキ、お前、お前、大奥様になったぞ!?」
「はあ・・・」
「ははは! さあ、食うか! 頂きまーす!」
「頂きます!」「頂きます・・・」
もくもく・・・ずずー・・・
「ねえねえ。イザベルさん」
「は!」
ぴし! と箸を置き、イザベルが背を正す。
カゲミツがふりふりと箸を振って、
「あー! 食いながら! 食いながらで」
「は! それでは失礼致します!」
椀と箸を取ったイザベルを見て、
「あのさ、あの稽古場で出来ないような、馬術の稽古ってある?」
む、とイザベルが口に運びかけた箸を止め、
「隊列を組んでの、複数での動きを学ぶには狭いかと」
「なるほど。でもよ、馬は4頭しかないぜ。
場所があれば、隊を組んでの練習って出来る?」
「数は十分です。4頭で並ぶもよし。1対3。2対2。
弓、槍、剣。各自得物を変えての連携。
様々な稽古が出来ます」
「ふんふん。じゃ、野っ原に行きゃいいかな。他にもある?」
「ううむ、ありますが・・・ちと荒っぽいというか、特急訓練というか。
乗り手を馬に馴染ませ、馬も乗り手に馴染ませる為にやる稽古です」
お! とカゲミツが身を乗り出し、
「ほう! つまり、相棒作りって訳か! どんなの?」
ずず、と汁をすすって、
「まず、1日分の水と食料を馬に積みます」
「ふんふん」
「野に放ち、丸1日、馬に乗ったまま生活させます。
降りる事は許されません」
「おお!? なにそれ! 面白そう!」
む、とイザベルが眉を寄せ、
「あ、ううむ・・・少々、食事中に口にするのは憚られますが」
「ああ、いいよいいよ」
「大便も小便も睡眠も、全て馬の上で済ませます」
「すげえな!」
「1日。次は2日。次は3日と増やし、1週間過ごす事が出来て稽古完了。
約1ヶ月使いますが、終わる頃には馬とも肝胆相照らす仲となれましょう。
それだけの間、馬を使いますゆえ、稽古場では出来ませぬ」
「へーえ! いや、でもそれだけ出来りゃ、馬も相棒になるよなあ」
イザベルがこと、と椀を置き、
「この稽古法は、エッセン=ファッテンベルク領あって生まれたもの」
「というと?」
「エッセン=ファッテンベルク領は貧しく・・・
木も少なく、山もなく、まともな農作が出来る所も少なく。
昔は定住する人口は非常に少なく、多くが遊牧と狩りで過ごしたそうで」
「あ! なるほどなあ! それで、自然と馬術が磨かれたってわけか!」
「はい。如何に我ら狼族といえど、走って暮らすのは限界があります。
我らほど頑丈でない種族もおり、領内では自然と馬術が向上致しました。
現在も、遊牧と狩りで暮らす民が多くおります」
「馬上弓術もそれで磨かれたってわけだ!」
「ご明察の通りでございます。
中には、1ヶ月のうち、3週間以上も馬上で過ごす者もおります。
そこからこの稽古法を考え、採用した訳でございます」
「へえー! すげえな、ファッテンベルク!」
「お褒め有り難く」
「いやいや、良い話を聞けたぜ! 午後もあの調子でびしっと頼むぜ!」
「ははっ!」