第673話
トミヤス道場、馬術稽古場。
さす、さす、とイザベルが歩いて行く。
後ろから、から、から、と木刀と槍を抱えた門弟が付いてくる。
稽古場に近付いて行くと、馬に乗っていた門弟達が馬を下りて、頭を下げ、馬を繋ぎ場に連れて行って、綺麗に横一列に並ぶ。
4人。馬は4頭。まあ当然か。
皆、綺麗に気を付けの姿勢で立っている。
(流石、仕込まれているな)
そのまま歩いて、近くで足を止め、後ろに付いて来た門弟の方を向いて、
「その辺りに下ろしてもらえるか。手間を取らせてしまったな」
「いえ。お役に立てて何よりです」
「では、これより馬術の稽古を始めるゆえ。戻って結構」
「はい。それでは失礼します」
からからと木刀と槍を下ろし、門弟は道場の方へ向かって行った。
イザベルは手前の馬に近付いて行き、鞍から鞭を取って、並んだ門弟達の前にゆっくりと歩いて行く。
----------
ぱしん・・・ぱしん・・・
横一列に並んだ門弟達の前を、イザベルが無言で歩く。
静かに、手に持った鞭の音が門弟達の前で鳴る。
一人一人の顔をじっと見ながら歩いて行き、足を止め、門弟達に向く。
「休め」
ざざ! と全員が休めの姿勢をとる。
「我が名はイザベル=ファッテンベルク・・・
イザベル=エッセン=ファッテンベルク。
本日、大殿様の依頼を請け、馬術の代稽古に参った」
「「「宜しくお願いします!」」」
「うむ。良い声である。大殿様より厳しく仕込めと申し付けられておる。
皆もそのつもりで」
「「「はい!」」」
「さて。先に注意しておく。我がファッテンベルクの馬術は戦場の馬術。
サクマ殿方、騎士の皆様との馬術とは、大きく違う所もあろう。
されど・・・」
ぱしん。
「されど、我は魔の国からここまで、生きて来られた。
大殿様にあれほど呆れられた剣術の腕でも、我は生きておる。
我がここにおる事が、ファッテンベルクの馬術も少しは使える証かな」
ぱしん。
「サクマ殿方、騎士の皆様の馬術も合わせて身に付けられれば、それは恐ろしい得手となろうぞ。皆の者、そのつもりでしかと学んで頂きたい」
「「「はい!」」」
「宜しい。では、まず尋ねる。馬術の心得がある者は手を挙げよ」
4人がぴしっと手を挙げる。
「うむ。トミヤス道場は今まで馬術はなかったそうであるな。
という事は、皆、貴族の出かな。家で仕込まれたか」
「「「はい!」」」
「まあ、大殿様の教えを請けておるゆえ、言うまでもないが・・・」
ぱしーん!
「貴様らがどんな貴族であろうが、我の馬術の稽古の際は『虫』と扱う!
不満であれば好きに帰れ! 以降、我の稽古に参加する事は許さん!
この事、しかと心得よ!」
「「「はい!」」」
くい、とイザベルが置かれた木剣を顎でしゃくり、
「良し! 虫けら共! そこにある木剣を拾い、腰に差せ!
大殿様よりお借りしてきた、有り難き木剣である!
傷ひとつ付ける事は許さん!」
「「「はい!」」」
だだだ! と門弟達が駆け寄り、木剣を腰に差して、イザベルの前に戻る。
「・・・」
ぱしん・・・ぱしん・・・
イザベルが鞭を手に当てながら、門弟の腰の木剣を見ていく。
「宜しい。しかと差されておる。
流石、トミヤス道場の門弟であるな」
ぴ! とイザベルが繋ぎ場の馬を鞭で差し、
「全員! 馬を連れて並べ!」
「「「はい!」」」
だだだ! と門弟達が馬に駆け寄り・・・
「クソ虫共! 止まれ!」
「「「はい!」」」
ぴたりと門弟達が足を止める。
「馬を驚かせるな! 馬は元来臆病なのだ!
まして、慣らしたばかりの馬に駆け寄るなど、言語道断である!
赤子に触るが如く、ゆるりと近付け!」
「「「はい!」」」
ぱしーん!
「クソ虫共めが! まだ分からぬか! 馬の側で大声を出すな!」
「「「はい・・・」」」
門弟たちが慎重に馬の手綱を取って、イザベルの前に歩いて来る。
「うむ。立ち位置は分かっておるな・・・
まずは貴様らの腕を見せてもらう。全員、騎乗せよ!」
「「「はい!」」」
ざざ、と門弟達が騎乗する。
「下馬せよ!」
「「「はい!」」」
ざざ、と門弟達が馬を降りる。
はあー、とイザベルがため息をついて首を振り、
「全く・・・クソ虫共が。
その程度でよくも馬術の心得が、などと言えた物だ。
呆れ果てて物も言えんわ」
イザベルが木剣を差し、端の門弟の所に歩いて行き、
「手本を見せる。皆、そこに並べ」
「「「はい!」」」
門弟達が並ぶ。
とんとん、と木剣の柄に手を当てて、
「良いか。馬に乗る時に、絶対に柄や鞘を当てるな。
驚いたり、走る合図かと勘違いして馬が駆け出したら、引きずられる。
運が良くても足首は折る。悪ければ死だ。ま、死ぬ率が高いぞ」
「「「はい!」」」
「良いか。その汚い目を閉じず、しかと焼き付けよ」
「「「はい!」」」
む、とイザベルが小さく頷き、しゃ! くる! ぴた! と乗る。
「・・・」
馬上から目を丸くした門弟達を見下ろし、
「我が狼族ゆえ、このような乗り方が出来ると勘違いするな。
マサヒデ様やカオルは、当然の如くこのように乗れる。
お二方共、つい先日に馬を捕らえたばかりぞ。
馬術もほとんど知らぬ、素人同然でも出来るのだ」
「「「はい・・・」」」
「種族、元々の身体、才の違いもあるゆえ、我ほどまでは求めぬ。
が、少しはまともな騎乗は出来るように」
「「「はい・・・」」」
「さて、ここで勘違いしてはならぬ。
速く騎乗する、なれば飛び乗れば、というのは間違いである。
飛び乗ったりして、馬が驚いて駆け出したらどうなる。
急げ、飛び乗れ、という事態で引きずられてしまっては本末転倒よな」
「「「はい」」」
「故に、まずは飛び乗るような必要がない程度には、騎乗を鍛えること。
貴様らクソ虫は、騎乗すらもまともに出来ておらぬと言う訳よ。
その程度の腕前で馬を走らせるなど、愚の骨頂である」
イザベルがするりと馬を下り、門弟の顔にぺしぺしと鞭を当て、
「が! ・・・お偉い貴族様の道楽馬術なら、貴様程度の乗り方で十分よ。
さて、念の為に確認しておく。ここはトミヤス道場の馬術の稽古場である。
貴様は道楽馬術ではなく、武術としての馬術を学びに来たと思う」
じっと門弟の目を覗き込み、
「我の早合点であったかな? ここはトミヤス道場ではなかったかな?
貴様が学ぶのは、道楽か? 武術か?」
「武術です!」
「宜しい。他に道楽馬術で良いと言う者はおるか?
であれば、我の稽古などいらぬ。好きに乗れ」
「・・・」
「結構! では、全員馬の横に立て!」
「「「はい!」」」
「ひとつ! 腰の物を絶対に当てるな! 馬を驚かせるでない!
ひとつ! 飛び乗るな! 飛び乗る必要がない程度の騎乗が最低である!
ひとつ! 決して焦るな! 馬は乗り手の気持ちを敏感に感じ取る!」
「「「はい!」」」
ぱしん・・・ぱしん・・・
「騎乗!」
びしぃ! イザベルの鞭が門弟の足を叩く。
「ぐぁ!」
「このクソ虫が! 柄が当たったぞ! 駆け出さなかった馬に感謝せよ!」
「はい!」
「下馬!」
ざざ!
つかつかとイザベルが歩き、門弟の顎の下に鞭を当てる。
「貴様・・・そのように腰の引けた降り方をするな!」
ぱちーん! 門弟の頬が鞭で叩かれる。
「もう忘れたか! 馬は乗り手の気持ちを敏感に感じ取る!
乗り手の腰が引ければ、馬も腰が引けるのだ!」
ざすざすと離れ、ぴ! と鞭を上げ、
「虚勢を張ってでも胸を張れ! 張りぼてでも自信を見せよ!
馬の視界はほぼ360度! 馬は乗り手をしかと見ておるぞ!」
「「「はい!」」」
びし! と鞭が門弟に向けられる。
「今! 貴様らクソ虫は、その馬の主である!
主たる者がへっぴり腰でどうする!
馬は臆病者である! 堂々たる姿を見せ、安心させよ!」
「「「はい!」」」
びしい! とイザベルが鞭を上げ、
「兵を率いる将の如く! 将を率いる王が如く!
堂々と乗れ! 堂々と降りよ!」
「「「はい!」」」
「ヘタレの将では兵が言う事を聞かぬ!
兵の方から勝手に散っていく! 戦にもならぬわ!
良いか! 本物の馬術は戦も同じと心得よ!
我こそ将! 我こそ王! 馬に王たる威厳を示せ!」
「「「はい!」」」
「全員騎乗せよ!」