第67話
「次の方、どうぞ」
アルマダの声が響く。幾分緊張している。
マサヒデも、あの冷たい空気を感じている。
これが実質的な最終戦となる。
やはり、顔を隠した者が歩いてくる。
まとった空気こそ似ているが、先日の男と比べると、格好が随分と違う。
いかにも「忍者です」という、黒い装束に、面頬を付けている。
体つきから女だと分かるが、忍の性別など見た目では分からない。
足音なく近付いてきて、マサヒデの前で止まる。
「少しよろしいですか」
アルマダが準備の声をかける前に、話し掛けてきた。
女はアルマダの方にも、軽く頭を下げる。
また同じ流れだ。
「この試合、トミヤス殿の仲間を集める為に開いたそうですね」
「あ、はい・・・そうです・・・」
全く同じ流れだ・・・
「私は、主としたい者を探しております。里に許しも得ております。ここ数日トミヤス殿を見ておりましたが、トミヤス殿を主としたく・・・」
「は?」
「もしトミヤス殿の目に敵いましたら、旅の仲間ではなく、家臣として頂きたい。手合わせ願えますか」
「家臣ですか?」
「はい」
「家臣となりますと、その、持ち合わ」
ぱん! とアルマダが大きく手を叩いた。
「立会人、アルマダ=ハワードがしかと聞いた! 挑戦者の条件、問題なし!」
「え!」
アルマダが手を上げた。
「両者、構え!」
女忍者が、すらっ、と腰の後ろから訓練用の小太刀を逆手で抜く。
「ちょっと!」
アルマダが無表情にマサヒデを見る。
「構え!」
はっ、として、マサヒデは剣先を右下に向けて構えた。
遅れて、マサヒデの腹が据えられた。
慌てていた身体の力がすっと抜けて、無形となる。
「それでは・・・始め!」
開始の合図と共に、女忍者の後ろの手から棒手裏剣が飛ばされた。
首だ。
軽く身体ごと回し、上体を動かさないようにして避ける。
(牽制)
背中側に女がすごい速さで駆けていく。
完全な死角からまた手裏剣を飛ばしてくる。
つい、と身体を回しながら、剣で弾く。
(これも牽制)
手裏剣を投げた瞬間に、女はマサヒデを中心に円に駆けていた軌道を、マサヒデに向かって変えている。
ほとんど投げた手裏剣と変わらない速度。
地に滑るような低い体勢で駆け込んでくる。
(来る)
手裏剣を弾いた剣をそのまま振り下ろす。
下から女の小太刀が迫る。
かん! と音がして、剣と剣がぶつかる。
瞬間、女の手がくるりと回って、マサヒデの剣を縦に流す。
(流した!?)
そのまま、女の身体がぐっと伸びて、小太刀が上がってくる。
ぱっ! と危うく跳び下がると、マサヒデの鼻から血が垂れた。
ずきん、と鼻が痛む。
小太刀が鼻を掠めていたのだ。
真剣であったら、鼻が縦に割れていた所だ。
あれは避けられないと思ったのか、女は斬り上げた体勢で、驚いた顔でマサヒデを見つめている。
「ふ、ふふふ」
なぜか、マサヒデは笑えてきた。
身が打ち震える、とは、正にこのことか。
過去、ほんの数回だが、トミヤス道場に来た道場破りを思い出す。
相手をしていた父は、楽しそうに笑っていた。
あれは馬鹿にして笑っていたのではない。
闘いが嬉しくて笑っていたのだ。
ここまでの試合で、強者と戦って笑みがこぼれたことはなかった。
楽しんで試合をするつもりなど、既にない。
妻と子に誓った。必ず勝つと。
なのに、身体は喜びに震え、笑いが出てしまう。
「ははは!」
マサヒデの笑いを聞いて、女が「ぱっ!」っと構え直す。
アルマダも何事か、と、鼻から血を流しながら笑うマサヒデを見ている。
「ふふふ、あなたの腕、しかと見せてもらいました。強い! あなたは、強い!」
これでいいのか? と、女が不思議そうな目で少し力を抜いた。
「私からも条件を出しましょう! この試合! 決着が着くまで続けること!」
女の目が据わり、こくり、と小さく頷いた。
身が締まっている。腰が低くなる。
マサヒデも、す、と構え直した。
自然と笑みが消え、今度は静かな、穏やかな気持になった。
「それでは、いつでも」
は! とアルマダは何かに気付いたが、それが何だか分からない。
構え直したマサヒデ。いつもと変わっていない。だが、何かが変わった気がする。
女の方も変化に気付いたのか、身が固くなっているのが分かる。
女が無言で手裏剣を立て続けに投げた。
かん! かん! かん! とマサヒデが弾く。
弾いた剣を下ろしざま、マサヒデも手裏剣を投げつけた。
かん! と女の小太刀が弾く。
どちらも一歩も動いていない。
ただの手裏剣の投げ合いだが、もうアルマダにはマサヒデの勝ちが分かった。
これだけの強者相手なのに、頭にも心にも浮かぶのは、『勝ってほしい』ではなく『勝ってしまう』なのだ。
「・・・」
女がじり、とほんの少しだけ、右に動く。
マサヒデは動かない。
女は、じりじり、と少しづつ動く。
しばらくマサヒデを見据えたまま、じりじりと動いて、急に「ぱ!」と音もなく走り出した。
(これは!?)
少し離れて見ていたアルマダは、目を見開いて驚いた。
ものすごい速度で走っているのに、足音も、風を切る音もしない!
そのままマサヒデの少し離れた横を女は駆け抜けて行ったが、駆け抜ける瞬間、鼻血で真っ赤になったマサヒデの顔をちらりと見た。
目を見て「まずい!」と感じた。
マサヒデは微動だにしていないのに、なぜか危険を感じた。
女はちょうど真後ろの死角に走り、マサヒデに向かって跳んだ。
大きく跳んでいるのに、やはり全く音が出ていない。
上から女がマサヒデの脳天に向かって、手裏剣を投げながら、小太刀を振り下ろす。
女の速度に対し、マサヒデはのんびりと、素振りをするようにまっすぐ剣を上げた。
手裏剣が当たり、こん、と弾かれて飛んでいく。
マサヒデの剣は全くブレていない。
女が落ちてくる。小太刀が振り下ろされてくる。
かん! と剣が交差した瞬間、剣を残したまま、マサヒデがくるりと振り向いた。
女の速度とほぼ同じ速さで、マサヒデの剣がしゅっと振り下ろされる。
かつーん! と細く高い音がして、女の小太刀がマサヒデの足元を滑り、マサヒデの後方まで滑っていった。
着地した女が前につんのめった鼻先にマサヒデの剣先が置いてある。
見ていたアルマダにも、一瞬何があったのか分からなかったが、つんのめった女の鼻先にあるマサヒデの剣を見て、はっとして声を上げた。
「そこまで!」
マサヒデは剣を引き、つんのめった女に手を延ばした。
「ありがとうございました」
女はマサヒデの手を取って立ち上がり、肩を落として小太刀を拾いに行った。
「マサヒデさん、今のは・・・」
「ふふふ、なぜか、笑いが出てしまって・・・楽しむとか、そういうのはなかったんです。でも、身が打ち震えるって、きっと、こういうことなんですね」
「・・・」
「自分でも分からないんです。今まで強い人と何人も戦ってきたけど・・・すごいとか、怖いとか、色々感じたけど・・・」
「・・・」
「マツさんと子にも、誓いを立てました。気も張っていました。なのに、どうしてでしょうか。自分でも、分からないんですよ」
「・・・」
「父上が戦っている時に笑ってるのって、相手を小馬鹿にしてるとかじゃなくって、きっとこういう気分なんでしょうね」
扉に向かう女忍者を目で追いながら、マサヒデは興奮したように、しかし静かに、呟くように言葉を出した。
鼻血だらけで喋るマサヒデの顔を見て、アルマダの背を冷や汗が垂れていく。
治癒師がマサヒデの前に来て、顔にそっと手を当て、手拭いを渡した。
マサヒデは鼻血で真っ赤になった顔を拭って、ふ! ふ! と片鼻を押さえて鼻血を吹き出し「すみません」と言って、手拭いを治癒師に渡した。
アルマダはその様子を見ていて、確信した。
(この人は、剣聖になる)
ぞくりとしたものが背中を登るような感触を感じた。
怖ろしい感覚ではない。
今、目の前に剣聖が産声を上げようとしている。
その瞬間に立ち会えた喜びに、アルマダは震えたのだ。




