第658話
冒険者ギルド、訓練場。
稽古着に着替え、長い木剣を持ったイザベルが重い戸を開ける。
「おお・・・」
想像以上に広い。天井も高い。
マサヒデは、こんなに高い天井まで、シズクに飛ばされたのか!
弓を射っている者。
人形に向かって剣を振る者。
魔術を練習している者。クレール様もいる。
そして・・・
(ああっ!)
マサヒデ様がいる!
わきわき。
駆け出したい気持ちを押さえ、ぴし! と襟を正して歩いて行く。
マサヒデは2人1組の立ち会い稽古の中を「違う!」「背中を回す!」と大きな声で怒鳴りながら、びしびし指導している。
ああ・・・厳しそうだあ・・・
にやにや。
「む」
マサヒデがこちらを向いた。
目が鋭い。
やはり稽古中は違うぞ!
にやにや。
「やめ! 一旦休憩!」
ふう、と冒険者達が息をついて、剣を止める。
「イザベルさん! こちらへ!」
マサヒデの目が、いつもの目に戻った。
「は!」
たたた・・・
マサヒデが苦笑しながら、
「何をにやにやしているんです」
「あ、あ」
ぺちぺち、と顔に手を当てる。
「初めての訓練場で浮かれていますか」
「は、は!」
「ふふふ」
やれやれ、といった顔でマサヒデが冒険者達の方を向き、
「皆さんに紹介します。こちら、イザベルさん。
既に知っている方もいるでしょう。
エッセン=ファッテンベルク家の方です」
決めねば!
ぴ! 背筋を伸ばし、腹から声!
「イザベル=エッセン=ファッテンベルクである!
皆の者! 宜しく頼む!」
ばしん! とマサヒデがイザベルの頭をはたき、
「貴方は皆さんの後輩です! 貴方は下! 皆さんが上!」
そうだった! 90度に礼!
「は! 皆様、無礼をお許し下さいませ!
イザベル=エッセン=ファッテンベルクでございます!
宜しくお願い致します!」
「全く・・・まあ、宜しい。
この通りの方ですが、彼女には貴族として接しなくても構いません。
ファッテンベルクは武門の家。
武の為であれば名などいらぬという家。
武術の前では身分など関係なし! 名などいらぬ!
そう言って、イザベルさんは、武術を磨くためにここに来ました。
そして、武術修行の為、全てを捨てて平民の私の家臣になりました。
ですが・・・」
ぱん、とマサヒデが竹刀を手に置き、
「はっきり言って、剣術は弱いです!
皆さんの方が遥かに上です!」
頭を下げたまま、ぐ! とイザベルが目を瞑る。
私の剣術は1点!
私の剣は赤子の剣!
「ただし! 馬術だけは一級以上です!
トミヤス道場の代稽古に選ばれる程の腕です!」
トミヤス道場の代稽古!?
おお! と冒険者達から声が上がる。
「馬術の稽古をしたいと思ったら、一度イザベルさんにご相談下さい。
ただ、イザベルさんは、まだ馬を用意出来ていません。
また、全財産を実家に送り返した上に、まだ冒険者見習い。
そして、家からの仕送りも禁止しています。
貧乏です。しばらくは忙しく、時間を取れないかもしれません。
しかし、運良く馬術の稽古を受けられたら、凄いものが見られます」
凄いもの・・・どんな馬術なんだ・・・
冒険者達が顔を見合わせ、さわさわと囁く。
「さて。実際に彼女がどのくらい弱いか、見てもらいますか。
ええと・・・」
マサヒデが冒険者達を見渡し、1人の冒険者に目を止めた。
「ソウジさん! こちらへ!」
「はい!」
獣人族・・・犬族の男だ。
「イザベルさんは狼族。ソウジさんとは身体能力も全然違います。
実際、物凄い力と瞬発力がありますが・・・
さて。ソウジさん、彼女と立ち会って下さい」
「えっ・・・トミヤス先生、本当にやるんですか?」
「はい。そうですね・・・うん、ソウジさんなら7割で勝てるでしょう」
「は!? イザベル様は狼族では!? ファッテンベルクでは!?」
「はい。でも弱いです。ソウジさんの腕なら余裕です。
イザベルさんは頑丈ですから、寸止めは要りません。
打ち込んでしまって構いません」
「は・・・」
「さ、イザベルさん。頭を上げて」
「は!」
マサヒデが下がり、2人の得物を指差し、
「見ての通り、イザベルさんの得物は長剣。
実際の所、真剣の大剣でも振り回せる力はあるでしょうね。
ま、結果は見てもらえば分かるでしょう」
マサヒデがイザベルの方を向き、
「イザベルさん。相手は片手剣ですよ。
あなたなら、片手剣と同じ速さで長剣を振れますよ。
勝って当然の勝負です」
「は!」
「では、構え!」
ソウジが下段に。
イザベルが中段に。
「はじめ!」
突く! と一瞬引いた所に、剣の横にソウジの顔。
あ、と思ったら下から斬り上げが伸びてきて、イザベルの顎の下。
一瞬で決まってしまった・・・
「そこまで!」
マサヒデが歩いて来て、がっくりと肩を落とすイザベルの横に立つ。
「ソウジさん、結構本気でしたね。
狼族と聞いて、力が入ってしまいましたか」
「は・・・申し訳ありません」
「7割でも勝てそうだったでしょう」
ソウジが気不味そうに目を逸らす。
イザベルの背中ががくん、と重くなった。
「まあ、こういう事ですが・・・」
くい、とマサヒデが竹刀でイザベルの木剣を持ち上げ、
「見ての通り、イザベルさんの剣は、剣術ではない。ただの剣です。
ですから、心得のある皆さんには、逆立ちしても勝てないでしょう。
しかし、このただの剣が剣術になったら・・・分かりますね」
ぽん、とマサヒデがイザベルの肩に手を置く。
「皆さん、遠慮は要りません。稽古の際は、びしびしお願いします。
イザベルさんのなまくらな剣を、剣術にしてあげて下さい。
魔の国一の武門の家、ファッテンベルクをこのギルドで磨きましょう。
地は最高級です。ほんの少し磨くだけで、恐ろしく輝きはじめるでしょう」
ふ、とマサヒデが笑って、
「ファッテンベルクがこのギルドで稽古して輝いた!
一体、誰と稽古して輝いた!? その名誉を勝ち取って下さい!」
「「「はい!」」」
うん、とマサヒデが頷いて、
「では、ソウジさん。今日はソウジさんが相手をしてやって下さい」
「はい!」
マサヒデがイザベルの背中をそっと押す。
消沈したイザベルに微笑んで、
「ほら。赤子は覚えが早いものですよ。行きなさい」
「は、はい! 行きます!」
「あの握りを忘れずに」
「あ! 奥義!」
マサヒデが慌てて口に人差し指を当て、
(しー、しー・・・伝授は秘密です)
(はい)
んん! とマサヒデは咳払いして、
「良く聞いて下さい。人族と魔族の覚えの早さは違うでしょう」
「あ・・・そうでした・・・」
イザベルがまたがっくりと肩を落とす。
「最後まで聞きなさい。技術は既に家で叩き込まれているでしょう。
もう覚えているから問題ないんです。身体に頼りすぎない事、これだけ。
あっと言う間に磨かれていきますよ。
あなたは最高級の宝石の原石なんです」
「はっ、はっ、はいっ! ソウジ殿ー!」
消沈した顔から一転、ぱっと顔を明るくして、イザベルが走って行った。
浮かれて走るイザベルの背中を見て、マサヒデが苦笑する。