第650話
魔術師協会、縁側。
皆が並んで座り、カオルが茶を並べていく。
マサヒデが一口すすって、
「イザベルさん。道場はいかがでしたか」
「は・・・ううむ、成功も致しましたが、失敗も致しました」
「成功とは」
「カゲミツ様が馬術をお認め下さり、時に代稽古の依頼を出して下さいます」
「ほう! 指名依頼という訳ですか」
「は」
「大成功ですね。で、失敗とは」
「立ち会いでは呆れられました。砂糖山盛りに甘く見て2点だと」
「ふふふ。父上もお優しい」
顔には出さなかったが、この一言はイザベルにはずしんときた。
マサヒデはにこにこしながら、
「私の評価は1点! どんなに甘く見ても2点には届きません」
ええ、と皆がマサヒデを見る。
これはいくらなんでも酷い物言いでは。
「今の貴方の腕を、具体的に評価します。
私の稽古に来ている、少し腕に覚えのある冒険者さんには負けますね。
ここまで勝ってこられたのは、お仲間と装備の良さのお陰」
これはイザベルには厳しすぎるのでは・・・
マツがちょいちょいと裾を引く。
マサヒデはにこにこしながら、大丈夫、とマツに頷く。
「父上に何と言われました」
「介者剣術でお行儀を良くしてはいけない。
剣が鈍い。もっと鋭く出来る。
身体の使いすぎ。
五手頂きましたが、この3点しかご注意を頂けませんでした」
「はあ・・・なるほどなるほど。そういう注意をされましたか。
他に何か言っていませんでしたか?」
「他にですか・・・砂糖山盛りで2点。馬術だけだ、と」
「本当にそれだけですか? 良く思い出して下さい」
何か大事な事を言われたろうか?
ううむ、とイザベルが腕を組む。
きっと、何でもなく聞こえて、実は大事な事を言っていたのだ。
順番に思い出してみよう。
「立ち会い前、マサヒデ様に手ほどきをうけたか、と聞かれました」
「それで?」
「いいえと答えましたら、全くの素の剣か、と言われました」
「そうですか。ううむ、流石は父上」
マサヒデがここまで感心することか?
カオル以外、誰も分かっていないようだ。
皆、訳が分からないという顔をしている。
「全くの素の剣というのは・・・
まあ、貴方はまだまだ赤子だという事です。
歩き方さえ分かっていない」
「は・・・」
「しかし、赤子というのは、総じて物覚えが早いもの」
「あっ!」
クレールが声を上げた。
は! とイザベルも顔を上げた。
マサヒデがにこにこして頷く。
「注意された3点は、今すぐにでも直せる・・・かな?
変な癖になっていると、ちょっと時間はかかりますが。
そうだ、こう言えば分かりますかね。武術の基本は、心技体」
「はっ! それで3つ!?」
「そして、赤子が立ち上がる訳です」
ぱ! とイザベルがマサヒデの足元にひれ伏して、
「恐れ入りました!」
----------
庭にマサヒデとイザベルが立つ。
これから、初めての稽古。
四半刻もかからないから、とマサヒデがイザベルに木剣を持たせた。
「これから教える事は、技と体の部分の基本中の基本です」
「は!」
「しかし、武術というのは、極めれば極めるほど地味になる事が非常に多い」
「は!」
「私の得物は刀。アルマダさんや貴方のように身体に恵まれていないから。
剣はそれほどですから、刀でも剣でも使える技術しか教えられません。
が・・・」
にや、とマサヒデが笑う。勿体ぶった物言いで、
「これから教えるのは、とある流派の・・・
基本でもあり・・・そして・・・奥義のひとつ」
「奥義!?」
「の、ひとつです。そして、基本でもあります」
「ど、どういう事でしょう!? 基本!?」
「ここに気付けるか気付けないか。
それが、そのとある流派の強者と弱者を分ける。
先程言ったように、極める程に地味になる事が多い。
地味も地味、実は基本が奥義だったなんて、武術ではよくある話です」
「その流派とは、一体!?」
「アブソルート流」
「アブソルート流!? ゲッダン=ツムジの、アブソルート流!?」
「おお、ご存知で」
「ご存知も何も、アブソルート流となれば、カゲミツ様がお若き頃に修行された道場こそ、アブソルート流の道場と!」
「おお、ご存知で」
マサヒデがにやにやしている。
「じゃ、お教えしますよ。ふふふ。奥義伝授って所ですか」
「は!」
「では、構えて下さい」
「は!」
ぎゅ! とイザベルが剣を握る。
「あ、ううむ・・・伝授前にここを直しましょう。握り方」
マサヒデがイザベルの手をとんとん指で突付く。
「こんな握りでなくてもよろしい。
刀を握るよう、もう少し開けて握って下さい」
「これで斬れましょうか?」
「剣は叩きつけて斬る、なんて言いますけどね。そんなの人によります。
貴方の力、振りの速さ、剣の重さ。十分です。鎧ごと軽く両断出来ます。
不安ならもっと大きな剣に変えてしまっても良い。
貴方の力なら戦鎚だって振れるでしょう」
「は!」
「さて、間を開けて握っただけで、貴方の振りの速度が劇的に上がります。
振り被って」
「は!」
イザベルが頭の上に剣を振り被る。
「力まず、握らず、ゆうっくり。左手をちょいーっと額の前まで出して」
「は!」
左が額の前。
45度くらいの角度で剣が止まる。
マサヒデがイザベルの頭上の剣を指先でつんつん叩き、
「ほらね。たったこれだけ動かしただけで、剣はここまで上がる。
しかも、全然力を使わずにですよ。もう少し出せば勝手に落ちる。
狼族の素早さなら、怖ろしい速さの剣になるはずだ」
「む、む・・・」
「ね? 刀の技術って凄いでしょう」
「はい!」
「逆に言えば、刀はこういう細やかな技術がないと使えない厄介者です。
さ、戻して。次は右手の使い方。右手も使い出すと、これがまた難しい」
「は!」
「右手は添えて前に出すだけくらいです」
「こう・・・」
ぽん、とマサヒデが右手で剣を止めて、左手でイザベルの手首を指差し、
「ここで手首を見てみましょう。ほら、この親指の付け根の所。
これ、注意されませんでした?」
「死に手」
「その通り。そうならないよう、手首はしっかり固めて。もう一度」
「は!」
ふううう・・・ゆっくり剣が落ちていく。
「まあ、このくらいですか。今、剣筋が揺れていましたよね」
「はい」
「右手は、この揺れを直すだけの役割です。
左手で剣をちょいと前に。右手は筋のブレを直す。これだけです。
だけと言っても、まあこれが難しいったらないんですよ。
とにかく、地味に素振りを重ねるしかないです」
「これが奥義」
「いえ。これは刀の振り方の基本であって、別にアブソルート流の奥義ではありません。貴方の力なら叩きつけなくても十分ですから、刀の振り方で良いというだけです。他の方なら、もっとこう、がつん! と力を入れ、更に体重も乗せないと中々斬れないから、剣でこの振りは難しい」
「つまり、私が狼族だから出来ると?」
「その通り。あとは鬼族、虎族、熊族・・・
とにかく、凄く力がある種族しか、剣でこの振りは難しいと思います」
「なるほど」
「ううむ、まだこの振りでは、金属鎧はちょっと難しいですかね。
中までは入るでしょうが、身体に挟まれて剣が止まったら・・・」
ううん、とマサヒデが首を傾げて、
「あ、イザベルさんの力なら軽く引けば抜けるから、考えなくても良いか。
数打ちの剣でも買って、森で竹に振って練習してみると良いでしょう。
次の段階もありますが、これである程度斬れるようになってからです」
「は!」
「さて、ここまでが技の部分。ま、握りを変えるってだけです。
次が体の部分。奥義となります。
身体の使いすぎという、悪い所を大きく改善してくれますよ」
「は!」
「では、中段に構え!」
「は!」
奥義と聞いてか、がちがちだ。
まあ、誰でもそうなるか。
「ううむ・・・ちとまずい。構えを解いて、がっくりして下さい」
「は?」
「ああ、もう人生終わりだ・・・この先どうしたらいいんだ・・・
と、そんな感じにがっくりして下さい。
ああ、そうそう。私に叱られた時みたいに」
クレールに手を引かれ、通りを歩いた。
がっくりしていた。
あんな感じ・・・
かくん、と首を落とし、肩も落とし・・・
「結構。そのまま頭だけ上げて、前に落ちないよう、背骨に乗せる」
「は!」
「駄目! 肩はがっくりです」
がっくり。もう駄目だ・・・
「そう。そのまま剣を構えて」
がっくりと力が抜けたイザベルの前に、剣が中段に置かれる。
マサヒデがしゃがんで、剣を握るイザベルの手に顔を近付け、
「ああ! 良い! 凄く良いですね! では剣先を見てて下さい」
「は」
「軽く握って下さい」
くん。
上がった。まあ、当然。握れば上がるか。
マサヒデがにやにやしながらイザベルを見上げる。
「今の凄さ、分かりました?
剣って、軽く握っただけで、これだけ勢い良く上がるんですよ」
「は?」
「良く分かりませんか? 握っただけであれだけ勢い良く、これだけ上がるなら、振り上げるのなんて簡単。凄い速さで振り上げられると思いません?」
「ああっ!」
マサヒデがつんつんと剣先をつつく。
「貴方の得物、これよりもかなり長い剣でしたね。
少しは力を入れて持ち上げていたでしょう?」
剣先の上がった分を、下から上まで手で広げて、
「でも、今、軽く握っただけでこれだけ上がった。
なら、握って上がる所で、軽ーく、ひょーいと持ち上げる。
これだけで、軽々と振り上げられると思いませんか?
上げる所はイザベルさんの感覚です。可能な限り力を必要としない所」
「あ、あ、あ」
「角度を変えれば、袈裟も横薙ぎも自由自在」
ぶんぶんとイザベルが頷く。
マサヒデが立ち上がって、
「狼族のイザベルさんだから出来る。もしかしたら、戦鎚でも出来るかな? ふ、ははは! 戦鎚でか! 凄い奥義になってきましたね! アルマダさんも出来ますけど、流石にイザベルさんの剣みたいな長い物では無理でしょうし」
マサヒデがにこっと笑って、
「はい。という訳で、奥義伝授、終了です。お疲れ様でした」
「あー、あっ、あっ、ありがとうございましたッ!」