第649話
街道。
カゲミツへの挨拶が終わり、稽古が終わった。
イザベルとカオルが馬を替え、ぽっくり、ぽっくりと歩いて行く。
「カオル殿、あの剣は一体」
「申し訳ありませんが、教えられません」
「あれが、この国の忍の剣術でありますか?」
「申し訳ありませんが」
「ううむ・・・強いて聞こうとは思いませぬ。
しかし、恐ろしき剣でありました」
「ふふふ」
「マサヒデ様は、カオル殿を軽くのされるとか」
「はい」
「ううむ!」
「ふふふ」
「カゲミツ様は、そのマサヒデ様を軽くのされる」
「はい」
「ううむ・・・これがトミヤス流・・・先が見えませぬ」
「武術はどこまで行っても先は見えません。
例え世の全てに勝ったとしても、その先はまだあります」
「頂点の先でありますか」
「今の世では、恐らく魔王様が頂点」
「で、ありましょうな」
「されど、魔王様を笑いながら指先で吹き飛ばす程の者もいる」
「なんと!?」
「ふふふ。そのような存在、想像もつきますまい」
「一体、一体誰が!?」
「イザベル様は魔の国の出でありましょう」
「そうですが、そのような者の話、聞いた事もない!」
「いえ。見た事がないだけで、ご存知のはず」
「誰だ・・・見た事がないだけで、知っている・・・」
「ふふふ。武を極めんとするならば・・・
そうですね、イザベル様は、まずはご先祖様を目指すと宜しいかと」
「我が先祖を?」
「はい。古の狼族は・・・いや、古の魔族、全体がそうでありましょうか。
皆、恐ろしく強かったそうです」
「恐ろしく強かった? カオル殿は、何か逸話などをお聞きで?」
「はい。具体的な強さはどのくらいかと言いますと・・・ブリ=サンク程の魔獣を倒せる程の強さであったそうです。流石に1人では無理で、死者も出たそうですが」
「あの大きさの魔獣ですか!?」
「あれほどの魔獣を想像してみて下さいませ。
シズクさんが鉄棒を突き刺しても、虫に刺された程度でしょう。
いくらなんでも、大きさが違いすぎる」
「うむ・・・でしょうな・・・」
「古の時代。今のように、まともな武器もなく、魔術もなく、武術もなく。
それでも山のように巨大な魔獣を倒せたのが、狼族です」
「我が先祖はそれ程でありましたか!」
「ふふふ。魔王様は、その魔獣を素手で殴って倒していたそうですが」
「・・・」
「魔王様に従った古の狼族とは、それ程の強者。ご先祖に並べましょうか」
「むう・・・」
「そこに辿り着いて、やっと一兵卒なのです。
狼族ならずとも、如何に今の世の者が脆弱になったか分かりましょう」
「しかし、魔王様の軍であらんとするのであれば・・・
そこに辿り着いて一兵卒。それが当然」
「その通り」
「ううむ!」
「当然、兵を鍛えんとするならば、それ以上が求められます」
「確かに・・・」
「まあ、率いるのであれば、強さよりも・・・臨機応変な頭と度胸・・・
兵に好かれるカリスマ・・・そういった所の方が重いでしょうが・・・」
「む、む、む」
「武とは、己の技を磨くのみならず。
ご主人様も、カゲミツ様も、周りによく好かれております」
「でありますな」
「心が磨かれておりますゆえ、お二人共、誰にでも好かれる。
当然、甘やかしているからではありません。
ご主人様の稽古に出てみられますと、よく分かります。
あれは厳しい。恐ろしさを感じる事も多い。
であるのに、稽古に来る冒険者は絶える事なく・・・好かれております」
「将の鑑ではありませぬか!」
「私は軍人ではありませんので、将云々は良く分かりませんが。
その感じは、何となく分かります」
くす、とカオルが笑って、
「そうそう。一度、ご主人様の稽古の参加者が激減した事がありました」
「マサヒデ様が、何かされたのですか」
「まあ、原因はそうとも言えますが・・・
カゲミツ様が覗きにいらっしゃいまして、そのあまりの厳しさに」
「カゲミツ様が?」
「マサヒデ様が、あまりカゲミツ様をおからかいなされたので、お怒りに」
「ええっ!?」
カゲミツをからかった!?
マサヒデ様は、一体何をしたのだ!?
「叩きのめされ、気を喪失しては水を掛けられ、骨を砕かれては治癒を掛けられて立たされ・・・ついに目が覚めぬまで。そのあまりの恐ろしさを見て、参加者ががくんと減った事がございました」
「それ程の・・・いや、戦場であれば当然ではありますか」
「ふふふ。イザベル様はそう見られますか」
「は」
「私は、後に思い出して、カゲミツ様の腕を改めて尊敬致しました。
そこまで酷く叩きのめして、死なせる事なく。
並の者であれば、相手は死んで当然の稽古です。
マサヒデ様をそこまで叩きのめして、殺さぬ腕。
ここまでなら大丈夫かな、と見ている余裕が十分にあるのです」
「むう・・・」
「それが剣聖。カゲミツ様です」
「恐ろしき・・・それほどの御方の稽古を受けられたとは・・・」
あっ。稽古。カゲミツとの立ち会い稽古。
裾の中に、懐紙に包まれた歯。
「ううむ、カオル殿・・・」
「どうされました? 変な顔をして」
「先程の立ち会いで、歯が・・・折れてしまいましたが」
「ああ! そういえばそうでしたね。
やけに顔が腫れていると思いました」
「ううむ、これは思い切り差し込めば治るでしょうか?
幸いにして、根本から折れずに」
「でしたら、ぐっと差し込み、治癒の魔術で良いのでは。
シズクさんに差し込んで頂きましょう。
治癒を奥方様か、クレール様にお願いしましょう」
ううむ、とイザベルが顔を歪める。
「痛い・・・でしょうな」
「まあ、それは当然かと」
「んむむ」
口を回し、ぺ、と吐き出す。
落ちた唾に、しっかり血が混じっている。
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魔術師協会、庭。
「口、開けて」
「あ」
シズクがイザベルの顎を取って、口の中を覗く。
正座したイザベルの横に、クレールが顔を青くして座っている。
縁側に、マサヒデと、これまた真っ青なマツが座っている。
「これか・・・うーわ、痛っそお・・・」
シズクが顔を歪める。
「ああ、いあい」
「クレール様、見て。ここね」
クレールが覗き込んで、青い顔で喉を鳴らす。
「はい・・・」
「いい? 私が歯を押し込む。したら、クレール様がすぐ指入れて、治癒」
「はい!」
「じゃあ、イザベル様、差し込むけど、絶対に噛んだりしちゃ駄目だよ。
噛んで変な方向に曲がっちゃったら、歯が折れちゃうかも。
折れちゃったら、もう治らないからね」
「ああ」
「腹に気合入れて! すごく痛いからね!」
「ああ!」
「行くよ!」
「ああ!」
シズクがそーっと歯を口の中に入れていく。
歯の根元の先が、つん、と歯茎に当たる。
「あ! あ!」
「我慢!」
ぴ、とシズクが指を固定して、左手の人差し指をゆっくり入れていく。
「押し込むよ! 気合入れて! 噛んじゃ駄目だよ!」
「ああ!」
ぐぶぎ!
「あー!」
ぐ! とシズクがイザベルの顔を横から押さえ、
「噛むな! クレール様!」
「はい!」
クレールが指を突っ込んで、ほわわーと治癒の魔術をかける。
「あ、あ、あ」
「ふうー! イザベル様、もう歯は痛くない?」
「ああ・・・ああ」
シズクが手を離し、クレールも指を出す。
「まだ動かないでね」
ん、ん、とシズクがイザベルの顔を左右から見て、
「クレール様、ここ。今、治癒魔術かけたのに、まだ腫れてる。
歯折った時に、下の骨もやったんだ。折れてはないね」
「はい!」
シズクが指差した所にクレールが手を当てる。
腫れがおさまり、元の顔。
「イザベル様、どう? 痛み無くなった?」
「あ、ああ。ありがとう・・・」
「待った待った。噛んでみて。軽い歯ぎしりとかしてみて。
歯だけじゃなくて、顎とかも痛くないか確認して。
口動かした時、顔も痛くないか」
かちかち。
くりくり。
んぐぐ・・・。
「どう? 変な感じない?」
「うむ。ない」
シズクが手拭いを出して、
「突っ込んで思いっ切り噛んでみて」
がじがじ。
「どう? 大丈夫?」
「うぇ、シズク殿の臭いが・・・」
「変な事言わないでよ!」
ぶん! とシズクがイザベルから手拭いを奪い取る。
「う、すまぬ、思わず・・・いや、大丈夫だ。噛める。
全く痛くないし、違和感もない」
ほう、と皆が息をつく。
マサヒデとカオルが小さく笑った。




