第648話
トミヤス道場。
もう昼近い。
カオルの剣が見られるのも、あと少し。
急がねば。
イザベルが早足で道場に向かい、がらりと戸を開けて座る。
「ここまでです」
ぴたりとカオルの竹刀が門弟の首元に止まった。
カオルが竹刀を引き、門弟も竹刀を引く。
「ありがとうございました!」
と、門弟が戻って来て座る。
「次の方」
「はい!」
イザベルの隣の門弟が立ち上がって、カオルの前に立って礼。
カオルも礼。
「では参ります」
カオルの竹刀が振られる。
(ん?)
遅い。
普通に振られた程度だが、カオルの身体から十分に余裕を感じる。
抜いているのか。
(んん?)
門弟も避ける。
避けた門弟の肩口に落ちていく。
変な剣筋。
はて。あれでは斬れまいに。
カオルが薙ぎ払う。
門弟が下がる。
追いかけるようにカオルの竹刀が伸びていき、ぽんと当たる。
振り下ろされた門弟の竹刀を流しながら、足を回すように引き首筋に。
「ここまでです」
「ありがとうございました!」
と、門弟が戻って来て座る。
「のう」
「は?」
「あのカオルの剣はなんだ?」
「我流と聞いております。マサヒデ様が良いので伸ばせと言われたそうで」
我流。忍の剣術を誤魔化しているのか。
しかし、あれが良いのか?
「マサヒデ様が、良いと? しかし、あれでは斬れまいが」
くす、と門弟が笑う。
「我らも最初はそう思っておりましたが、受けてみれば分かります」
「斬れるのか?」
「ええ。竹刀でも身体の内にまで響き、これは両断されると分かりました」
「ふうむ・・・不思議な剣だな」
門弟がカオルを見て、
「素人のように遅いでしょう。明らかに抜いておられる」
「うむ」
「しかし避けられないのです。不思議な剣です」
「避けられぬのか。しかも斬れるとな」
「大きく下がっても、こう・・・何と言いましょうか・・・
素人が剣に振られるようであるのに、何故か当たるのです」
「ううむ」
「まるで剣に振り回されるようであるのに、地に足がしかとついて崩れません。
柔らかく変幻自在で、重く、避けられぬ。実に不思議な剣です。
マサヒデ様が伸ばせと言われるのも分かります」
何とも言えない太刀筋で、ぽん、ぽん、と門弟に当てていく。
よくよく見ていれば、途中で太刀筋が微妙に変わる。
本当にあれで斬れるのか?
「我流、な・・・すまぬ、竹刀を」
「イザベル様は、休め、見取り稽古だと言われたではありませんか」
「頼む、どうしても受けてみたいのだ」
「カゲミツ様にバレたら、どうするのです」
「お主を巻き込まぬ。無理に竹刀を奪われたと言え。
それなら叱られるのは私一人だ。なあ、頼むから」
くす、と門弟が笑い、
「では、どうぞ」
「感謝する」
カオルの前の門弟が頭を下げ、下がって行く。
「次の方」
「私だ!」
大声を上げ、ぱ! と立ち上がる。
あれ? 門弟達がイザベルを見る。
休め、見取り稽古だと言われたではないか。
カオルも少し驚いてイザベルを見る。
ずかずかと歩いて行き、カオルの前で頭を下げ、
「その剣、変幻自在にて斬れる不思議な剣!
頼む! 一太刀で良いから、受けたい!」
「ううん・・・」
カオルが困った顔をする。
イザベルが深く頭を下げ、
「頼む! 頼むから! 一太刀だけで良い! この通り!」
はあ、とカオルがため息をついて、
「では、一太刀だけですよ」
「有り難い!」
す、す、と2人が竹刀を構える。
「カゲミツ様が戻られたら私も叱責されますから、お早く」
「分かった」
「では参ります」
一足一刀。
イザベルが踏み込みながら振り下ろす。
(ん!)
カオルが深く踏み込んできて、ぴっと袖を掠めた。
掠めたと感じた瞬間、がつん! と腹に入った。
後ろでカオルが回り、逆の脇腹に竹刀が当たっている。
「ここまでです。早く戻って下さい」
「くむ、む・・・ありが、とう、ございっ、ました・・・」
腹を押さえてイザベルが下がって行く。
「次の方」
後ろでカオルの声が聞こえる。
(何だあれは)
何と重い剣か。
これは斬られる。両断される。
脾腹に深く響いて、吐きそうだ。
腹を押さえながらよたよた歩いて、元の場所に戻って座る。
「すまぬ」
顔を歪め、隣の門弟に竹刀を返す。
「あれは斬れる剣だと分かりましたでしょう」
「腹に・・・中に響いた・・・吐きそうだ」
「次の機会には、避けてみて下さい。あの剣が避けられぬのです」
「うむ・・・」
うへぁ、と息を吐いて、カオルを見る。
避ける門弟に、ぽんぽんと竹刀を当てていく。
この太刀筋は読めるものではない。
「我の立ち会いで、カオルはどのくらいの割合で立ち会ったと見た」
「ううむ・・・私程度では良く分かりませぬが・・・
動きがはっきりと見えたので、3割、4割くらいでは?
まともに動かれますと、もう見えもしませぬ」
あれで3割か4割・・・
これでは避けられもしない。
「マサヒデ様は、あのカオル様を軽くいなされるとか。
いや、恐ろしき腕です」
「全くだ。我はそのマサヒデ様に立ち会いを望んだんだのだぞ。
ううむ、何と恥ずかしい事か」
緩いダンスのように、カオルの剣が伸びたり回ったり・・・
「しかし、我流だそうだが・・・我には美しい剣に見える。
大体、我流の剣と言えば、粗雑な動きに見えるが・・・」
「はい。剣が自然に動いていきます。
剣を使うのではなく、剣と一体になっているような・・・
身体も剣も同じような・・・上手く言葉には出来ませぬが」
「ううむ・・・美しい。されど、怖ろしい。
まさに、刀の美と武を体現したような剣であるな」
「さすが、上手い表現をされますね」
「む、そうか?」
「はい」
「ふふふ。ハワード様には負けるわ」
くす、と門弟が笑って、
「この道場に、アルマダ様に口で勝てるお方はおりませんよ。
あれにはカゲミツ様も敵いますまい」
「我が逸って動いた時、ハワード様は何と仰られたと思う。
命はとっておきのドレスゆえ、着る場を間違えるなと言ったのだぞ。
カジュアルな場で、そんな気合の入ったドレスを着るな、だぞ」
「これはまた、アルマダ様らしい」
「されど、的確な指摘よな。流石、マサヒデ様と双璧をなす高弟である」
「ふふふ。いつもそんな事を言っておられるので、ハワード様には女性の噂が尽きませぬ」
「何? 女癖が悪いのか?」
「いいえ。手を出す事はございませぬが・・・」
「が? 何だ?」
「一度、ハワード様の稽古に参加なさってみては。
稽古の様子は、この村にもよく聞こえております。
女しかおらず、男は締め出される始末だそうで。
一振りするたびに、黄色い声が上がるとか。
ハワード様が着た稽古着の洗濯には、ギルドのメイド達が群がるとか」
「ううむ・・・何と言うか、それもちと怖ろしいな・・・」
「マサヒデ様も町中で有名になっておりますな」
「む、そうだ、それを聞きたい」
ぐ、とイザベルが身を乗り出すと、
「そこ! イザベル様!」
カオルの声が響く。
「は! むっ」
ぴし! とカオルが竹刀をイザベルに向け、
「いい加減になさりませ! 見るのも稽古です! 雑談は休憩時間に!」
「失礼しました!」
ぴしりとイザベルが背を伸ばす。
気不味い顔で、目を隣の門弟に向け、
(すまぬ)
(構いませぬ)
と、小声で囁きあう。