第647話
トミヤス道場。
すさーと門弟が道場の入口を開けた所で木刀が飛んできて、ぱ! と後ろからイザベルが手を伸ばし、門弟の顔の前ではっしと木刀を受ける。
「あぶねえーっ!」
驚いた顔で、カゲミツがこちらを見ている。
カゲミツの前に、目を見開いたカオル。
「おい! 大丈夫か!?」
「あっ、大丈夫・・・です・・・」
門弟がごくりと喉を鳴らす。
ふう、とカゲミツが肩を撫で下ろし、
「いやあ・・・イザベルさん、済まねえ」
「いえ。お役に立てまして何よりです」
小さな声で、固まった前の門弟に「さあ」と声を掛ける。
門弟が壁際に歩いて行く。
イザベルがカオルの所に歩いて行って木刀を返すと、カオルが頭を下げる。
「いやー、すまんすまん。カオルさん、ちょこっとだけ良くなったよ。
うん、ちゃんと伸びてる伸びてる」
「ありがとうございます」
「じゃ、竹刀に変えて、あいつらに稽古つけてもらえる?
俺、弓の奴ら見てこねえと」
「は」
「イザベルさんは見取り稽古。休んでても目で見て盗めよ」
「は!」
ぴ! と頭を下げ、下がって行こうとした時、
「あ! ちょっと待った!」
「は」
カゲミツの声が掛かって振り返る。
「忘れてた。弓に魔族の奴いるけど、挨拶しに行くか?」
弓? 魔族?
もしかして、マサヒデを闇討ちしようとしたという者か?
あの焼き鳥の屋台で聞いた話では、道場へと・・・
「参ります」
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(この稽古は何だ!?)
弓の稽古場に来て、イザベルが驚きながら歩いて行く。
なんと、腕に小皿を乗せて射っている!
しかも長弓で!
「カ、カゲミツ様?」
「ん?」
「あの、皿は、どういった?」
「ああ、魔の国じゃ知らねえか。人の国だと、結構知られてる稽古だぞ。
実際にやってる所はあんまねえけど」
「え!?」
「昔の・・・ええと、なんてったかな・・・すまん、忘れた。
とにかく、弓の名人がやってた稽古だよ」
「・・・」
「この辺は中級の奴らだから・・・」
カゲミツが奥の方を指差し、にやっと笑って、
「あいつらは水入れてやってるぞ」
驚きに声も出ない。
口を開けて、門弟達を見つめていると、からん、と皿が落ちた。
む! とカゲミツがそちらを向いて、
「やり直しだ!」
「はい!」
すたすたとカゲミツが歩いて行き、イザベルも付いて行く。
ここが上級者・・・
カゲミツが門弟の横に立ち、じっと門弟の皿を見つめている。
門弟が矢を取って、きりきりと引いていき・・・
「揺れたぞ。矢を置け」
「はい!」
まさか・・・水が揺れただけで・・・
イザベルが恐る恐るカゲミツの横に並び、じっと小皿を見る。
確かに、水が入っている。
きりきり・・・
「矢を置け」
「はい!」
ごく、とイザベルの喉が鳴る。
こんな弓を扱える者と戦えるか!?
近付く前に、鎧の隙間を全て射抜かれそうだ・・・
「全く、こんな引きの弱い弓で何やってんだか」
ぶつぶつ言いながら、カゲミツが歩いて行き、正座している女を指差す。
「あいつ。挨拶してきなよ。俺はこっちにいるから、適当に戻っててくれ」
「は・・・」
カゲミツがゆっくり歩きながら「やり直し」とか「もう1射」とか大声を出している。背中にその声を聞きながら、じー、と瞬きもせず真剣な顔をしている女の横に立ち、
「稽古中、失礼する」
かく、と女の肩が落ち、ぎゅ、と目を瞑ってから、イザベルを見上げる。
「イザベル=エッセン=ファッテンベルクと申す」
「え」
ぎょ! と女が驚いてイザベルを見る。
「魔族の者がおると聞いて、挨拶に参った」
「あの、失礼致します。今、エッセン=ファッテンベルクと?」
「いかにも。エッセン=ファッテンベルク」
魔の国一の武門の家の、エッセン=ファッテンベルク!?
という事は・・・この獣人の女は、狼族だ・・・
「エ、エミーリャです」
イザベルが怪訝な顔をして、
「弓の稽古をしておるのか?」
「はい」
エミーリャの手に弓はない。
んん? と周りを見渡す。
「・・・どんな稽古なのだ?」
エミーリャが前を指差し、
「あちらに、蟻が吊ってありますので、それを見ております」
「何?」
「目を鍛える訓練でして」
「目・・・」
指差された方を、目を細めてじー、と見る。
風が吹いたか、ちらりと何かが見えたような・・・
「ううむ・・・我には全く見えぬ・・・」
「私も、何とか見える程度で。やっとこの距離になりまして」
「何とか見える? 見えるのか?」
「はい」
「う、ううむ・・・トミヤス流は想像を絶する稽古をするな・・・」
「しかし、確実に強くなれます。
ファッテンベルク様は、此度はトミヤス道場のご見学に?」
「イザベルで良い。今日は挨拶に来た。
先日、我はマサヒデ様の家臣に取り立てて頂いた」
「え!?」
「それ故、カゲミツ様に挨拶に来たのだ」
ぐむむむ・・・と、エミーリャの胸に猛烈な嫉妬が湧き上がる。
私は門前払いされたのに!
と、はっと気付いた。
鬼、レイシクラン、メイド。あのうちの誰かを倒したのか?
いや、あり得る。武門で名高いファッテンベルクなのだ。
「イザベル様は、マサヒデ様の周りのどなたかを、倒されたのですか?」
「いや。我ではとても敵わぬ」
何!? ではなぜ家臣に!?
種族か!? 家か!?
「家臣と言っても、給与は出ぬ。
その上、一文無しで、仕送りも禁止されておる。
持っていた物も、全て家に送り返した。
今は住む所もなく、野宿をしておる。
自分で働いて稼がねば、家臣ではおれぬという条件だ」
「む、むむ・・・」
ぎぎぎ・・・
そのくらいなら私にも出来る!
なぜ家臣にまで取り立てられたのだ!?
嫉妬の炎を巻き上げるエミーリャを見て、イザベルは少しはにかんで笑い、
「どうやら、我はマサヒデ様を・・・狼族の血で主と認めてしまったそうな。
自分ではよう分からぬが、そう言われた」
「さっ、左様でしたかっ・・・」
きりきりきり・・・
「先程、カゲミツ様に散々に打ちのめされた。
剣も、身体も全くだと・・・我にあるのは馬術のみ。
馬術のみは何とか認められ、代稽古に来ることを許された」
「ええっ!? 代稽古ですか!?」
エッセン=ファッテンベルクはやはり違った!
まさか、トミヤス道場で代稽古とは!
「うむ。気が向いたらで構わんから、馬術にも来て欲しい」
「は・・・」
「ところで・・・初対面で聞くのも、その何だ、非礼と承知で尋ねるが」
「なんでしょうか」
「エミーリャ、と言ったな」
「はい」
ちら、ちら、とイザベルが周りを軽く見て、エミーリャに顔を近付け、
「ううむ、答えづらいのは承知で尋ねる。お前が、その・・・
マサヒデ様の稽古に入って、闇討ちをしようとした者か?」
「うっ・・・」
気不味そうに、エミーリャが目を逸らす。
「ふふふ。そうか。何、我も似たような者だ。我は朝駆けよ。
が、マサヒデ様に手も足も出ず、たった一太刀で負けた。
不思議な立ち会いであった! 互いに、真正面から突いたのだ。
我の突きはマサヒデ様の横に逃げて行き、マサヒデ様の突きはここに。
はっと気付けば、喉元にマサヒデ様のお刀があってな」
くい、くい、と指で顎を持ち上げ、にやっと笑って、
「ほれ、切先でこのようにされてな。
続けるかと問われ、尻尾を巻いて、降参だ、と声を絞り出して助かった。
心得が甘すぎる、貴族剣法と馬鹿にされる良い例だ、などと言われた。
命が助かった安堵と、我の不甲斐なさに、手を付いて泣いた」
「泣いて・・・」
この人も泣いたのか。
エミーリャの嫉妬心が、何故か、すうっと消えた。
「私も、泣きました」
「そうか」
イザベルが小さく笑い、
「ここで魔族の者と話せて、良かった。では」
くるりと振り返って、イザベルは道場に歩いて行った。