第645話
トミヤス道場、馬術稽古場。
稽古場とは名ばかりの、ただの草っぱら。
横を見れば、繋ぎ場と水飲み場。
あれ? あれ? とイザベルとカオルがカゲミツの所に歩いて行く。
カゲミツが気不味そうに頭をぼりぼりかいて、
「いやあ、まだまともに用意も出来てないんだ。
これからこれから。
馬もまだよく慣れてねえしなあ」
少し土が盛ってある所があるし、杭が打ってある。
イザベルが小さく首を傾げて、
「ふむ? ここでは・・・主に障害走の稽古をされる予定ですか?」
「ああ。ただ走らせるだけなら、その辺の野っぱら走れば良いからな。
田舎だから、いくらでも広さはある」
「なるほど、なるほど・・・」
イザベルがぐるーっとゆっくり周りを見渡す。
「カゲミツ様。進言をお許し頂けますか」
「お? 何かあるか?」
「ここで障害走の稽古などせずとも宜しいかと存じます」
「ほう! そりゃまたどうして」
「作られた障害で稽古など、馬が慣れてしまえば大した稽古にはなりません。
馬が覚えてしまえば、目を瞑っていても勝手に乗り越えて走ります」
「なるほど。言う通りだな。じゃ、どうしたら良いかな?」
イザベルが稽古場の向こうの林を指差し、
「あの中で走らせると宜しいかと。
見た所、あまり木も混んでおらぬ様子。
実際に自然の中の障害を走らせる。これが実戦で使える障害走です」
「ううむ! 手厳しいね・・・しかし、その通りだ」
「慣れるまでは軽く歩かせる程度で。
慣れておらねば、馬は小さな毛虫にも驚いて立ち上がる始末。
最初はそれを押さえ、落ち着いて歩かせる事が出来れば初級」
「ふむ。それで初級か」
「押さえる必要がなければ中級。
乗っている事で馬を安心させる事が出来て、まあ乗れると言った所」
「ほう! そこまで出来て中級!」
「あの林の中を自由自在に走らせる事が出来て上級。
勿論、雨晴の天気に関わらず出来て、です。
大まかにですが、障害走はこんな所でしょうか。
出来る頃には、平地で走らせるなど、寝ながらでも出来ましょう」
「ふうん・・・障害走については分かった。
じゃあ、馬上戦の稽古はどうかな?
何か意見はあるか?」
「まずは馬上弓術! 槍剣刀で戦うのはその次!
ここは広いですし、馬上弓術の稽古をここで行うと良いかと。
金は掛かりますが、鉄砲も宜しいかと存じます」
「なぜ弓術が良いのかな?」
「戦となれば、馬の最大の強みは速さと機動力。
馬は、重さを生かした一撃必殺の突撃も確かに強い。
されど、戦と決闘とは違います。
突っ込んで来ると分かれば、矢の一本で馬の足は簡単に止められます。
馬も人もがっつり鎧で固めておれば、ただ突撃でもよろしいのですが」
「相手から離れて、素早く動きながら矢を射掛けた方がより実戦的」
「如何にも。その隙間を縫い、突撃は一瞬!
ただ駆け去るのみ! 駆け去った後に残るは屍のみ!
これがファッテンベルクの軽装馬の戦の法」
左手で拳を作り、右手で輪を作るようにくるーっと回しながら、
「離れて矢を射掛け、相手に間を与えず足を止め・・・」
とん! と右手の指先を左拳に当てる。
「隙あらば確実に仕留める。
突撃を仕掛ける隙を作れるかは、全て弓術と馬の走らせ方に掛かります。
簡単に狙われぬ緩急自在な走らせ方は、障害走で鍛えられます」
「なあるほど!」
イザベルの後ろでカオルが唸る。
サクマが教えてくれた戦い方とはまた違う!
どちらも正しい。
どちらも理に適っている。
サクマの教えは、幅広く応用は出来るが、至極単純な戦い方であった。
円の動きで走り去り、そのまま離れる・・・
このサクマの教えに、イザベルが言う弓、鉄砲を合わせられたら・・・
離れても隙間なく相手を捉えて足を止め、突撃で一撃必殺。
理想の戦い方だ。
今の我々にどこまで出来るか、どう応用出来るか・・・
カオルがきりきり頭を回らせていると、
「おおっとお! 来たぞ!」
カゲミツが振り向いて、カオルとイザベルも顔を向ける。
見事な馬が4頭。
さすが、アルマダの騎士達が見立てた馬だ。
「おうおう、緊張してるなあ! ははは!」
奥にはずらりと門弟が並んでいるし、見慣れぬカオルとイザベル。
馬が落ち着かず、ぶるぶると首を振り、小さく鳴いている。
「さあってと・・・イザベルさん。あんたのご指摘には恐れ入った。
全く、言い返す言葉もねえ。俺は馬術のぺーぺーって事だ。
さて! その教えを実際に見せてもらおうか!」
カゲミツが前に出て、
「この4頭!」
ぴ! とイザベルが言った林を指差し、
「少し慣らしてもらえねえかなあ?」
カオルが馬を見る。
カゲミツはにこにこ笑っているが、これは厳しい。
耳が後ろに寝ている。
尾を巻いている。
完全に警戒している馬の姿。
イザベルは小さく首を傾げ、
「さすがに今日1日で相棒に、とは参りませぬが・・・」
「十分十分! 相棒にするにゃ時間が掛かって仕方ねえ」
ちょいとカゲミツが親指で門弟を差し、
「まずはあいつらが乗って、馬ってどんなかなあ? 馬って可愛いなあ!
そーんな所が分かる程度にしてくれれば良いんだ」
「つまる所、乗れれば宜しいので?」
「そうそう!」
はて、とイザベルが首を傾げる。
「それで宜しいのですか?」
「そうなんだよ! 良い馬だけど、あれだよ。悍馬ってやつでさ」
「悍馬ですか?」
イザベルが首を傾げながら一歩出ると、ぴく! と馬が顔を上げる。
じー・・・
ぴ、と軽くイザベルが手を挙げ、
「よし。静まれ」
寝ていた耳がぴん! と立ち上がり、じっとイザベルを見ている。
右端の馬の前まで歩いて行く。
まだ尾が巻かれているが・・・
「恐れずとも良い。我は何もせぬ」
すた、すた。
左の馬の前。
「宜しい」
すた、すた。
更に左の馬の前。
んん、とイザベルが首を傾げ、
「ふむ? お前が悍馬か? 小心者ではあるな。
もっと自信を持て。良い足である」
すた、すた。
左端の馬の前。
「ふうむ・・・悍馬とはお前か? 嘘をつくなよ?」
じー・・・と馬達がイザベルを見ている。
「はて・・・悍馬・・・」
くるりとイザベルが振り返り、すたすたと歩いて、馬から少し離れて立つ。
「宜しい! 控えろ!」
顔を立てていた馬達が、すーと頭を下げる。
む、とイザベルが頷き、カゲミツの前に戻って来て、
「カゲミツ様、ご覧下さいませ」
「は? 何を見れば良いんだ?」
「あの馬の頭の高さ。大体、背中と同じくらいの高さでございます」
「ああ、うん」
「大体、あのくらいが、馬がリラックスしておる高さでございます。
まあ、個の癖で多少の違いはありましょうが」
「あ、そうだったんだ」
「口をご覧下さいませ」
「口」
「何も食べておらぬのに、こう・・・
何と言いましょうか、もぐもぐとしております」
「してるな」
「あれをしておれば、馬は喜んで言う事を聞いてくれます」
「そうなんだ」
「はい。耳をご覧下さいませ」
「ああ」
「後ろに寝ておらねば、馬は嫌がってはおりませぬ」
「ああ、最初寝てたよな。あれ、ビビってるんだよな」
「私がおりましたからでしょう。初めて見る者で、威嚇しておったのかも」
「そう?」
「おそらく。何もせぬと分かりましたようで、安心しております」
「そうか・・・」
「カゲミツ様、もはや乗れると思いますが、本当にこれで宜しいので?」
「そう? 乗れる?」
「はい」
「えっと・・・じゃあ、それ、その右のでちょっと走ってもらえる?」
「は!」
くるっとイザベルが振り返り、門弟の手から手綱を取る。
ぽん、と軽く首に手を置いた後、しゃ! と乗る。
「・・・」
あれだけ人を嫌がっていた馬が、動きもしない。
カゲミツも門弟達も、驚きで声も出ない。
「はあっ!」
ばかかっ、ばかかっ、ばかかっ・・・
イザベルと馬が林の中に入って行く。
カゲミツに見えるよう、奥まで行かず、林を横に走って行く。
カゲミツが唸って、腕を組んで走るイザベルを目で追う。
「ううむ・・・カオルさんよ・・・」
「は! あれがサクマ様に認められた、万人に1人の才でございます!」
皆に聞こえるよう、少し声を張る。
イザベルと馬がくるりと回り、林の中を駆け戻ってくる。
木の間をくるくると綺麗に走ってくる・・・
「いや、見事だ」
林を出て、イザベルが常歩でゆっくり戻って来て、カゲミツの前で下馬。
イザベルが頭を下げると、カゲミツがにやと笑って頷き、
「やるな」
「有り難きお言葉!」
「よし。道場に戻ろうぜ」
「は!」