第642話
オリネオの町、門前。
衛兵に尋ねてみたが、やはり門前に個人の野営は許されないそうな。
衛兵の松明の火を借りて、買ってきた松明に火を点け、イザベルは森に向かって風のように走って行った。松明の明かりがあっという間に遠ざかる。
松明の火が点のようになり、明かりも見えなくなり、マサヒデは振り返って魔術師協会へと戻って行った。
明日、卯の刻(6時)。
イザベルがトミヤス道場に向かう。
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からからから・・・
「おかえりなさいませ」
「遅くなりました」
カオルが手を付いて迎えてくれた。
足を払って、居間に入る。
「おかえりなさいませ」「マサヒデ様ー!」「おっかえりー!」
「やあ、遅くなりました」
マツが柔らかく笑って、
「どうでしたか?」
「何とかひと通りは揃えましたよ。
冒険者心得なんちゃらって本は、明日渡しましょう」
「どこにお泊りに?」
マサヒデが笑って、
「森の中。ふふ、マツさんがお祈りしてた辺り」
「もう・・・忘れて下さい!」
「ははは!」
クレールが、んー? と首を傾げ、
「町の中ではいけないんですか?」
「探せばあるでしょう。畑とかもあるし、その隅を借りたりしても良い。
代わりに畑仕事を手伝うとか」
「今日はなぜ森に?」
「町の中に居たいなら、イザベルさんが自分で場所を探さないと。
彼女はもう冒険者になったんです。
宿を借りるにしても、場所を借りるにしても、全部自分で。
あの森を教えたのも、かなり優しくしてあげたんですよ。
では後は自分で、と放り出しても良かったんです」
「うはー! 厳しいねえ!」
「無一文からって条件ですからね。
そこはしっかり守ってもらいますが・・・」
カオルが温めた夕餉の膳をマサヒデの前に置く。
「ありがとうございます。頂きます」
はー! と息をついて、茶を一口。
汁をすすって、がつがつと飯を放り込む。
ごくっと飲み込み、
「ま、イザベルさんなら、すぐ金を貯められる。
みっちりこなせば、3、4日で見習い期間も終わるんじゃないですか。
順調に行けば、最低ランクも1週間で終わるでしょう。
駆け回ってれば、規定の依頼数なんてあっという間にこなせます。
力仕事も配達仕事も、1日で何件も出来ちゃいますよ」
「さすがイザベルさん! すごいですね!」
「ええ。金もどんどん貯まるでしょうね。
見習い、最低ランクでも、日に金貨1枚近く稼げるでしょう。
あの身体能力は、普通の獣人族とは格が違います」
「そんなに稼げますか?」
「稼げますよ。低いランクの依頼なんて、1人で完璧に、あっという間に終わらせられる。多分、高いランクで時間が掛かる仕事より、安い仕事を大量にこなしたほうが稼げるでしょうね」
「ランクが低い仕事の方が良いんですか?」
ずずっと汁をすすり、
「多分ですけどね。イザベルさんは、今は組んで仕事をするには向いてない。
1人で簡単にこなせる仕事を、大量にこなした方が良いと思います。
まあ、実際にやってみないことには何ともですけど・・・」
魚を頭からかじって、飯を放り込む。
「カオルさんはどう見ます?」
カオルは頷いて、
「ご主人様と全く同じです」
「ですよね。弓でも買って、森で狩りでもしたら、肉も皮も売って。
イザベルさんなら、さくさく狩れますから、どんどん金が貯まる」
マサヒデはちょっと首を傾げて、
「ううむ、1年もしたら、結構良い宿で暮らしてるんじゃないですか?
宿を我慢して森で暮らしてれば、良い装備を揃えてるでしょう。
ベテラン冒険者と変わらないくらい」
「ひゅーう!」
シズクが口を鳴らす。
「ただ、大きな問題は貴族だって所」
クレールが悲しい顔をして、
「やっぱり、皆から煙たがれるんでしょうか」
「それはイザベルさん次第です。
クレールさんだって、皆と仲良くしてるではありませんか。
貴族だからという問題は、別にあります」
「別って、どういう問題ですか?」
「ドレスやら香水やら、高級品を揃えていかないといけない。
またパーティーがあれば、イザベルさんも連れて行かなきゃ。
イザベルさん個人が呼ばれる事もあるかも知れない。
貧乏貴族とは言っても、魔の国一の武門だって名声は凄く高いんです」
カオルが気不味い顔をして、
「あの、ご主人様」
「ん? 何でしょう」
「礼服だけは、私が預かりました。
冠婚葬祭は、いつあるか分かりませんし」
マサヒデは軽く手を振って、
「ああ、その程度、別に構いませんよ。
他にも大量に金を掛ける必要がありますからね」
「他って、どんな所でしょう?」
「例えば香水。ひとつ買うのに、どれだけ掛かるでしょう。
日に金貨1枚。香水1瓶が金貨100枚だとして、3ヶ月以上。
半額でも1ヶ月半以上。
大変ですよ、これ。宝飾品もいる。靴もいる。
ドレスも場に合わせた物が必要だから、何着も必要。
そのドレスに合わせた香水や宝飾品も揃えて・・・もうきりがない」
「ん、んん・・・」
「貧乏貴族って言いますけど、我々平民と貴族って、それだけ大きな格差があるんですよ。クレールさん、金貨1枚って、平民の暮らしなら慎ましくしてれば1ヶ月は働かずに過ごせる額なんです」
「むーん・・・」
「和装で揃えれば、安くは済みますが・・・
それだって、金貨がどれだけ必要ですかね。
名声があるだけに余計厄介だ。
名に合わせた服を仕立てなきゃいけない」
皆が下を向いて黙り込んでしまった。
カオルだけが、静かに落ち着いている。
「イザベルさん、いつここに気付きますかね。
今は私と稽古出来るって頭が一杯ですけど・・・」
「あの」
クレールが口を出した所で、マサヒデがぴしゃりと止める。
「お金を出すのはいけませんよ。
私と稽古がしたいなら、冒険者で稼ぐというのが条件。
クレールさんが出したお金をイザベルさんが受け取ったら・・・
ま、言わなくても分かりますね」
「はい・・・」
「まあ、受け取っても家臣をクビにするというわけではない。
私が稽古をしないというだけ。
道場に通えば、父上からトミヤス流は学べる。
道場が嫌なら、アルマダさんから学んでも良い」
マツが不安そうに、
「イザベルさんはどうするでしょうか。
誇り高そうな感じですし、マサヒデ様と凄く稽古をしたがっておりますし。
きっと、お金を受け取ろうとはしないでしょう。
でも、パーティーのお誘いがあったら・・・」
「さあ、どうするでしょうかね。
誇り高い。うん、私にもそう見えます。
皆さんが手を差し伸べても、イザベルさんは手を払うでしょう。
しかし・・・彼女にどうにか出来ますかね」
しばしの沈黙。
ぐ、とマサヒデが茶を飲み干す。
カオルが新しい茶を注ぎ、
「時にご主人様、パーティーで思い出したのですが」
「ん、何でしょう」
「ギルドの倉庫に、贈り物が貯まっております。
そろそろ受け取りに来て欲しいと」
「えっ? 贈り物? ギルドに?」
「お七夜のパーティーのお話が方々に伝わったようで・・・
贈り物はあちらで受け取るよう、手配しておきました。
方々の貴族や役人から色々と届いております」
マサヒデが天井を仰ぎ、
「ああー! それで来なかったのか! 大丈夫だったかと・・・」
は! とカオルを見る。
「ああっ! 陛下からは来てないですよね?」
「今の所は。しかし、近日中に必ず来ますよ」
「参ったあ・・・今度は馬車何台分だろう・・・」
あ、とクレールが顔を上げてにっこり笑い、
「私にお任せ下さい! 刀とか以外は、私が全部処分しておきますよ!」
「ふう・・・すみません。お願いします」
マサヒデがうんざりして息をつく。
「はい! 明後日には必ず!」
クレールがにっこり笑って、マツの方を向く。
ついさっきまで沈んでいたのに、こんなに明るくなって・・・
マツが怪訝な顔で小さく首を傾げた。