第639話
職人街。
屋台が並ぶ十字路を右に曲がり、3軒目。
『男の作業品店』
でかでかと勢いある字で書かれた看板。
「・・・」「・・・」
イザベルが顔をしかめているのは、臭いだけではなかろう。
何と汗臭い店の名か。
「入りますか」
「は・・・いえ、マサヒデ様・・・」
イザベルが不安そうな顔をマサヒデに向ける。
「汗臭い名前ですけど、古物屋ではありませんし。
多分、大丈夫ですよ」
「は・・・」
がらり。
「へらっしぇーッ!」
う、とマサヒデもイザベルも一瞬止まってしまった。
すごい気迫の挨拶だ!
「どっ、どうも・・・」「失礼、致す・・・」
つるつるに剃られた頭に、ねじり鉢巻。
シズクやホルニにも負けない筋肉。
ぴちぴちの袖なし。
殺気はないが鋭い目。
「何をお探しで!」
「つなぎを・・・」
「おう、つなぎか! よっしゃこっち来な!」
店主が顎をしゃくってずんずん店の奥に入って行く。
臭くはないが、この店主の勢いはすごい。
「・・・」「・・・」
言われるまま、肩をすくませて付いていく。
何もしていないのに、2人は怒られた子供のようだ。
服が掛けられた棚の前で店主が仁王立ちになり、
「これだ! あんちゃんだとこの大きさだな!」
ば! と勝手に店主が選んで、マサヒデに押し付ける。
「ああ、いえ、つなぎはこちらの」
と、マサヒデがイザベルの方を見る。
ああ!? と店主がイザベルを見て、
「何い!? てめえら! うちの看板見えなかったのか!?
うちは『男の作業品店』だ!」
「す・・・すみません・・・」
「申し訳ない・・・」
マサヒデ達が小さくなっていると、店主がげらげら笑い出し、
「だーはははははー! 冗談! 冗談だ! 客選びなんてしやしねえって!
悪党以外なら誰でも売ってやるよ!
さ、ねえちゃん、荷ぃ下ろして、色々試してみな!」
「ははっ! 感謝致します!」
「ははははは! おう、試着室なんかねえから、そこのドア入ってな。
汚え倉庫だが、勘弁してくれ!」
「は!」
「ぴったりじゃなく、緩かあねえがちょい大きいか? てくらいの奴を選べよ。
下に色々着ても平気なようにな」
「は! ご助言、感謝致します!」
かちゃかちゃとハンガーを鳴らし、イザベルが服を見ていく。
「おう、兄ちゃん」
「はい」
先程までの勢いは消えて、にこやかな笑顔。
くい、と親指でイザベルを指差し、
「新米の冒険者か」
「はい。あ、私は違います」
「ふふふ。食い詰め浪人ってか?
あの姉ちゃん釣って、働かせて絞ろうってんじゃねえだろうな?」
「ははは! 違いますよ! 一応、食べていけるだけの金はありますし。
私はこれで食べてます」
ぽんぽん、と雲切丸の柄に手を乗せる。
「ほう! 人斬りってか! そんな風にゃあ見えねえが」
「やめて下さい、人聞きの悪い。武術を教えています」
「へーえ! 若いのに腕はあるのか?」
「いいえ。大したことはありません。それなり程度です」
何着か服を抱えて、イザベルが中に入って行く。
「あれもお弟子さんかい?」
「弟子というわけではありませんが、これから教えます。
大体、私みたいなひよっ子が弟子なんて取れませんよ」
「ははは! そりゃあそうだな! で、道場はどこだい?」
「いやいや、弟子も取れないひよっ子が道場なんてありませんよ。
冒険者ギルドで、冒険者さん達に手ほどきをしています」
ほう? と店主が顔を変え、
「おう、冒険者相手にか? て事ぁ、それなりの腕はあるって訳だ」
「ええ。それなりです」
「ん? ちょっと待て。冒険者に教えてるのか?」
「ええ。何か?」
ん? と店主が首を傾げ、
「兄ちゃん、若いなあ?」
「ええ。まだまだ若造です」
「んん? んんー?」
店主が首を傾げ、天井を見上げ、床を見て、ぱ! と顔を上げ、
「ああっ! 思い出したぞ! 兄ちゃん、もしかしてトミヤスか!?」
「はい」
「おお! 兄ちゃんがトミヤス!
あの300人抜きのマサヒデ=トミヤスか!」
「まあ、そうです」
「そおかそおか! そおだったか! いや、うちに来てくれて嬉しいぜ!」
「恐れ入ります」
「何を言いやがる! 恐れ入ったのはこっちだぜ!
この職人街にゃあ、しょっちゅう来てるそうじゃねえか!」
「ええ。ホルニさんやイマイさんが居ますからね。
いつもお世話になっています」
「待て。ホルニさんは分かるが、あの変態もか?」
ふ、とマサヒデが小さく吹き出し、
「ははは! 変態ではありますが、研ぎの腕は一級じゃないですか!」
「まあそうだな! ここにまともな研師はあいつしかいねえしな!
いやまともじゃねえか! ははは!」
「ええ。それに武術も一級ですからね」
「何? 武術?」
「あ、やっぱり皆さん知らないんですね。
イマイさん、剣術で段位持ってますよ。
抜刀術は私の遥か上です」
「嘘だろ!? 兄ちゃん、トミヤスだろ!? 遥か上!?」
「本当ですよ。私、イマイさんから抜刀の手ほどき受けたんですから」
「イマイがか!? 兄ちゃんに!?」
「そうですとも。研師としても一級。刀の鑑定士としても一級。武術も一級。
変態ですけど、すごい方ですよ」
「いや、研ぎは分かる。それが仕事だからな。
鑑定も分かる。研いでりゃあ詳しくなるに決まってるもんな。
だが、武術が一級てのは信じられん・・・」
「ふふ、試しにイマイさんと立ち会ってみたらどうです?
瞬きした瞬間、目の前に刀が抜かれていますよ」
「うーむ! あの変態、武術も変態だったか!
研ぎに鑑定に武術! 三重の変態だな!」
「ははは! 三重の変態ですか!」
笑いながら店を見渡す。
工具も並んでいるが、色々な日用品も置いてある。
「ところで、このお店、色々置いてありますね?
てっきり、工具とか作業着みたいな物ばかりかと思ってましたが」
店主が紙束を取って、
「ああ、雑貨も置いてるぞ。あのな、こういう紙だってだな。
例えば、大工作業だとか、色々図面引っ張ったりするだろ?
いちいち他の店とか面倒じゃねえか。ひととこで揃えれた方が良いだろ」
「ああ、確かに」
「食い物以外は大体置いてあるぞ。
服だって、ああいったつなぎだけじゃねえし。
高い服はねえが、軽いシャツとか、靴とかもあるぞ」
「稽古着なんてあります?」
「ははは! 稽古着はねえなあ!」
「ははは! ですよね!」
笑いながら棚を見る。
軍手がある。ランプもある。蝋燭。蝋燭立て。筆。墨。ペン。インク。
紙束。紐。縄。かご。食器。蓑。笠。茣蓙。座布団。布団まで置いてある。
「ううむ、ほとんど揃ってますね・・・」
「ああ。こういうのが欲しい、ああいうのが欲しい。そんなの聞いてたり、こんなのもあると良いかもなあ、なんて考えてたら、いつの間にか雑貨屋みてえになっちまった」
ランプは野営具を買った時に揃えたが、蝋燭もあると良いかも知れない。
縄はあった方が良いだろう。
ローブ。当然、あった方が良い。革だが、買うだろうか?
紙や筆やペン。
遠い魔の国の家。家族に手紙を書きたくなる事もあるだろう。
「どうした?」
「あ! ああ、いえ・・・彼女、実家が魔の国ですからね。
紙と筆を見てたら、家族に手紙をなんて、しんみりしてしまって」
「おお、そうか・・・こっちの生まれじゃねえのか」
「ええ。魔の国からずっと旅をしてきたんです。
確か97って言ってたから、100年近くも向こうで暮らしてた」
うんうん、と店主が小さく頷き、
「高えもんじゃねえ。その紙と筆、ついでに買ってけ。
一筆、家族に手紙書かせてやりな」
「はい」