第630話
冒険者ギルド、ロビー。
散歩に出て来たイザベルは、まず先日騒いでしまった事を詫びた。
受付嬢は心安く許してくれて、お七夜のパーティーの事も教えてくれた。
「そうだ。尋ねたい事がある」
「はい! なんでしょう!」
「この町を回ってみたい。まあ、散歩だ。
大まかで構わんから、どのような所がどこにあるか教えてもらえるか」
「あ! お仕事の下見ですか!? うわあ、感心!」
イザベルが少し顔を赤くして、
「ん・・・ああ、いや・・・実を言うと、そうではない。
単に人の国の町が面白いから、見てみたいのだ」
「あははは! 理由なんてどうでも良いですよ!
回れば下見になるんですし」
「うう、うむ」
受付嬢が広場の方を指差して、
「あっちが広場です。知ってますか?」
「うむ。左に行くと、職人街があるな」
「あ、職人街は行ったんですね!」
「うむ! すごい鍛冶師がおった! 驚いた!
だが、もう職人街は行けぬ」
「どうしてですか?」
「我は鼻が利きすぎるのだな。革をなめすあの臭い!
最初は我慢しておったが、目眩がしてきてな・・・
もう少しで気を失いそうであった」
顔をしかめ、ちら、と後ろのロビーに目だけ向けて、そっと顔を近付け、
「今も、皆の革鎧の臭いでやられそうだ」
「ぷ! あはは、あはは!」
「ふふ。という訳で、職人街の近くは遠慮したいな」
「じゃあ、反対側に行きますと、住宅街の地域ですね。
お店も少しありますし、寺子屋なんかもありますよ。
もっと向こうまで行くと、畑とか田んぼとか、果樹園もあります」
「ふむ」
「で、真っ直ぐ行きますと、商店街の通り。
奥に行くと、高い店が並びます」
「おお、そう言えば昨日通った。朝早く、店は閉まっておったが。
確かに、店構えは良かった。覗くだけでも許してもらえるだろうか」
「ううん、ああいうお店ってどうなんでしょう?
私も、あまり行ったことがなくて・・・」
「そうか。まあ、今は我も無一文であるし、行くにしてもしばらくは先。
ただ覗くというのも、店に失礼か」
「で、お高いお店が並ぶ通りの方に行くと、また大きな十字路がありまして」
「ふむ」
「左の方に行くと、役所とか、奉行所とか、火消しとか」
「行政区画というやつだな」
「はい。で、逆の方はちょっと危ないというか・・・
歓楽街という所ですね。お酒を飲んだり、女の人を買ったりとか。
お店はどこもちゃんとした所なんですけど、裏通りが危ないんです。
安宿とかがあるから、荒っぽい人がたまにいるんです」
「なるほど。あまり行きたくはないな。
そもそも、我に女を買う趣味はないし」
「うふふ。でも、かっこいい男の人がいっぱいのお店もあるんですよー。
女性向けの揚げ屋みたいな感じでしょうか」
「あげや? そういう店をあげやと言うのか」
「そうですよ!」
「ふむ。だが、我の近くには主もハワード様も居るぞ。
やはり用はないな」
「羨ましーい!」
「であろう? ふふふ」
「でも、そういう所のお仕事は良いお金が出ますよ」
「穢らわしい身体で主の前には出られん。
いくら積まれようと、その仕事は請けられんな」
「わあ! イザベル様って一途なんですね!」
「当然だ。だが、主が行けと言えば行くぞ。
もしそういう仕事を請けて欲しいのであれば、主を通してくれ」
「うわあ! 何かかっこいい!」
「そうか?」
「はい!」
「ふふふ。ではそろそろ失礼する。案内、感謝する」
「はーい! 楽しんで来て下さい!」
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冒険者ギルドを出て、広場。
噴水の上に、勇者祭の立ち会いが放映されている。
皆が立ち会いを見ながら、声を上げている。
(我とマサヒデ様の立ち会いは、放映されなかったのだな)
誰もイザベルの事を知らなかった。
放映されなかったからだ。
マサヒデの評価はかなり高いはず。
立ち会いとなれば、まず放映されるだろう。
しかし放映されなかった。
理由はひとつ。
立ち会いの相手。つまり、自分の評価が低かったのだ。
つまらない立ち会いになるから、放映されなかったのだ。
ふう、とため息をつく。
マサヒデの周りを見れば一目瞭然。
あの中の誰にも勝てる気はしない。
マサヒデは試合でシズクを木刀の一撃でのめしていた。
クレールにも勝った。
カオルは最後の方で戦ったあの忍だろう。
ここまで来るのに、何組ものパーティーと戦った。
全部に勝ってきて、それなりに自信もついていた。
実際にマサヒデ達を目の辺りにすればどうだ。
何と未熟なことか。
今まで戦ってきた者達は、本物ではなかったと言う事だ。
ふ、と小さく自嘲して、歩き出す。
さて、何処へ行こう。
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広場を通り抜け、きょろきょろしながら歩いて行く。
この辺りは、まだ高い店はない。もっと向こうか。
雑貨屋、服屋、食料品。武具を売っている店もある。
ちょっと店先を覗いてみる。
やはり、市場や職人街で買った方が安くはつくが・・・
(職人街か・・・)
しっかり装備を見定められるほど、あの近辺に居られるだろうか。
行くなら、誰かに一緒に来てもらわねば。倒れてしまっては大変だ。
それにしても品の多い事・・・
む。
誰かが後ろに立った。
立ち止まっている。
視線を感じる。
殺気はないが、警戒心を感じる。
そっと脇差に手を当てて、ゆっくり後ろに振り向く。
町廻りの同心か。獣人。同心。犬族。
新参者で、武器を持って、きょろきょろして・・・警戒されて当然か。
「見ねえ顔だな」
ぽん、ぽん、と肩に十手を当てながら、鋭くこちらを見ている。
「女。どこから来た」
「魔の国。エッセン=ファッテンベルクから」
む! と同心の顔が変わる。
すう、と目が細くなり、とん、と十手を脇差の柄の上に置く。
「ファッテンベルク・・・エッセン、な・・・」
「そうだ」
「名門だな」
「名ばかりの貧乏貴族だ」
「ふうん・・・獣人相手なら、その名を出せば通ると思ったか?」
「嘘ではない」
「着流しに脇差1本。ファッテンベルク様がそんな格好で出歩くかな。
しかも、こんな田舎町で。魔の国も随分遠いぜ」
「嘘ではない」
脇差を差し出そうと手を掛けると、ぴし! と手に十手が置かれる。
「抜くつもりはない。お前に渡す」
「殊勝なことだ。それで良い」
ゆっくりと鞘ごと脇差を帯から抜いて、同心に渡す。
「お前が本物のファッテンベルク様と証明出来るか」
「出来る。この町に証人が居る」
「誰だ」
「マツ=トミヤス様。クレール=トミヤス様」
ぴく、と同心の眉がひそめられる。
「ほう。マツ様と、クレール様が」
「そうだ」
「本物のファッテンベルク様なら問題ねえが・・・」
ぽん。
首元に十手が置かれる。
「ファッテンベルクの名を出した。マツ様、クレール様の名を出した。
女。軽く出しちゃあいけねえ名前を3つ出したぞ。
偽者だった時は・・・分かるな」
「偽物ではない。ゆえに問題はない」
「良し。じゃ、魔術師協会に行く」
「うむ」
す、と後ろから十手が腰に当てられる。
「先を歩け。ゆっくりとだ。この十手から離れるな」
「うむ」
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「開けろ」
からからから・・・
「おはようございます! ハチでございます!」
「はーい!」
さらりと障子が開いて、マツが出てくる。
「おはようございます。うふふ。イザベルさん、迷子になりましたか?」
う! とハチの顔が変わる。
まずい! 本物だったか!?
ハチが恐る恐るマツに訊ねる。
「マツ様・・・こちらは、ファッテンベルクの?」
「あら! ご存知でしたか?」
げえっ! 本当にファッテンベルクだったのか! これはまずい!
ぴし! とハチが90度に頭を下げ、
「大変失礼を致しました! お許し下さい!」
「構わん。お前の仕事だ」
「ははーっ!」
はあ? とマツが驚いて、
「どうしたんですか?」
「いえ、初めての町できょろきょろしていたもので。
私の態度が不審に見えても仕方ありませぬ」
「あらあら」
マツが苦笑する。
イザベルがハチの方を向き、
「その脇差は主より借りた物。返してもらえるか」
「はーっ!」
差し出された脇差を帯に差し、
「お前の言う通り。ファッテンベルクが着流しだけで歩くのも不自然だ。
だが、我が主、マサヒデ様との立ち会いの約で、我は一文無しとなった。
手持ちの財産全てを家に返し、仕送りも許されぬ。故にこの通りだ」
「さ、左様で」
「勘違いを招くような態度で歩いていた我が悪い。許せ」
「こちらこそ、言を疑いました事、お許し下さい!」
「疑われて当然であったから、良い。
近日中に、我はこの町で働く事になると思う。
今、家からの許しを待っているのだ」
「左様で・・・」
「散歩に戻って良いか」
「勿論でございます!」
「うむ」
イザベルはマツの方を向き、
「マツ様、お仕事中、お騒がせ致しました」
「うふふ。迷子にならないで下さいね」
「気を付けます。奉行所に挨拶に行った方が良いでしょうか」
「それも良いかもしれませんね。
お奉行のタニガワ様は、名奉行と有名なお方ですよ」
「この格好でよろしいでしょうか」
「大丈夫です」
「では、行って参ります」
イザベルがハチの方を向き、
「ハチ殿と申されたな」
「は!」
「一目で我を新参者と見抜いた目、常に油断なく町廻りをしておる証拠。
実に良い仕事振りである。誇れ」
「有り難きお言葉! 感謝致します!」
「では、行く」
「行ってらっしゃいませ!」
すたすたとイザベルが去って行った。
しばらくして、ハチが頭を上げ、額の汗を拭う。
「うへぇ! 凄え迫力だ! ありゃあタニガワ様にも負けねえ」
くす、とマツが笑って、
「うふふ。ファッテンベルクは伊達ではありませんね」
「ところで、主ってなぁ、なんです?」
「うふふ」