第623話
冒険者ギルド、浴場、蒸し風呂。
ぱしーん!
シズクが背中に手拭いを当てる。
「よおーし! じゃあ、勝負の方法!」
「うむ」
「まず、10分入る。そしたら、そこの」
シズクが湯船を指差す。
「水風呂に入る」
「あれは水か」
「そう。横に手桶があるだろ?」
「うむ」
「あれでちゃんと汗を流してから入るんだ」
「む。分かった」
「蒸し風呂であつーくなった後の水風呂!
じわーっと来て、最高だぞおー!」
「そうか」
「でも長く入ってると、冷えて風邪引くから、2、3分くらいね」
「うむ」
「そしたら、もう1回10分で、また水風呂。ここまでが準備ね」
「その後は」
「勝負開始! 一緒に入って、どこまで我慢出来るか!」
「よし。分かった」
「じゃ、行こうか!」
「うむ」「はーい!」
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その頃、小会議室。
カオルは蒸し風呂に付き合わず、マツモトと相談中。
「マツモト様。大変な事が起きてしまったのです」
「お聞かせ下さい」
「エッセン=ファッテンベルクが、狼族の家だとはご存知で」
「はい」
「昨日の事ですが・・・マツモト様とお話しの後の事です」
「何か問題でも」
「問題と言えば問題、喜ばしい事と言えば喜ばしい・・・」
カオルが下を向いて、カップの紅茶を見つめる。
「マサヒデ様が、イザベル様に、主と認められました」
「主?」
「はい」
「主というと・・・ああっ! 狼族の主!?」
マツモトが驚いて大声を上げた。
部屋の隅のメイドも驚いてマツモトを見る。
「まさか、トミヤス様が!? 人族では初では!?」
「知られている限りは、そうです」
「ううむ!」
マツモトが大きく唸って、腕を組む。
「これは驚きました。狼族の主になられるとは・・・
あっ! もしかして、昨日のマツ様の急ぎの書簡とは!?」
「はい。国王陛下と、魔王様に」
「むう・・・狼族の主と言えば、魔王様を始めとして、歴史に100人もおられませんね・・・これは名誉な」
「昨日は、どちらかと言えば諦め半分のような感じでしたが・・・
マサヒデ様を主とした後、急に人が変わりまして。
武術などどうでも良い、冒険者として大成するなどと言い出す始末」
「それはまた・・・どうして」
「自分の武術の修行など、もうどうでも良くなってしまったのでしょう。
おそらく、冒険者で働けという条件が、イザベル様の中で命令のように。
とにかく、マサヒデ様の名誉の為ならと」
「ううむ・・・」
「マツ様に狼族の事をお聞きした所、その昔、魔王様に食事をと、何人も死者を出してまで危険な魔獣を狩りに出て、褒めてくれと言うような・・・もはや自分で自分を洗脳するに近い程の忠誠心になるのだとか」
「洗脳・・・それ程ですか」
「それ故、どんな仕事であろうと、それはもう真面目にこなすでしょうが」
「それほどとなると、少し心配ですね」
「ええ。他の冒険者と打ち解けられるかどうか。
パーティーで使うには、かなり難しい者になるかと・・・」
「ううむ・・・出先で諍いなどを引き起こさないかどうか・・・」
「厄介者になってしまいますが、如何でしょうか」
「ソロで動くには問題ないのなら、そう使いましょう。
狼族とあらば、間違いなく腕は確かなはず」
「ありがとうございます。それと、もうひとつ」
「なんでしょう」
「ランクが上がり、他の区域への配達などを任されるようになった場合です。
彼女が馬を用意出来たら、なるべく配達を斡旋してほしいのです」
「配達をですか? それはまたどうして?」
「彼女には、万人に1人の天賦の馬の才があるのです。
ハワード様の騎士様方に、しかとご確認して頂きました。
このまま馬術を磨けば、必ず世界の頂点に立てるとお墨付きまで」
「世界の頂点? それ程の?」
「はい。驚いた事に、声を掛けるだけで馬を御していたのです。
乗り慣れた馬なら分かりますが、初めて乗る馬でです」
「初めて乗る馬で!? そんな者は見た事もありませんな・・・」
はあ、とカオルが息を吐き、
「今朝方、厩舎に行った時の事。
厩舎に入り、イザベル様が「控えろ!」と大声を上げました。
馬達が皆、頭を下げて・・・普通、驚いて暴れるかすると思うのですが」
「ううむ・・・」
「ハワード様の騎士様と立ち会った際もです。
止まれと言っただけで、馬が止まるのです。
馬から引きずり下ろされ、手綱も引かず、足で挟んでもおらず。
声を掛けただけで止まったのです。今朝、初めて乗った馬で・・・」
「恐ろしい才ですね・・・」
「馬術というよりも、馬を統べる才、ですね。
サクマ様曰く、極稀にこういう者が出るのだとか。
一流の騎手にも中々いないそうで」
「ふむ」
「勿論、贔屓をしてくれと言うのではありません。
配達で、余った依頼、他が受けない依頼を彼女に勧める、という程度で」
「まあ、他区域への配達となると、先の事になりましょうが・・・」
「はい。それまでのイザベル様の仕事ぶりを見て、ご判断いただければ。
頭の片隅にでも、置いておいて下さいますと」
「それ程の才、私としても埋もれさせるには惜しい。
このギルドでの仕事で花開いたとなれば、それも我らの名誉です。
必ず、覚えておきましょう」
「ありがとうございます」
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蒸し風呂。
既にクレールは出て行ってしまった。
ぴ! とシズクが瞼の上の汗を指先で飛ばし、
「あのさあ、イザベル様、あんま無理しちゃ駄目だよ?
対決とかもういいからさ。私は平気だけど」
ぴくり。
私は平気だけど。
「ふん・・・」
「あのさ、元々の身体の作りが違うんだから・・・ね?
ほら、私は長く入れるんじゃなくて、長く入ってないと効かないって事」
「平気だ」
じりじりじり・・・
「私の負けで良いよ? もう四半刻近いよ?」
「譲られた勝利など、勝利ではない」
「んー・・・」
からん! とイザベルが竹筒を投げ捨てる。
空になった竹筒が跳ねて転がる。
「我は、イザベル=エッセン=ファッテンベルク・・・」
「ん?」
「ファッテンベルクは魔王の軍・・・
ファッテンベルクは魔王の拳」
「はあ?」
「ファっ・・・ファッテンベルクは引かぬ。
ファッテンベルクは媚びぬ。
ファッテンベルクは顧みぬ。
ファッテンベルクは只勝つ。
ファッテンベルクに逃げはないのだ・・・」
「あー、うん」
「ファッテンベルクに負けはないッ!
ファッテンベルクの敵は全て下郎ッ!」
「なんか・・・凄いね・・・」
「クククっ・・・」
目が朦朧としている。
(あー、こりゃ駄目だ)
シズクがイザベルの首の後ろに手を伸ばし、くい、と親指と人差し指で頸動脈を押さえる。
「あっ」
かっくん。
「あーあ」
よ、と抱えて外に出て行き、水風呂の横でばしゃばしゃと水を掛ける。
目が覚めない。
「んー・・・」
水風呂に頭を突っ込む。
ぷくぷくぷく・・・
ざば!
「ぶぁ! ぶはっはっ! ぐぇっふ!」
「大丈夫?」
「貴様! 殺す気か!?」
シズクが不安そうな顔でイザベルを見る。
「私の負け。イザベル様の勝ちだよ」
「はぅーッ・・・へぅーッ・・・」
シズクがイザベルの顔の前で手を振る。
指を立て、
「見て。指、何本?」
「指? 3本だ」
「うん、じゃあ帰って、マサちゃんに報告だ。
イザベル様、勝利。やったね」
「ん? 私の勝ちなのか?」
「覚えてないの? 私が出た後、イザベル様、そこで倒れちゃったんだよ。
最後まで残ってたから、イザベル様の勝ち」
「そうなのか?」
「そうだよ。でも、もう蒸し風呂勝負はやめよう。
また倒れたら大変だもん」
「うむ! そうだな! 勝てた!」
「うんうん。ほら、水風呂で身体を冷やそう! 気持ちいいよ!」
「うむ!」
ちゃぱ・・・
「はあ・・・勝ったのか・・・」
じゃばん!
「うん! すごい根性だったね!」
「そうか! ふふふ、そうか!」
イザベルが満足気に笑う。
酒の勝負は・・・やめよう。