第620話
職人街、ホルニ工房。
がらり。
「こんにちは」「失礼致す!」
カウンターにラディの母。
いつもの光景。
「はーい。カオルさん、いらっしゃいませ!」
「本日は、こちらのお方のご挨拶に参りました」
す、とイザベルが前に出て、頭を下げ、
「我が名はイザベル=エッセン=ファッテンベルク。
マサヒデ様の家臣となりました。
以後、お見知りおきを」
「は? 家臣?」
「マサヒデ様の名誉を汚さぬよう、働きます。
近く、こちらで我が得物を揃えたく思っております」
「はあ・・・ありがとうございます」
ん、とカオルが小さく頷き、
「エッセン=ファッテンベルク家は、魔の国で随一の武門の家。
マサヒデ様の脇差をご覧になり、是非にと」
「まあまあまあ! 武門の家! それは亭主も喜びますよ!」
「いや、我が家は武門の家と名こそ知られておりますが、名だけの貧乏貴族。
私も、恥ずかしながら、今は無一文。
マサヒデ様との約により、冒険者として働き、稼がねばなりませぬ。
金が貯まるまで、お待ち下さいましょうか」
「勿論ですとも! お買い上げにならずとも、いつでも見に来て下さいませ」
「ありがとうございます」
かきん! かきん!
鉄を打つ音。
ちらりとイザベルが仕事場の方を向く。
「ご亭主は、今」
「はい。仕事場に。呼びますよ」
「お待ちを。実は私、本物の鍛冶場を見た事がありませぬ。
もしお許しを頂けたらば、見せて頂く事は叶いますでしょうか」
「構いませんとも! 火にはお気を付け下さいまし」
ぺこりとカオルが頭を下げ、仕事場への戸を開ける。
中にはホルニとラディ。
「あちらが・・・」
2人が凄い目で、細い棒を睨んでいる。
何かの金具か?
「イザベル様。参りましょう」
「うむ」
すたすたと歩いて行くと、む、と2人がこちらを向いた。
「カオルさん」
「お仕事中、申し訳ありません。本日はこちらの方がご挨拶にと」
「イザベル=エッセン=ファッテンベルクと申します。
マサヒデ様の家臣となりました。
以後、宜しくお願い致します」
「・・・」「・・・」
家臣。
マサヒデの家臣?
「家臣ですか?」
「は」
「あの・・・おめでとうございます」
「は! 誠心誠意、マサヒデ様にお仕え致します!
近い内、ホルニ殿の作を是非にと、ご挨拶に参りました」
「う、うむ、左様で・・・ありがとうございます」
「恥ずかしながら、今は無一文。
されど、必ずや稼ぎ、こちらで我が得物をと考えております」
カオルが出て、
「ホルニ様、ラディさん。
イザベル様は鍛冶場を見た事がなく、是非一度、と。
お邪魔は致しませんので、しばし見学の時間を頂けますでしょうか」
ラディとホルニが顔を見合わせる。
「うむ・・・それは構いませんが、今は剣を打っておりませんでな。
面白くはないと思いますが」
やっとこに挟まれた、熱せられて黄色く輝く小さな棒。
にやりとカオルが笑う。
「いえ。きっと面白いはず。『あの鉄』の試し打ちですね」
ホルニも笑って、
「ははは! うむ、あちらにいくつかありますが、ご覧になりますか」
「是非とも」
む、とホルニが頷いて、
「ラディ。ご案内を頼む」
「はい」
「イザベル様。見せて頂きましょう。驚きますよ」
「うむ。では」
ラディに付いて行き、小さな机の前に並ぶ。
山と積まれた書類の束と、小さな棒が何本も並んでいる。
はて? とイザベルが首を傾げ、
「ラディ殿と申されましたか」
「はい」
「これが面白い物?」
ラディが小さく笑い、
「そうです。例えばこれ」
1本取って、
「イザベル様、お手を」
イザベルが出した手の上に、棒を乗せる。
「ふむ?」
「握ってみて下さい」
「こううっ! ううっ!?」
がくん! とイザベルの手が落ちる。
凄い重さだ!
「ぬ! ぬぬぬ・・・」
ぎりぎりぎり、と拳を握り、何とか持って来る。
ラディが目を見開いて驚く。
「持てるの!?」
父が両手でも持ち上げられなかったのに、片手で持ち上げるとは!?
「手を開いて! 軽くなります!」
「う、くっ、く・・・」
「開いて! 大丈夫ですから!」
ぱ、と手を開くと、からん、と棒が落ちた。
きん、と跳ねる。
落ちた鉄の棒の音からは、全然重さを感じられない。
「な、何だ! これは!?」
カオルがにやっと笑って、指先で摘み上げて、
「驚きましたか」
「何だ今のは!? 凄い重さだったぞ!? 手首が抜けるかと!」
「しかし私は指先で」
カオルが摘んだ棒をふりふりと振る。
「どういう事だ・・・」
「魔力の鉱石!」
「何っ!?」
「とある筋から入手することが出来まして・・・
今、ホルニ様とラディさんに色々と試し打ちを」
「何だと!?」
イザベルが驚いて、ホルニの方を振り向く。
あの鉄の棒は、魔力の籠もった鉄だったのか!?
カオルがにやにやしながら、かたりと棒を机の上に棒を置く。
がば、と机に目を戻す。
あの重さであれば、この机など簡単に折れてしまうはず・・・
ラディも別の所で驚いている。
「よく持てましたね・・・しかも片手で」
「イザベル様は、ただの獣人族ではありません」
「ただの獣人族ではない? 鬼族との混血とか?」
「狼族です」
「えっ・・・狼族の方でしたか・・・」
「うむ。恥ずかしながら」
「驚きました。お父様が両手でも持ち上げられなかったのに。
まさか片手1本で持てるとは・・・」
「いやしかし、これは扱いづらいな。
落とす瞬間に握るとか、そういう使い方か。
しかし、うっかり握ると自分に剣が落ちてくるな」
「はい。この力は使えませんね。
しかし、同じ打ち方をしているはずなのに、力が変わるのです。
例えばこちらなど」
ラディが1本棒を取って握る。
びゅん! と他の棒が飛んで行って、先に固まる。
「おお! 強力な磁石のような力か!」
「はい。手を開けば」
かららん、と集まった棒が落ちる。
「これは使えそうではないか!」
「いえ、お味方の得物まで奪ってしまいます。
自分が鎧を着ていれば、鎧にくっついて離れず」
「む、そうか。磁石だからな・・・」
「ですが、別の使い方があります」
「どんな使い方だ?」
「砂鉄集めです」
「砂鉄? 何に使うのだ?」
「刀に使う鋼は、砂鉄を溶かして作るのです」
「おお! これほど強力なら、持って数歩も歩けば大量に!」
「そうです。マサヒデさんから許しが頂けたら、たたら場にと」
「ううむ、面白いな!
いや待て、刀に使う鋼は、それは良い鋼だと聞く。
これで大量に鋼が作れれば、それで剣も打ってもらえるだろうか?」
「マサヒデさんが許してくれましたら」
「そうか! いや、マサヒデ様は懐が深い! 必ず許してくれるぞ!
うむ、楽しみだ! おお、そうだ! ホルニ殿の脇差を見たぞ!
あれほどの作を打てる鍛冶師の剣、持ってみたいものだ!」
くす、とカオルが笑って、
「ふふふ。お高くなりますよ。
イザベル様がお使いのあの長さとなれば、金貨が何百枚必要でしょうか」
「む! ううむ・・・いや、いや! 必ず稼いでみせる!
ラディ殿、金が出来たら、必ずホルニ殿に打ってもらう!」
「ありがとうございます」
「ラディさん、試し打ちもよろしいですが、店のお仕事に障りないよう。
色々と出て面白いとは思いますが」
「はい」
「では、イザベル様。そろそろ参りましょう。
あまり遅くなりますと」
「む、そうだな。ラディ殿、仕事中に時間を割いて頂き、感謝する」
「いつでも来て下さい。マサヒデさんの家臣なら、もう友人です」
「友人! うむ、友人か! 宜しく頼む! それでは失礼する!」
す、と頭を下げ、イザベルが出て行った。