第618話
厩舎前。
馬屋が手を振って、イザベルを迎えてくれた。
「イザベル様! よくぞご無事で!」
ふ、と自嘲気味にイザベルが笑い、
「散々であった。手の肉を削り、足首を逆に回し、気を失い・・・
サクマ殿には、子供のようにあしらわれた」
「いやいや、ご無事でようございました。
あの方々を相手に腕試し、生きて戻って来れたのがすげえってもんですよ」
「全くだ」
馬屋が黒嵐の綱を受け取る。
「幼き頃より武術は叩き込まれた。
それなりには出来るつもりであったが、剣術も馬術も全くだ・・・
この町に来て、良く分かった。私は未熟だ」
「いいやあ、そんな事はありませんね」
「慰めは結構」
「いや、そうではなくてですな。この町がおかしいんですよ」
「町が? どういう事か? 説明を頼む」
「おかしいですよ! トミヤス様、ハワード様がいらっしゃる。
鬼族のシズクさん。大魔術師のマツ様。動物と話せるクレール様。
あの騎士さん方もそうだ。
剣聖のカゲミツ様が顔をお出しになる時まであるんですぜ。
こんな強者だらけのおかしな町はねえ!
この調子じゃあ、そのうち竜が飛んできてもおかしかねえ!
その次は魔王様だ!」
「ふっ、はははは! 確かに!」
「ですが、武術の稽古事にはもってこいの町ってもんだ!」
「そうだな! うむ! そうだ!」
「さ、今日は帰ってお休みなせえ。お疲れになりましたでしょう」
「うむ。黒嵐を頼む」
すたすたと歩いて、入口で待っていたマサヒデ達の所に戻る。
マサヒデがイザベルを見て、
「良い顔になりましたね。憑き物が落ちた感じです」
「は!」
「さ、帰って戦の本でも読んで、身体を休めなさい」
「は!」
あ、とカオルが慌てて手を出して、
「ご主人様! イザベル様と少しお話が!」
「ああ、どうぞ」
「少し、内密な」
マサヒデが怪訝そうに、
「何です? 聞かれるとまずい事でも?」
「はい」
「ふうん・・・まあ、構いませんよ。ここで待ってます」
「ありがとうございます。さ、イザベル様。こちらへ」
ん? とイザベルも怪訝な顔でカオルに付いていく。
「カオル殿。何か」
ちら、とカオルがマサヒデを見て、声を小さくして、
「買い物に参りましょう。今回は奢りますから」
「買い物?」
カオルが気不味そうに、
「着ていた服以外を送り返してしまったでしょう。その・・・下着まで」
「んっ!」
ぼ! と顔を赤くして、イザベルがマサヒデに目だけ向ける。
「ん、んんっ・・・」
カオルの顔を見ていられない。
真っ赤な顔のまま、目を瞑る。
「ですから。着替えの分がなければ洗濯も出来ませんし。
1着、軽い着流しくらいもないと、湯にも行けませんし。
節約の為に湯を我慢するにしても、水浴びはせねば。
先程の立ち会いで、こんなに汚れてしまって。さすがに・・・」
こく、とイザベルが頷き、ああ、と両手で赤くなった顔を隠す。
カオルがマサヒデの所に戻り、
「ご主人様。申し訳ありませんが、至急で揃えねばならぬ物があります。
私とイザベル様で行って参りますので、お先に」
「至急でですか? む、分かりました。手伝います」
ぴりっとマサヒデの顔が変わる。
カオルは慌てて手を振って、
「ああ! いえいえ! 量は少ないので、我らで十分。
我ら忍か、イザベル様の獣人の鼻が必要なので」
「む・・・忍と、獣人の鼻が必要ですか。危険は」
「いえ、普通に町の中で揃えられる物です。質が問題で。
イザベル様の鼻であれば、それも見極められると」
「分かりました。念の為、帰ったらマツさんに伝えておきましょう。
マツさんなら、遠くを見る魔術で見張りが出来ますからね」
「・・・はい。よろしく頼みます・・・」
「気を付けて下さい」
「は」
これはしまった。マツに一部始終を見られてしまう。
イザベルには申し訳ない事をした。
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マサヒデと別れ、カオルとイザベルが歩いて行く。
カオルが手拭いを差し出し、
「イザベル様、これで軽く汚れを拭いて頂いて」
「感謝致します」
受け取って、手を見る。
泥だらけ・・・
軽く拭いただけで、手拭いが汚れていく。
ぱん! ぱん!
と汚れをはたき落とし、顔を拭う。
もう一度、ぱん! とはたいて、顔を拭う。
「カオル殿。良いでしょうか」
ちら、とカオルが周りを見て、
「人前なので、私を呼び捨てて。
上の態度を取って下さい」
「む、分かった」
「髪も軽くはたいて。土が」
「うむ」
ばさ、ばさと髪を払う。
「あ、待て」
「は」
ぱんぱん、と服をはたき、出来る限り汚れを落としていく。
「ううむ、血は取れん」
服に血が着いて、固まってしまっている。
「こちらへ」
近くの屋台の前に行く。
横に、水が入ったたらい。
「へらっしぇ!」
「ご店主、すまんがそこの水をお借りしても。
少し汚れてしまったもので」
「へい! 代わりに一本買ってって下さいよ!」
「助かります。イザベル様、こちらへ」
「む」
カオルがイザベルから手拭いを取り、手桶に水を入れて、じゃばじゃばと手拭いを洗って渡す。
「これで血を」
「うむ」
手を拭き、顔も一度拭って、ごしごしと服を拭っていく。
カオルと店主がそれを見ながら、
「姐さん、確かトミヤス様のお弟子さんでさあな?
おい、ありゃあ・・・血か?」
「ええ。少し稽古に身が入り」
「おお、そうか。で、あっちの姐さんは? 新入りかい?」
「はい」
「へーえ・・・獣人のお方か。あの身なり、貴族のお方で」
「はい。と言っても、少し変わった貴族です」
「と言いますと」
「武術の為なら名誉も何もいらぬという家でして。
全てをかなぐり捨てて、マサヒデ様の所に」
「へえ!」
「家からの許可が届けば、冒険者ギルドで働く事になると思います。
見かける際もありましょうが、頭など下げずに結構です。
彼女は武術修行の為に、家を捨てたも同然。もはや我ら平民と同じです」
「おう、すげえ気合だ! トミヤス様に仕込まれると良いなあ!」
「ふふ。マサヒデ様と似ておりますね。
名を名乗ることは許されましょうが、門は跨げず。
彼女も名は許されましょうが、身分は捨てたも同じ」
「なるほどなあ・・・」
「幼い頃より武を仕込まれておりますので、威圧感のようなものはあります。
が、普通に接して下さって結構です」
「そうか! じゃ、焼くぜ。あの姐さんの弟子入り祝いだ!
奢りで良いからよ! 水代はいらねえ!」
ぱたぱたとうちわを扇いで炭火を起こし、串を置いていく。
「実は、何と弟子ではなく、家臣として取り立てて頂いたのです」
「おおっ!? 家臣に!?」
くるっと串をひっくり返し、じわじわと焼いていく。
「すげえな・・・トミヤス様は、腕は立つが平民でさあな?」
「はい」
「それが貴族を家臣に!」
「トミヤス道場も、貴族のお方が門弟に多くおります。似たようなものです」
「ううむ・・・にしても、あの若さで!
いや、トミヤス様には参っちまいますな・・・」
ぎゅう、とイザベルが手拭いを絞って、カオルに差し出す。
「カオル」
「は」
受け取って、カオルが懐に入れる。
店主が軽く額の汗を払い、イザベルの方を向いて、
「トミヤス様の家臣に取り立てられたとか?」
「そうだ」
「こんなみみっちい屋台ですまねえが、祝に焼きますぜ。奢りだ。
ささ、座って下せえ。遠慮なく食ってって下せえやし」
「いや、それは」
「さあさあ。もう焼いちまったんだ。食ってって下せえ」
ちら、とカオルを見ると、カオルが頷く。
「では、遠慮なく。すまぬ」
「お口に合うかどうか」
「いや、助かる。実は全ての荷を送り返したので、金もない。
空きっ腹を抱えている」
「何ですって!? 荷を送り返した!?
そこまでして家臣になったんですかい!?」
「そうだ」
「おお、裸一貫でか! いや、すげえ!
その根性、尊敬しますぜ!」
う、とイザベルが目を逸らし、
「実は、そうではない」
「ん?」
「マサヒデ様との立ち会いの条件で・・・
負けたら荷を全て送り返して、と」
「さっ、左様でっ・・・ぷっ」
「・・・」
「いや! すみません! ですが、家臣に取り立てて頂いたんだ!
腕を認められたか、トミヤス様がよっぽど気に入られたか!
恥ずかしい所は一個もねえぜ!」
「そうか?」
「そうですとも! あなた様も、トミヤス様のお噂を聞いて立ち会いに来たんでしょう。トミヤス様あ、世界中に名の知れた武術家なんだ。その家臣になれたんだ。弟子を飛び越えて家臣! すげえこった!」
店主が、かた、と焼き鳥が盛られた皿を2人の前に置く。
イザベルが串を見る。ナイフやフォークはない。
これは手で取って食べる物?
「店主、私はこれを初めて食べる。どう食べたら良いか」
「その串を持って、お口に。こいつは『焼き鳥』ってんだ」
「やきとり」
串を取って、恐る恐る口に運ぶ。
美味い! 炭の香り、タレの甘み!
がつがつ食べるイザベルを見ながら、店主が満足気に話し出す。