第616話
きっちり時間通り、イザベルが黒嵐に乗って戻って来た。
マサヒデ、カオル、アルマダが並んで迎える。
3人の前に来て、イザベルが馬を降り、頭を下げた。
「アルマダさん。こちらが、私の新しい家臣。
イザベル=エッセン=ファッテンベルク」
「マサヒデ=トミヤス様家臣、イザベル=エッセン=ファッテンベルクです」
「ご丁寧に。アルマダ=ハワードです」
「お会い出来て光栄です」
「こちらこそ。ふふふ」
む、とイザベルが顔を上げる。
「何か?」
「いえ。マサヒデさんの話を聞いた限り、何と言うか、もっとごつい感じの。
そうそう、シズクさんのような方を想像していたんです。
こんな可憐な方だったとは」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「では」
アルマダが腰の剣を外して、イザベルに差し出す。
「剣はこちらを使って下さい。両手剣がなくて、申し訳ありませんが」
「ありがたくお借り致します」
「それは余った剣ですから、欠けたり折ったりしても気にしないで下さい。
ご確認頂けますか」
「は」
すらり・・・
これが余った剣?
どう見ても余り物には見えない。
詰まった肌が朝日に輝く。
鋭く、重さがあるのに、均整の取れた刀身。
しっくりくる柄。
間違いなく、これは一級品だ。
これなら、甲冑ごと斬れそうな感じがする。
「失礼。ハワード様、この剣は余り物ですか?」
「そうですが、何か不審な点でも」
「いえ、余り物と言うには、物が良すぎるように見えます」
「それより良い物がありますからね。
今はただの備品として眠っているんです。
使ってやって下さい。その剣もそれを望んでいるはず」
剣がそれを望む。
横のマサヒデを見ると、マサヒデも頷く。
「ありがとうございます」
頭を下げ、腰に剣を着ける。
イザベルが使うには短いが、良い重さだ。
「では行きましょうか。少し向こうで、皆さんが待っています」
くるっとマサヒデが振り向いて、歩いて行く。
アルマダ、カオルも続き、イザベルもすぐ後ろを歩いて行く。
「では、立ち会いに際してですが、いくつか決め事を」
「は!」
「今回は1対1の決闘方式。集団戦ではありません」
「は!」
「あくまで稽古、腕試しですから、馬を傷付けない事」
「は!」
「街道に出ない事」
「は!」
「治癒魔術を使える方がいますから、多少の怪我は良しです。
この場には居ませんが、町に行けば腕や足を落としても治せる方がいます。
出血を止めて、その方の所に行けば問題なしです。
ただ、殺したり殺されたりはしないで下さい」
「は!」
「私からは以上ですが、アルマダさん、カオルさん、何かありますか?」
カオルが小さく首を傾げて、
「私からは特に」
アルマダが人差し指を立てて、
「馬から落とされても良しとしましょう。
負けを認めるか、気を失うかまでは良し。
馬に対する戦い方もありますよね」
「ああ、なるほど。イザベルさん、どうです」
「依存ありません」
「宜しい。ではこの決まりで行きましょう」
すぐ先の街道脇に、騎士3人が並んでいるのが見える。
街道からさらに離れた所で、1人が待っている。
朝日を浴びて輝く全身鎧とランス、鱗の金属馬鎧。
馬も黒嵐に負けず大柄で、正に戦馬。
(相手は全身鎧! 私は生身!)
数打ちの槍。貧弱な弓。
だが、剣と馬は一級品!
(勝つ! マサヒデ様の恥とはならぬ!)
私が負ければ、脆弱な家臣を持つ主と見られる!
それだけは許されない!
イザベルがめらめらと闘志を燃やす。
前を歩くマサヒデ達の背中にも、熱気を感じる。
アルマダの方を向いて、
「ね? 目覚めたって言ったでしょう?」
「確かに」
くす、とカオルが笑う。
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マサヒデ達が騎士の所に着くと、ほーう、と3人が声を上げた。
鎧なしで生身と聞いていたが、こんなに細い者だとは。
着込みすらない。
が、相手は狼族。
魔族の中でも、非常に強い種族。
そして、ものすごい気迫。
これはただの腕試しではなく、本物の決闘になりそうだ。
「では、イザベル様、騎乗して下さい」
「はっ!」
ば! とイザベルが黒嵐に乗り、馬上からマサヒデを見る。
「マサヒデ様! 行って参ります!」
「頑張って下さい」
ぱかり・・・ぱかり・・・
ゆっくりとイザベルが馬を進めていく。
かしゃ、とサクマがバイザーを上げ、
「マサヒデ殿。あれは中々ですよ」
「そうですか?」
「ええ。見れば分かる。気合が馬にも伝わっている。身体も自然。
お手本のように人馬一体になっている。十分合格ラインです」
「ほう。それ程ですか」
「これはどう戦うか見ものですね。
あの弓も槍も我々の鎧には通じない。剣は短い。
飛び乗って来るか、何らかの奇手で来るか・・・
1対1の馬上戦では、すれ違いの一瞬で決まる事が多い。お見逃し無く」
「はい」
ゆっくりと、イザベルと黒嵐が騎士の対面に並ぶ。
黒嵐が、ぶるん、ぶるん、と小さく顔を振っている。
興奮しているのだ。
イザベルの目が、ぎらぎらと相手を睨みつける。
「宜しいですか!」
アルマダの声。
すう、と槍を上げ、脇に抱える。
「はじめ!」
「はあっ!」「やあっ!」
2人の馬が走り始める。
(あっ!?)
イザベルが相手のランスを見て驚いた。
あれだけ揺れているのに、ランスの先だけ、ぴたりと同じ位置!
全く動いていない!
このままだと腹に・・・
ぱっと右足を上げて、馬の左側に身体を持って行く。
避けたと思ったら、がつん! と右足が持っていかれた。
鐙から右足が外れ、回るように落ちる。
左足が鐙に絡む!
地面が目の前!
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「これは驚いた・・・」
サクマが感心したのか、呆れたのか、よく分からない声を上げる。
「あれ、出来るものですか?」
「いや、まあ一瞬は出来るでしょうが・・・人族には絶対に無理です」
イザベルが黒嵐の左側を引きずられて行く。
地に落ちないよう、左手を地に立て、右手に槍を持ちながら・・・
「アルマダ様。止めましょう。左手の肉が無くなる」
「そうですね」
と、アルマダが頷いて手を上げた時、
「止まれ!」
と、イザベルの大きな声が響いた。
ひひいん! と黒嵐が大きな声を上げ、ぐいい! と仰け反るように立つ。
左足が絡んだイザベルも持ち上げられる。
黒嵐が前足を落とすと、ばたん、と背中から落ちた。
直後、ばん! と手で跳ね上がって、腹ばいに黒嵐の上に乗る。
「・・・」「・・・」「・・・」
皆、驚いて声も出ない。
イザベルは馬の上でぐったりしている。
「黒嵐!」
とマサヒデが呼ぶと、ぽっくり、ぽっくり、とゆっくり歩いて来る。
背中のイザベルが落ちないように、ゆっくり、ゆっくり。
「よくもまあ・・・」
サクマが驚いている。
イザベルは気を失っていた。
左手から、だらだらと血が流れ出ている。
右手にはまだ槍を握ったまま。
「リーさん。治癒を」
「は」
全身鎧で、リーが綺麗に馬から降りてきて、イザベルの手に治癒を掛ける。
すっと血が止まる。
左足を見ると、関節が逆方向を向いている。
「マサヒデ殿。お手を」
「はい」
鐙を外し、絡んだ紐を取って、2人でそっと地面に下ろす。
リーが足首の辺りを押さえ、
「気を失っておりますから、今のうちに」
「はい」
ごぎ! と曲がった関節を戻す。
すかさず、リーが治癒魔術をかける。
ほ、としてマサヒデがイザベルの苦しそうな顔を見る。
「マサヒデ殿」
「サクマさん。今の立ち会い、どうでしたか」
「イザベル様は一流と言って良い。
まだ粗い所もありますが、一線で十分通用する腕です」
「お目に叶いましたか」
「ええ。初めて乗る黒嵐を、声だけで止めました。
初めて乗る馬でですよ。並の馬乗りに出来る事ではありません。
クレール様のように、喋れるわけでもないのに」
「声でですか? ああ、そういえば」
「何かありましたか」
「厩舎に行った時です。イザベルさんが、控えろって大声を出したんです。
そうしたら、皆、しゅんとして下を向いてしまって。ファルコンまで」
ううむ! とサクマが唸る。
「あのファルコンをですか!? そうか、馬を統べる才があるのか・・・」
「馬を統べる才? 馬が驚いてしまっただけかと」
「いえ、驚いたのなら、普通は馬は暴れます。
大声を上げたのに、大人しくなった。逆ですね」
「はい」
「極々稀に、そういう方がおります。
何故か馬に好かれ、自然と馬を統べる事が出来る方がいるのです。
分かりますか。極々稀。イザベル様は馬の天才です」
「天才・・・」
「ううむ、この若さで、これだけ馬を御する事が出来るとは!
将来が楽しみです。いや、寿命の違いが無念だ・・・
イザベル様が馬術で世界に立つ時、私はまだ生きているでしょうか」
「世界に?」
「立ちますね。一流の騎手でも、そういう才を持つ者は滅多にいません。
イザベル様の馬術王位は、何年続くでしょうか」
黒嵐が気を失ったイザベルに顔を近付け、鼻をふんふん鳴らしている。