第613話
日が落ち始めた頃。
からからから・・・と玄関が開いた。
「只今戻りました」「マサヒデ様! 只今戻りました!」
「ううむ・・・」
イザベルの凄い声。
向かいのギルドの冒険者達も驚いているだろう。
入って来るかと思ったら、イザベルは庭に回って膝を付き、
「イザベル=エッセン=ファッテンベルク!
買い物の任を終え! ここに戻りました! 次のご指示を!」
皆が顔を見合わせる。
「ええと・・・では、次の命を与えます」
「はっ!」
「何か事がなければ、庭に回らずとも宜しい。
普段は玄関から上がり、居間に上がって来なさい」
「はっ!」
ぴし! と立ち上がり、胸に手を当てて一礼。
イザベルが玄関を開けて・・・入って来なかった。
居間の外の廊下で立っている。
「聞こえていなかったようですね。
居間に上がりなさい。そして、座りなさい」
「はっ!」
ふう、とマサヒデが息をつく。
そう言えば、カオルもクレールの執事も最初はこうだった。
す、と部屋の隅に背筋をぴしりと伸ばし、正座している。
これが普通なのか。
何と面倒な・・・
「ここでは身分の上下は関係ありません。
固くならず、崩しなさい。これが私の方針です。
お客様の前でだけ、きっちりしていれば構いません」
「はっ!」
固いまま。
さて、どうしたら良いものか・・・
マサヒデは少し考え、
「イザベルさん。崩していろというのは、ちゃんと理由があります」
「お聞かせ下さい!」
「常に肩ひじ張ったままでは、心身ともに固くなる。
それでは、いざという時に動けなくなる。
油断のしすぎも良くありませんが、柔らかい身体と心が大事なのです」
は! とイザベルが目を見開く。
「そっ・・・そこまでお考えに!」
「常住坐臥、戦いの事を頭の隅に置いておけ、という事です。
見栄ではなく、本物の実戦を考えて。良いですね」
「武人の心得、恐れ入りました」
すー、とイザベルが頭を下げる。
ぷ! とシズクが吹き出し、マツ達もくすくす笑い出した。
カオルもくすっと笑って、台所に入って行った。
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イザベルが幾分柔らかくなった。
カオルが戻って来て、皆に茶を出す。
「さて、と。イザベルさんに尋ねたい事が出来ました。
貴方の主として、貴方という方をきちんと把握しておきたい」
「何なりと!」
「貴方は幅広く武芸に通じていると聞きました。
武芸では何が出来ますか」
イザベルは少し考え、
「剣術。槍術。弓術。格闘術。捕手術。柔術。銑鋧術(手裏剣)。馬術。泳術。短刀術。十手術。長刀術(薙刀)・・・ぐらいです」
「ほう! 中々ですね。最も得意と言えるものは」
「剣術です」
朝の立ち会いを思い出してみる。
剣は確かに鍛えられたものではあったが、恐ろしい程ではなかった。
狼族という優れた身体能力に依存した部分を大きく感じる。
あれが最も得意という剣術か。
「厳しいと思いますが、はっきり言いますね。
貴方の剣は子供。ただ持って生まれた身体に依存しているだけの剣」
「は・・・」
がくん、とイザベルが肩を落とした。
「立ち会いの時、正直に言って、全く恐ろしいとは感じませんでした。
所謂、器用貧乏、というものになっているんですかね。
まあ、それだけやらされていれば仕方ありませんか。
身体能力だけは、確かに並ではありませんが」
「申し訳ありません」
「別に謝る事ではありません。
今までは、自分の一番得意なものを探していただけです。
見つかったのなら、これから磨くだけです」
「はっ!」
「それと、勘違いをしないように言っておきます。
自分の身体の強さを使うのは、全然悪い事ではないです。
そちらに傾きすぎている、というのが悪いのです。
既にある程度の技術は学んでいるでしょう。
身体の強さを持って、持てる技術を活かすだけ。分かりますかね。
双方の釣り合いを取るだけで、急激に、恐ろしく伸びるはず」
「私めが、そこまで」
「そうです」
「お教え、ありがとうございます!」
にや、とマサヒデが笑う。
「さて、この教え、只ではありませんよ。相応の対価を払って頂きます」
「必ず稼いで参ります!」
「まあ最後まで聞いて下さい。馬術が出来るんですよね」
あ、とカオルが顔を上げた。
マサヒデがカオルを見て、にやっと笑う。
「貴方に馬術を教えて頂きたい。
せっかく良い馬があるのに、私とカオルさんは馬術は素人同然です」
「私めが、マサヒデ様に!?」
「ただし! 人に教えるに相応の腕があればです。
アルマダ=ハワード。知っていますね」
「マサヒデ様と共に、トミヤス道場の高弟」
「彼には、馬術達者の騎士が4人ついています。
トミヤス道場の馬術の稽古に、師範代に誘われる程の達者」
「トミヤス道場の師範代・・・それ程の者が、4人」
「明日、彼らに貴方の馬術を見て頂きます。
彼らからお墨付きを頂けるのであれば、私達は貴方から馬術を習いたい。
彼らが駄目だと言うのであれば、金で払ってもらう」
みりみりみりみり・・・
イザベルの身体から、火が出そうだ。
「馬は3頭あります。
私が1頭、カオルさんが2頭。明日、厩舎でお見せします。
好きな馬を選び、貴方の馬術を彼らに見定めてもらう」
カオルを見て、
「カオルさん。良いですよね」
にやりとカオルが笑って頷く。
マサヒデも頷き、
「人に教えるまでは届かずとも、合格点は頂いてほしい。
ふふふ。未熟だと笑われないで下さいよ」
「必ずや!」
「では、少々お待ち下さい」
マサヒデが奥に行って、短弓を持って来る。
「当然、馬上での戦闘を見られるはず。
これは初心者用、しかも人族に使える程度の弓。
私が馬上で使うように買ってきた物です」
「マサヒデ様の!?」
「貴方には軽すぎて、おもちゃにもならないでしょう。
ですが、手持ちにはこれしかありません。これを使って下さい」
「は! ありがたき幸せ!」
恭しく両手を差し出し、押し頂くようにイザベルが受け取る。
マサヒデが長押を指差し、
「それと、あの槍を使って下さい。
あれも馬術の初心者用ですが、手掛けた方は一流の鍛冶職人。
名こそ知られていませんが、その腕は名匠です。
父上が唸る程の腕、と言えば分かりますか」
「剣聖が唸る職人!?」
「そうです。彼が手掛けた作は、父上の宝・・・」
「宝!? 剣聖の宝!?」
マサヒデが刀架から脇差を取り、
「そう。そして、私の宝でもある。
これが彼の腕の証明。御覧下さい」
「ははっ!」
イザベルが受け取って、く、と鯉口を切り、ゆっくり抜いていく・・・
「うっ、う、う・・・」
小さく驚きの声を上げながら、脇差が抜かれる。
頑丈さが見て取れる。
だが、これは何だ!?
無骨な作りであるのに、それを全く感じない。
何という輝き! 何という美しさ!
この脇差には、武と美の全てが調和している!
「明日は、この脇差を打った職人が手掛けた槍を使って頂きます。
素人用にと打ってもらった数打ち物ですが・・・」
「わ、私めには、この方の作は、数打ちでも、過分に過ぎます」
「壊しても構いません。先程も言いましたが、数打ちです。
馬上に慣れない私の為に、そう作ってもらった物です。
また打って頂けば良いのです」
イザベルが目を瞑り、ふうー・・・と、細く、深く息を吐く。
か! と目を開き、静かに脇差を納め、
「眼福でした」
マサヒデの手にホルニの脇差を返し、手の平を見つめる。
あれこそ、間違いなく名刀と言われる逸品!
今、私はこの手に名刀を握っていた!
ぐっと手を握り、長押に掛かった槍を見据える。
「必ずや!」