第612話
マサヒデはイザベルに主として認められてしまった。
彼女は、マサヒデが死ぬか、自分が死ぬまで、離れない。
それが本能なのだから、もうどうしようもない。
無理に引き剥がせばどうなるか。
そんなのはお前の都合、知ったことではない。
・・・などと割り切った事は、マサヒデには出来ない。
「ええっと、イザベルさん」
「は!」
「既に内弟子が居るので、もう弟子を抱える事は出来ないと話しましたね」
「は!」
「あの話には、少し嘘があります。
私はイザベルさんの主になりますから、お話ししておきます」
「あっ・・・主・・・主に・・・」
主! 私はこの人の家臣! この人に認められた!
ぼろぼろとイザベルの目からまた涙。
「おいおい、またか・・・イザベル様、すぐ泣くんだね」
シズクが後ろからイザベルに手拭いを渡す。
イザベルが受け取って、ぐいぐいと顔を拭う。
「先程、カオルさんは同僚と言いました。
つまり、カオルさんは家臣で、内弟子ではありません」
「はい・・・ぐしゅっ」
「しかし、外ではカオルさんは私の家臣ではなく、内弟子、という体で通しています。カオルさんが私の家臣だと知っている方は、ほとんどいません。ですから、イザベルさんも、この事は口外しないように。カオルさんは私の内弟子で通すこと。良いですね」
「はい! 絶対に口外は致しません!」
マサヒデがカオルの方を向き、
「カオルさんも、人前ではイザベルさんを立てるようにして下さい。
貴方はただの弟子、イザベルさんは家臣という形ですから。
イザベルさんも、人前でうっかり「先輩!」とか言わないように」
「はあ・・・」「承知致しました!」
「それと、冒険者になると決まったら。いや、冒険者が駄目だったとしても。
私の家臣でいたいなら、しっかり仕事をし、金は自分で稼いで下さい。
住む場所、食事、装備、そういったものは自分で用意すること。
通い弟子ならぬ、通い家臣といった所です。
ここに住まずとも、あなたは家臣です」
ずいっとイザベルが膝を進め、
「マサヒデ様! 金は稼ぎます! 給金など要りません!
ここに住む事は叶いませんか! お側に置いて下さい! 何卒!」
「残念ですが、もう空き部屋がないのです。
シズクさんも、この居間で寝ているくらいです」
「屋根など要りません! 庭の隅にでも!」
「駄目ですよ。良いですか。自分の家臣を庭に寝かせているなんて、それこそ私の恥ではありませんか」
「・・・」
「それに、ほら。国王陛下だって、家臣は城に住まわせていないでしょう?
皆さん、仕事の時間に登城していますよね。
常駐しているのは、メイドさんとか執事とか、お手伝いの方。
騎士さん達も、警備以外の方は夜は宿舎に行くんですから」
「確かに、確かにそうですが・・・」
「ね? だから、通いでも全く問題ない訳です。
私も貴方も、この点は恥ではありません。
私の恥はただひとつ。私から給金を払えないことです。
ですから、代わりに武術を教えるんです。許して下さい」
「そんな! 私がマサヒデ様を許すなどと! 畏れ多い!」
「私も、常に貴方を側に置けないというのは残念ですが・・・」
「ううっ! マサヒデ様! そこまで私を・・・」
ぼろぼろ。ぐすぐす。
「申し訳ありません。私の甲斐性がないのが、全て悪いのです」
「マサヒデ様!」
一体これは何だろう・・・
芝居を見ているようだ。
カオルとシズクが首を傾げる。
「貴方の家からお返事が来るまでは、ここで過ごして下さい。
皆さんからも許可を貰いましたから」
「は!」
ふ、と小さく息を吐いて、マサヒデが外を見る。
日が傾いてきた。
「カオルさん。早いですが、夕餉の買い物を。
イザベルさんも連れて行って、少し市場を案内してあげて下さい」
「は」
「カオル殿! 宜しくお願い致します!」
「・・・では、参りましょうか・・・」
「ははっ!」
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カオルとイザベルが出て行って、
「ああー!」
とマサヒデが声を出して大の字になる。
シズクが顎に手を当てて、
「マサちゃん。もしかしてって言うか・・・
主に認められちゃったんだ?」
「みたいですねえ・・・」
「うわ! すっげえー! やっぱ救世主様だ! 本物だよ!?
狼族に認められるって、大名誉じゃん!」
クレールが目を輝かせ、拳を握って、
「ね! ね! 凄いですよね!?」
「うんうん! 魔族にも中々出ないんだよ!?
今まで100人も居ないよね? 人族は初じゃないの?」
「あれだけの方に主として認められるのは、名誉だってのは分かります。
私も嬉しいですよ。ですけどね、大変じゃないですか」
「そうだよ! 大変な事だよ!」
「いや、そうじゃなくて。
私の一言一言で、イザベルさんの生き方が、大きく変わってしまうんです。
私に、イザベルさんの人生が、そのまま乗っかってしまったんですよ」
「うんうん! 凄いよね!」
「あのですねえ。これから私に、イザベルさんの人生の責任が増えたんです」
「何々? 面倒ってこと?」
「ではなくて。責任を負いきれませんよ・・・」
マツ達が顔を見合わせる。
「今更ですよね」「そうですよね」「だねー」
「どこがですか?」
「私達を嫁にして。子まで居て。カオルさんも家臣で。何を今更。
驚く事なんてひとつもないではありませんか。
今後、クレールさんにも子が出来るんですよ」
「・・・」
「マサヒデ様が道場を継ぐか。独立して道場を開くか。
そうしたら、お弟子さんの責任も負うんですよ。
1人くらい、なんてことありません」
「ううむ」
「冒険者さん達もそうですよ。マサヒデ様の教えを受けてらっしゃいます。
ならば、マサヒデ様の教え方ひとつで、皆様が変わるのです。
既に、マサヒデ様は多くの方の人生に深く関わっておられます」
「そうですかね」
「そうです。イザベルさんがぐいぐい来るから、驚いているだけです」
「ぐいぐい来てますねえ」
「ねえねえ、マツさん。これ魔王様に知らせた方が良くない?」
「ですね! 国王陛下にも!」
「ええ? そんな大袈裟な」
「そのくらい大変な事なんです! すぐ手紙を書きましょう!
特急早馬でお送りしましょう!」
「はあ、もう全てお任せしますよ」
「任されました!」
ばたばたとマツが執務室に入って行く。
これは困った。
また変な呼び名がつかないだろうか。
狼族の名門貴族令嬢を落とした男とか・・・
「マサヒデ様」
寝転がったマサヒデに被さるように、クレールが顔を覗き込む。
「はい」
「ふふ。イザベルさんの主になってくれて、ありがとうございます」
「ええ?」
「お友達ですもの!」
「ああ。そうでしたね」
悪い事ばかりではなかったか。
良い事もあるのか・・・
「うふふーん。イザベルさんなら、婦人にしても良いですよ!」
にっこりとクレールが笑う。
「やめて下さいよ」
「ところで、馬術、イザベルさんに教えてもらっては?」
「イザベルさんに? 馬術、得意なんですか?」
「一通りの武芸は出来るはずですよ」
「ほう」
よ、とマサヒデが起き上がる。
「一通りの・・・ふむ」
「ファッテンベルクは武の名門! ですよ」
「なるほど・・・少し、見てみますかね」
「家臣の力をきちんと把握しておくのも、主の務め! ですよ!」
「確かに」
一通りの武芸。
確かに、心構えは良くないとはいえ、単純な強さで言えばそれなりだ。
他もそれなりに出来るなら・・・
急にイザベルの腕に興味が湧いてきた。