第611話
イザベルがマサヒデに飛びかかって来た!
・・・と思ったら、武術家ではなく、冒険者として大成すると言い出した。
泣きながら。
皆、唖然として畳に額をこすりつけるイザベルを見つめている。
「ん! んん・・・皆さん、落ち着いて」
「はい」「うん」「・・・」
半分は自分に向けた言葉。
落ち着かなければ。
マサヒデが席に戻って、今までの会話を思い出す。
そうだ。よく女性に勘違いされると注意されているではないか。
きっと、イザベルは何か勘違いしてしまったのだ。
勘違いするような事を言ってしまったか。
さあ、思い出そう。
「・・・」
さっぱり分からない。
いや、こういう事は自分では気付けないものだ。
皆に聞いてみよう。
「イザベルさん」
「ははっ!」
「少しお待ち下さい。皆さんと相談したい事が出来ました」
「は! お待ちしております!」
「マツさん。ちょっと執務室へ」
「はい」
----------
執務室。
ぽ、とマツが行灯に火を点ける。
マサヒデとマツが顔を近付け、ひそひそ話をするように、
「マツさん。私、また何か勘違いするような事、言いました?」
ん? とマツが首を傾げ、少しして、
「・・・いえ。おかしな事は何も。私には気付けない所でしょうか」
「冒険者の支度の話をしてたから、でしょうか?」
「さあ・・・でも、それって稽古の為ですよね?」
「何で急に冒険者が目的に・・・凄い勢いでしたよ。あんなに泣いて。
もう稽古なんてどうでも良いって感じに見えましたけど」
ううん、とマサヒデとマツが腕を組んで首を傾げる。
「あっ! もしかして・・・」
「何か心当たりでも?」
「狼族って、主と認めた人に、凄く尽くすんです。
それはもう、喜んでもらえるなら、命を投げ出してまで」
「え!? 主って!? 私、またやってしまいましたか!?」
「あ、いえ、男女の感情というものではなく、主従の。
本能というか、習性というか、種族の特徴です。
クレールさんが凄く食べるのと同じです」
「ええ・・・私、イザベルさんの主になったんですか?」
「かも・・・ですけど」
「仮にですよ。私が主に認められたとします。
なぜ冒険者になるって言い出すんでしょうか」
「きっと、主の命令と聞こえてしまうんですよ。
主に従う事に、無上の喜びを感じるんですって。
とにかく、とんでもない忠誠心なんです。
悪く言えば、自分で自分を洗脳しているようなものです。
自分の武術の事なんて、どうでも良くなってしまったんでしょう」
「ええ?」
「お父様が魔の国を統一し始める時の最初の兵が、狼族の方々だったんです。
命を捨ててまで食べ物を取って来て、褒めて下さいって言ったんですって。
主が少しでも喜んでくれるなら、命なんて惜しくないみたいな」
「そこまで!? 困ったなあ・・・只の勘違いであってほしいですけど」
「そうですよね・・・でも、あの変わりよう・・・」
マサヒデが頭を抱える。
少ししてマサヒデが顔を上げ、
「いや、まだそうと決まった訳ではありません。
マツさんは戻って、クレールさんを呼んで下さい。
クレールさんは仲も良いみたいですし、気付いた事があるかも」
「はい」
するー、と障子を開けて、マツが出て行く。
----------
すぐにクレールが入って来た。
「こちらに」
「はい」
マサヒデの険しい顔を見て、クレールも真剣な顔だ。
「イザベルさん、急に冒険者で大成するなんて言い出しましたね」
「はい」
「あれは、私の稽古を受ける為の条件です。
別に冒険者として成功しろなんて、一言も言ってないのに」
「はい」
「もう、トミヤス流の稽古なんてどうでも良いって感じでしたよね」
「はい」
「マツさんは、もしかして、私は主として認められたのでは、と」
「あっ! そうかも!」
「やっぱり!」
ああ! とマサヒデが頭を抱える。
クレールはきらきらした目で、
「凄いですよ! 狼族の方に主に認められるなんて!
私、初めて見ました! あんな風になるんですね!」
「・・・」
「マサヒデ様を見る目! もう、感無量って感じでしたもの!
あの喜びに満ちた涙! きっとそうですよ!」
「・・・」
「人族で狼族に主に認められた方って、きっとマサヒデ様が初めてですよ!
今まで聞いた事もありません! 凄い! これは凄いですよ!
マサヒデ様! 魔族でも主に認められる方は、滅多にいなんですよ!」
「ちょっと待って下さい」
「はい?」
「もし、そうだったとしたらですよ」
「はい!」
「どうしたら良いのでしょう・・・主だなんて・・・」
ん、とクレールが小さく首を傾げて、
「別に良いのでは?」
「良くありませんよ! イザベルさんの目的は、私との武術の稽古!
冒険者になることは、稽古を受ける為の、ただの条件なんですよ!
それが、冒険者で大成するだなんて変わってしまって・・・
イザベルさんが家に帰った時、何て言うんです。
私はイザベルさんのご両親に、どう話したら・・・」
「じゃあ、試しに命令してみましょう!」
「命令?」
「冒険者で大成するな! 武術家として大成しろ!
ね? これで良いでしょう?」
「それ、聞いてくれたら・・・私は、主って事ですか?」
「そうですよ! 聞いてくれたら凄いですよ!
史上初! 人族で狼族の主になった男、マサヒデ=トミヤス様!」
「ああ!」
マサヒデが手で顔を覆う。
んん? とクレールがマサヒデの顔を下から覗いて、
「何がそんなに困るんですか?
別に家臣として雇わないといけないって事ではないんですよ?
これは名誉なんですよ? それだけの強さと魅力があるって証なんです」
「それって、解雇とか出来る訳では・・・」
「主が死ぬか、自分が死ぬか、だそうです」
「うう・・・」
もし、本当に主と認められてしまったなら!
これはきつい!
マサヒデの一言が、イザベルの運命を決定付けてしまう!
イザベルの人生が、マサヒデの背中に乗ったのだ!
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ!
カオルさんが増えたみたいな感じです!」
「ううむ・・・そうですかね」
「そのくらいですよ! さあ、戻って確かめてみましょう!」
----------
マサヒデが渋い顔で戻って来た。
クレールがにこにこしながら、マツの横に座る。
イザベルは頭を下げたまま。
マサヒデがイザベルを見て、うーん! と顔をしかめる。
クレールを見ると、クレールがにっこり笑って頷く。
「イザベルさん」
「イザベルとお呼び捨て下さいませ!」
ああ! とマサヒデは心の中で頭を抱えた。
もうこの返事で分かった。
マツも、ううん、と腕を組んだ。
カオルとシズクは、何だ何だ、ときょろきょろしている。
「申し訳ありません。私は中々女性を呼び捨てる事が出来ません。
イザベルさん、で良いですか」
「は! お好きにお呼び下さい!」
マサヒデが、ふうー・・・とゆっくり息を吐いて座る。
「顔を上げて下さい」
「は!」
(うわあ)
なんと輝いた顔か・・・
喜び。尊敬。そういった感情が満ち溢れている。
ちら、とクレールを見ると、やりましたね! と、ぐっと拳を握っている。
「すうー・・・ふうー・・・」
深呼吸。
「イザベルさん。先程、冒険者として大成してみせると言いましたね」
「は!」
「良いですか。貴方が冒険者の仕事をするのは、私の稽古を受ける為です。
貴方の目的は、トミヤス流を学ぶ事でしたね」
「いえ! 我が身の事など、どうでも良いと分かりました!
トミヤス様のご命令通り、私は冒険者に身を捧げます!
この命が尽きるまで!」
ええー? と、カオルとシズクが目を丸くして顔を見合わせる。
この変わりようは一体?
イザベルの背中から、燃え上がるような忠誠心を感じる。
「いけません。貴方は武に身を置きなさい。
もちろん、冒険者仕事を適当にやれと言うのではありませんよ。
そんな者をギルドに送ったとなれば、私の恥です」
「は! トミヤス様の名誉を汚す事は致しません!」
「貴方は冒険者仕事をきっちりこなす。
私はその対価として、トミヤス流を教える。
私を超えたら、父上から学ぶのです」
「トミヤス様を超えるなどと!
私には終生無理でございます!」
「マサヒデ、で結構。私も貴方をイザベルと呼んでいるのですから」
「ご命令とあらば!」
「では、命令です・・・私を、マサヒデと呼んで下さい」
「ははっ! マサヒデ様!」
「ええと・・・まあ、それで宜しい。カオルさん」
「はい」
「今日から、イザベルさんはカオルさんの同僚になります」
「は?」
がば! とイザベルがカオルに頭を下げる。
「カオル殿! イザベル=エッセン=ファッテンベルク!
不肖の身ですが、宜しくご指導をお願い致します!」
皆が目を丸くして、イザベルを見ている。
よし! とクレールが拳を握った。