第610話
魔術師協会、居間。
床の間の前に座るマサヒデ。
頭を下げるイザベル。
マサヒデの横で、冷たい目でイザベルを見下ろすカオル。
縁側で寝転んでいるシズク。
緊張感で、どきどきしているマツとクレール。
「ここに居るということは、冒険者になるんですね」
「はい」
「登録は済ませましたか?」
「はい」
「で、受理されましたか?」
「いえ。まずは実家から、許可が下りてからと」
「家にはもう連絡は済んでいますよね?」
「私の家には通信機がありません。
近くの冒険者ギルドを通しますので、2、3日かかると思います」
「ああ、分かりました」
ずず、とマサヒデが茶をすする。
「さて。では、家から許可がなければ、冒険者にはなれないという事ですね」
「はい」
「貴方の家は、かなりの名門と聞きました。
十中八九、冒険者になるなど許さないと言われると思いますが・・・
貴方は、この所、どう思いますか」
「まず許されると思います」
「どうして」
「武を磨くためであれば、当家は家の名誉など気にしません。
トミヤス流ほど高名な武術を習えるのであれば、尚更」
マサヒデがちょっと驚いて、
「貴方の家は、そういう方針なんですか?」
「はい」
「ちょっと驚きました。貴族というと、やはり体面というか・・・
いや、これは私の偏見ですね。失礼しました。
では、家を継ぐとか、どこかと結婚とかの面倒な話はありませんか?」
「家を継ぐ者は既に兄と決まっておりますし、兄にはもう子がおります。
気に入った者が見つかれば嫁ぐも良し。
今のまま、武術を磨いて武術家となるもよし。
お前の好きにせよ、と父に許しというか・・・その、投げられております」
「へえ・・・」
マサヒデがマツとクレールを見る。
2人も驚いている。
「万が一、兄と兄の子に何かあれば、呼び戻される事はあるかもしれません。
ですが、まずは親戚筋から養子を迎える話になるかと」
「ふむ。そうですか。この辺は大丈夫そうですね。
まあ実際に返事が来るまで、何ともですけど・・・」
一旦、会話が止まり、沈黙。
こん! と鹿威しの音。
「カオルさん」
「は」
「支度金、いくらくらいが妥当ですかね。
金貨・・・5枚では多すぎますか。3枚くらい?」
「3枚もですか?」
「まあ、知らない事ばかりでしょうし、初めは少し余裕を持って。
イザベルさんは名門貴族の令嬢なんですよ。
何もしてなくても、町中を歩いていれば危険なんです。
ある程度は揃えておきませんと」
「は」
「まあ、取り敢えず返事が返ってくるまでは、ここに泊まってもらいますか。
皆さん、構いませんよね」
「はい」「やった!」「・・・」「ほーい」
「カオルさんは何か不満でも」
「いや、不満というものではないのですが・・・ううん・・・」
カオルが腕を組む。
少し眉を寄せて、
「支度金で、野営道具を揃えてみては?
後々、宿を取るよりも安く済みますし」
「ふむ? ううむ、それもありか・・・あ、いや。
まだ冒険者になれると決まった訳ではありませんからね」
「あ、そうでした」
「ふふふ。カオルさんって、たまにどこか抜けてますよね。
考えてしまった私もですけど」
「・・・」
「ははは! ま、これでカオルさんも賛成、と。
では、返事が来るまで、イザベルさんはここの客です。
くつろいで下さい」
「は! 皆様のご厚意に感謝致します!」
「ははは! 固いですね! さ、もう頭を上げて」
「は!」
にこにこしたマサヒデの顔。
マサヒデの顔を見て、イザベルの目に何故か涙が溢れてきた。
何故、こんなに涙が出るのか。自分でもどうしようもない。
今、私の前にトミヤス様が居る!
嬉しい! 嗚呼! 感無量とはこの事か!
あ! とマサヒデが驚いて、
「ええ!? どうしました!? ここでは厳し過ぎますか!?
ええと、ええと、クレールさん、ホテルの部屋、貸してくれませんか!?」
「はい! すぐに手配を」
ぱ! とイザベルがクレールに向かって手を出して、
「お待ち下さい! 違います!」
「一体、どうしたんですか?」
くるっとイザベルがマサヒデの方を向く。何だ?
と、がば! とマサヒデの前に跳び込んで来て、思わず仰け反った。
ばしっとマサヒデの右手を両手で取り、額の前でぎゅっと握る。
「いっ!?」
狼族が思い切り握ったので、マサヒデの手がみしみしと鳴る。
手が砕かれる!
「痛い痛い痛い! イザベルさん! 手! 手!」
「は!? しっ、失礼致しました!」
イザベルがぱっと手を離すと、マサヒデが苦痛に顔を歪め、
「いっ・・・いー・・・い、い」
左手で右手の手首を握り、ふるふると手を震わせる。
ゆっくりと手首を回す。手の甲の側に、小さく出っ張った物がいくつも。
骨だ。完全に砕かれた。
目眩がしてきた。気を失いそうだ。
痛みに顔を歪めながら、マツの方に手を伸ばし、
「おっ・・・折れて・・・折れました・・・」
「ええっ!?」
慌ててマツが手を伸ばし、マサヒデの手に治癒の術をかける。
クレールも手を伸ばす。
シズクは後ろで呆然としている。
イザベルは肩を震わせて頭を下げている。
カオルの脇差が抜かれ、イザベルの首の上に置いてある。
はあ、と痛みが引いたマサヒデが息をついて、ふりふりと軽く手を振る。
殺気は一切なかったのだが・・・
今ので首を取られていたら、死んでいた所だ。
「ふう・・・どうしたんですか・・・驚きましたよ」
「失礼致しました!」
「ううむ、やりますね・・・こうも簡単に利き手を取られるとは」
「失礼致しました!」
全く害意を感じられない。
はて、とマサヒデ達が顔を見合わせる。
カオルだけが、殺気満々でイザベルの首に脇差を当て、ぴくりともしない。
「カオルさん」
カオルが、じ、とイザベルの頭を見ながら、ゆっくりと脇差を引いていく。
油断なく切先を向けたまま、腰を浮かせ、納めもしない。
イザベルの指先が動いただけで刺しそうだ。
「カオルさん、納めて」
ゆっくりとカオルが脇差を納める。
鯉口は切ったまま、手は添えられている。
「今のは完全に一本取られました。
でも、どうしたんですか? いきなり」
「失礼致しました!」
「失礼致しました、では分かりませんよ。
何か気に入らないんですか? 今度は居合で勝負?」
「まさかそんな! トミヤス殿! いや! トミヤス様!」
「は、はい!?」
勢いに押されて、思わず大声で返事をしてしまった。
「このイザベル=エッセン=ファッテンベルク!
必ずや、冒険者として大成してみせます! 必ず!」
「・・・ええっ!? 何で!?」
ぽかん、と皆が顔を合わせる。
カオルの肩もかくんと落ちて、マサヒデの顔を見る。
武術家ではなく、冒険者で!?
イザベルの涙が、ぽたり、ぽたり、と畳に落ちて、小さく染みを作る。