第609話
魔術師協会。
イザベルががっくりと肩を落とし、俯いている。
マツとクレールが心配そうな顔でイザベルを見ている。
マツがそっとカオルの側に寄って来て、
「カオルさん」
「なんでしょう」
「どうしたんですか? すごく落ち込んでいますけど」
「ご本人にお尋ねされては」
マツが、ちら、とイザベルを見る。
「とても聞けそうな雰囲気では・・・」
「私には分かりません。何かがイザベル様の心に重く響いたのだろうとしか」
「見習い冒険者のお仕事の内容でしょうか」
「さあ。私には何とも」
部屋の空気がずっしりと重い。
クレールが少し困ったような顔でイザベルににじり寄って、
「イザベルさん」
「クレール様」
「面白い本があるんですよ。気分直しに、一緒に読みませんか」
クレールが隣に座って、本を置く。
「・・・ウー=スン兵法」
「イザベルさんはご存知でしたか?」
「はい。父に叩き込まれました」
「あ、武門のファッテンベルクですものね!
ではでは、少しお待ち下さい! いえ、一緒にこちらへ!」
クレールが立ち上がって、
「ほら、来て下さい!」
「はい」
イザベルがとぼとぼとクレールの後を付いていく。
台所に入り、クレールが書庫の入口を開けて、
「この下にいっぱい本があるんです。歴史書もたくさん!
人の国は、戦の歴史って言ってもいいくらい、戦があるんです!」
「戦の歴史ですか」
「今でも、西方の国では戦をしてますものね。悲しい事ですけど。
でも、武門のイザベルさんには、戦の歴史は興味があるのでは?」
階段を下りて行く。
中はぼんやりと明るい。
小さな瓶が、光を発している。
「この瓶は? 光っておりますが・・・」
「魔力異常の洞窟、ありますよね。光っている」
「ああ・・・あの砂を」
「そうなんです。これでランプも蝋燭もいらないんです」
ぺたぺたとクレールが歩いて行く。
下は綺麗に磨かれた石のようだ。
「この床は・・・大理石ですか?」
「いえ。マツ様が土の魔術で、ぎゅっと固くして石にしたんです。
凄いですよね。流石は元王宮魔術師」
「王宮魔術師? マツ様は、王宮魔術師だったのですか?」
え? とクレールが振り向いて、
「知らなかったんですか?」
「は・・・その、恥ずかしながら」
「人の国の中では、3本の指に入る魔術師ですよ」
「え!?」
「本当に知らなかったんですか?
名前くらい、聞いた事はありませんか?
山ひとつ、軽く吹き飛ばせるくらいの魔術師ですよ?
この町くらいなら、一瞬です」
「・・・」
「本当に知らなかったんですね・・・
あの、マサヒデ様が魔術師協会に住んでいると知ってましたよね?
少しくらい調べておいても良かったと思いますけど」
また、イザベルががくっと肩を落とす。
クレールが慌てて、
「あ、あ! ああー! ごめんなさい! もう過ぎた事ですし! ね、ね?
ほら、本を見ましょう! ええと、ええと、どれにしましょうか!
あ、こんなのとか! モートシー家の歴史とかどうでしょう!
これ! 稀代の謀将、ガンシュウ=モートシーと戦!」
「モートシー? 銀のモートシー家ですか?」
「そうですよ。モートシーは、元々は一国の王だったんです。
それも、ただの地方豪族から王になったんです! すごいですよね!」
「地方豪族から、王にまで?」
「ええ。孤独な、でも温かい王なんです」
「孤独な・・・」
何かがイザベルの心に触れたのか。
クレールの手の本にそっと手を伸ばす。
タイトルは『稀代の謀将、ガンシュウ=モートシーと戦』。
「孤独な王・・・温かい王・・・」
「そうなんですよ。冷たく見えて、とても家族想いの優しい王なんです」
「家族・・・家族想い・・・」
ぼろぼろとイザベルの目から涙が。
(しまったあー!)
クレールがぎょっとしてイザベルを見つめる。
イザベルは家族と別れて、ここで働くのだ!
「あ、あ、あ! ええと、ええと、他の本にしましょうか!
戦の本は他にも・・・」
イザベルが袖で目を拭い、
「クレール様。私、こちらを読みたく思います」
「そそそーうですかあ! ええ、すごいんですよおー!
ガンシュウ=モートシーの神算鬼謀には舌を巻くばかりで!」
「はい」
「で、ではでは、上がりましょう・・・か」
「はい」
ぺたぺた・・・
(やってしまいましたあ・・・)
いー、と気不味い顔で、クレールが階段に向かう。
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「たった3000の兵で、3万を・・・」
ぱらり。
「城内には8000・・・5000は民間人・・・
民間人を大量に抱えての籠城で・・・厳しかろう」
ぱらり。
「出るのか!? 野戦!? ・・・これで勝つのか・・・
援軍が来ると知っていて何故だ・・・抵抗はしたと見せるためか・・・
む? 曰く勝つる事間違いなし? どこを見て? 発破ではあるまいな」
ぱらり。
「伏兵が500、200? 2手だけ? 本隊が1000?
いかに奇襲とはいえ・・・野戦で、この数の差で・・・
合戦図、合戦図は・・・」
ぱらぱらぱら・・・
「ええと、初期配置は・・・こうで・・・
巧みではあるが、いかに伏兵といえど・・・
この数の差で勝ってしまうのか? 本隊が真正面? 囮にしても」
ぱらぱらぱら・・・
「こう動いて・・・こう動いて・・・」
ぱらり。
「夕刻はここ・・・いや待て。夕刻? 夕刻まで戦っていたのか?
伏兵が700という事は・・・10倍以上を相手に?
何故そこまで持たせられたのだ?」
ぱらり。ぱらり。
「こう動いた・・・こう動いて・・・ううむ」
ぱらり。
「・・・本陣に討ち入る? 惜しむらく大将の首を討てず?
なんと・・・これがモートシーの戦か・・・」
ぶつぶつと呟きながら、イザベルがページをめくる。
くす、とクレールが笑って、
「どうですか?」
「は! あ、申し訳ありません。つい」
「凄いでしょう? 戦など知らない私が見ても凄いと思いますし」
「いや、見事という言葉では表せるものではありません。
用兵の妙がここに・・・これは秘宝とすべき・・・」
「他にも、名将と呼ばれた方はたくさんいるんです」
「他にもいるのですか!?」
「うふふ。それ、同じ人族同士の戦なんですよ。
人族と魔族のように、身体が違うのではないんです」
「はっ・・・そうだ! 身体の優劣は同じだ!
それでこの差を覆すのか! 勝つのか!
なんという、なんという! おお・・・素晴らしい・・・」
「ね? モートシー王って凄いでしょう?」
「はい。恐れ入りました」
「こういう歴史書は戦の記録でもあります。
イザベルさんには、すごく勉強になるでしょう」
「はい!」
「機会があったら、他のも」
す、とカオルが立ち上がって出ていく。
少しして、からからから・・・と玄関の音。
「只今戻りました」
「あっ! マサヒデ様ー!」
マサヒデだ。
だが、イザベルはカオルに驚いた。
(あの女!)
マサヒデが来る前に、立ち上がって出て行った。
これは尋常ではない。
獣人族並か、以上の勘の良さ。
「どうも」
「おかえりなさいませ」「おかえりなさいませ!」
マツとクレールが頭を下げる。
「お邪魔致しております。朝の無礼を、お許し下さいませ」
イザベルが頭を下げる。
「何か無礼がありましたかね。私は良く覚えていませんが」
マサヒデが刀架に大小を掛ける。
座ると、カオルが茶を差し出す。




