第608話
魔術師協会、居間。
昼餉が終わり、一服中。
イザベルは湯呑を取らず、黙って下を向いている。
「粗食に不安ですか?」
は、とイザベルが顔を上げる。
カオルがじっとイザベルを見ている。
「毎日店で食べていては、すぐに金が尽きます。
出来る限り、ご自分で用意なされますよう」
「はい」
答えたものの、まともな料理などしたこともない。
「狩りや釣りで食材を得るのも宜しいでしょう。
畑仕事を手伝い、代価に野菜を得るのも良いでしょう。
ただ食べるというだけなら、いくらでも手はありますが・・・」
カオルが湯呑に茶を注ぎ、
「イザベル様は、冒険者として稼がねば。
でなければ、稽古には参加出来ないという事をお忘れなく」
「はい」
拳が震える。
自分がここまで無力であったとは・・・
「後で、もう一度ギルドへ参りましょう。
イザベル様が請けられる仕事がどんな物か、見ておいた方が宜しいかと」
冒険者の仕事。
護衛か。魔獣狩りか。
いや、いかに自分がファッテンベルクの者とはいえ、実績はない。
今の自分に、何が出来るのだろう。
----------
冒険者ギルド、掲示板。
「イザベル様は、冒険者ランク外。所謂、見習いとなります。
請けられる仕事はこちらです」
「・・・」
側溝の掃除。
薪割り。
水運び。
皿洗い。
炭焼き。
肥料運び・・・
「手っ取り早く稼ぐのであれば、他が嫌がる仕事を選ぶのが早いです」
カオルが側溝の掃除と肥料運びの掲示を指差す。
銀貨10枚。
汚物にまみれ、たったの銀貨10枚。
これが、稼ぎの良い仕事。
「炭焼きも良い額ですが、場所は山の中。
まともな準備も揃わぬうちは、やめた方が良いでしょう」
「こんな」
「おやめになりますか?」
「・・・いえ」
「イザベル様はお力もありますし、水運び、薪割りなど、複数こなすのも手でしょう。規定回数以上の依頼を成功させ、実績を積みますと、こちらに」
荷運び。
動物の世話。
各種配達。
売り子。
職人街での仕事の手伝い。
「見習いを経て、責任というものが問われてきます。
損害が出た場合は、全額イザベル様の負担となります。
期間内の達成不可も同様です。
また、緊急の仕事が出てくる事もあります」
「緊急の仕事? 危険なものですか?」
「このランクですと、急病などで人手が足りなくなった店の手伝いなど」
「・・・」
「実際に冒険をする冒険者は、実績を積んだ中で更に選ばれた者です。
一般の冒険者とは、日雇い、何でも屋、下働きの便利屋とご承知おき下さい。
認められた冒険者でなければ、危険な仕事は任されません」
「はい・・・」
「実績がものをいう世界です。
当然、数をこなせば上まで行ける訳でもありません。
仕事の質も問われますので、認められねば、いつまでも下働きです」
「ご説明、ありがとうございました」
「では、戻りましょう」
カオルが踵を返した時、受付嬢がこちらを向いて、
「カオルさん、イザベルさん、少し待って下さい」
「何か」
「マツモト部長がお話があるそうですけど、今呼びましょうか?
後で魔術師協会の方へ行くと仰られていましたけど」
イザベルの身分の事か。
後ろのイザベルの方を向くと、イザベルも察したようだ。
「イザベル様」
「構いません」
イザベルが頷く。
「お願いします」
「では、小会議室でお待ち下さい。すぐにお呼びします。
メイドさーん!」
すたすたとメイドが歩いて来る。
「お二人を小会議室にご案内して下さい」
「はい」
----------
冒険者ギルド、小会議室。
メイドが出してくれた茶を飲んでいると、ドアがノックされた。
「失礼します。マツモトです」
ん、とカオルとイザベルが顔を上げる。
「どうぞ」
かちゃ、とドアが開いて、マツモトが入って来た。
カオル達のソファーの横に立ち、
「貴方がイザベル=エッセン=ファッテンベルク様ですね」
「はい」
「オリネオ冒険者ギルド、依頼受付部部長、マツモトと申します。
以後、お見知りおき下さい」
マツモトが頭を下げる。
イザベルも立ち上がって、頭を下げる。
「イザベル=エッセン=ファッテンベルク。宜しくお願いします」
「では」
マツモトが対面のソファーに座り、イザベルも座る。
「ファッテンベルク様。此度はこちらで冒険者になるとお聞きしました」
「イザベルとお呼び捨て下さい」
「では、イザベル様。冒険者になるとの希望ですね。
エッセン=ファッテンベルク家と言えば名門です。
ファッテンベルク家の者なら、他にいくらでも仕事はある。
冒険者などせずとも良いでしょう。なぜ冒険者を選ばれました?」
「トミヤス殿との立ち会いの条件です。
負けたらこちらで冒険者になれと」
「なるほど。立ち会いの条件で・・・」
かちゃ、とメイドがマツモトの前に紅茶を置く。
カオルがマツモトの顔を見て、
「イザベル様はマサヒデ様にトミヤス流を習いに来ました。
冒険者である間は、稽古に参加して良い、と」
「ああ・・・そういう事ですか」
マツモトが少し表情を和らげ、カップを取る。
やはり、すぐに投げ出すか不安があったのだろう。
「しかし、すぐ近くにトミヤス道場があります。
トミヤス道場は、剣聖カゲミツ様が教えております。
なぜカゲミツ様ではなく、トミヤス様をお選びに?」
イザベルは少し下を向いて、少し考える。
「将来は・・・」
カオルとマツモトが言葉を待つ。
「将来は、行くかもしれませんが・・・今ではありません」
「と言いますと」
「私は、武人の心構えもなっておりませんでした。
多少腕が立つからと、周りに褒められ、良い気になっておりました」
カオルがちらっと横のイザベルを見る。
やはりそうか。
「トミヤス殿は、私の心構えを甘いと申されました。
剣聖の教えを受けられるのは、心構えが出来てから。
冒険者としての仕事は、私の心を磨く為の修行のひとつと心得ております」
「修行ですか」
「ですので、トミヤス殿に認められるまでは、こちらで修行をと」
マツモトが厳しい目でイザベルを見る。
「なるほど。トミヤス様が甘いと申される訳がよく分かりました」
は、とイザベルが顔を上げる。
「無礼を承知で申し上げます。
修行がしたいのであれば、1人で山籠もりでもしておれば宜しい。
ここで仕事をする必要は一切ございません。
籍があれば、貴方は冒険者の肩書を持つのですから」
「いえ! いえ・・・恥ずかしながら、金がありません。
身一つでこちらで暮らしていかねばならぬのです。
仕送りも禁止されております」
「金。ふむ。金ですか。
先程言った通り、ここに籍を置けば、もう貴方は冒険者です。
他で仕事をすれば、楽に金は稼げます」
「はい・・・」
「しかし、修行のついでに、こちらの仕事で稼ぐと。そういう訳ですね」
「ついで、などと・・・」
イザベルの言葉が小さくなっていく。
「貴方がこちらで仕事をする理由は、修行の一貫だと申されましたね
ここで仕事をすれば、トミヤス様の稽古をうけられ、金も稼げる。
全てがついでですね。違いますか?」
「いえ、違いません」
「冒険者であれば、トミヤス様の稽古を受けられる。
仕事をするのは、トミヤス様の稽古の為、ついでに金の為・・・」
ふう、とマツモトが息をついた。
「冒険者への希望の申請があれば、普通はこのように理由など聞きません。
『冒険者』という職の名への憧れ。仕事はあるが小遣い稼ぎ。
元犯罪者。前科者で、どこにも雇ってもらえない。
色々な理由の者がおりますが・・・」
マツモトが俯いたイザベルを見つめる。
「依頼通りの結果を出せる者であれば、誰でも認められる仕事です。
ついでの仕事であろうと、全く構わないのです。
しかし、お話を聞く限り、今回は勝手が少し違うと思います。
トミヤス様も、そのつもりで冒険者仕事をしろと言われたはず」
マツモトが静かにカップを置く。
「トミヤス様の身内は、このギルドの施設の全てを、無償で使用する事を認められております。ですが、私には貴方がトミヤス様の身内には見えませんし、私には認められません。オオタ様・・・このギルドのギルド長です。オオタ様も同じ意見でしょう。ここの冒険者全員も同じ意見ではないかと思います」
「はい・・・」
「実家へのご連絡は」
「しました」
「お返事は?」
「近日中には」
「分かりました。貴方の家から許可が下りましたら、申請を受理します。
ですが、貴方をトミヤス様の身内とはしません。
施設を利用する際は、料金が発生する所もあります。宜しいですね」
「はい」
「家から許可が下りなかった場合は、改めてトミヤス様にご相談下さい」
「はい」
マツモトが頭を下げ、
「お時間を頂き、ありがとうございました」
マツモトが立ち上がり、出て行った。
イザベルは叩きのめされたような顔で俯いている。
ここでは、私は認められない。