第607話
魔術師教会。
がらがら、と玄関を開けて、カオルが中に入って行く。
イザベルは庭に周り、縁側の前で膝を付く。
居間にいたクレールが、何事かと驚いて、
「イザベルさん? おかえりなさい?」
「クレール様。遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます。
知らずにいた我が不明、平にご容赦下さいませ」
「ああ! えへへ・・・ありがとうございます!」
「トミヤス様に嫁入りをしたとか・・・
トミヤス様が婿入りしたのではなく?」
「そうですよ!」
「左様で・・・」
ほ? とクレールが首を傾げて、
「おかしいですか?」
「あ、いえ」
う、目を逸らすイザベル。
くす、とクレールが笑って、
「いかに剣聖の息子、いかに強いと言えど、平民に嫁ぐとはおかしい。
そうお考えですね?」
「恐れながら」
「うふふ。驚いて下さいね。実は私・・・第2婦人なんです!」
「えっ・・・」
イザベルが大声を出しそうになり、ぐっと堪える。
「少しマサヒデ様とお付き合いをしていれば、すぐ分かります。
何故、私がマサヒデ様を選んだのか。
何故、マツ様がマサヒデ様を選んだのか。
カオルさん、シズクさんが何故ここにいるのか」
「・・・」
「ただ嫁だからというのではありません。
勇者祭のメンバーだからでもありません。
それだけなら、私はホテルに戻っています。
せめてそれが分かるまでは、冒険者を頑張ってみて下さい」
「お待ち下さい。クレール様。マツ様、とは・・・あの方が、もしや」
「はい。正妻となります。マツ様の事はご存知ないのですね」
「はい」
「そのうち、マサヒデ様か、マツ様ご本人から教えて頂けますよ」
「はい」
「さ、上がって少しお休み下さい。
私はここで稽古をしておりますから」
ぽ、とクレールの両手に雀がとまる。
んん? とイザベルが怪訝な顔をする。
「稽古?」
「うふふ。見てて下さいね・・・」
きょろ、きょろ、と雀が左右を見る。
は、と羽ばたこうとした瞬間、ふ、と小さく手を下げる。
驚いて逆の手の雀が飛び立とうとし、また、ふ、と小さく手を下げる。
「む!?」
「ふっふっふーん」
ふぁー、とクレールの手から雀が消える。
「ご覧になって分かったと思いますけど、使役してなかったんです!
普通は飛んで行って、消えてしまいますよね?」
「はい・・・」
「飛び立とうとする気配を感じ、ほんの少し手を下げる!
すると、雀は飛べない! 集中力の鍛錬です。
魔術師には欠かせない稽古ですね」
「素晴らしい! よくぞ、このような訓練を思い付きに!」
「んっふっふー。これはトミヤス流の稽古法なんです。
私が教えたって事は秘密ですよ」
「なんと!?」
後ろでカオルが渋い顔をしている。
「マサヒデ様は、この雀を木刀の上に置いてやるんです。
直に手で触ってなくても出来ちゃうんですよ」
「な、なんと・・・」
「イザベルさん、マサヒデ様が寸止めしてくれて良かったですね」
「はい・・・」
格が違いすぎる。
イザベルががっくりと肩を落とす。
マサヒデは16歳と聞く。自分は97歳になる。
人族で言えば、自分と年齢は大して変わらない。
元の肉体の差もあるのに、ここまで差があるとは・・・
「さ、上がって下さい。立ち会いをして、あんなに泣いて。疲れたでしょう」
「はい」
恐る恐る、と言った感じでイザベルが上がって来て、ぴしりと正座。
「さあ、横になって少しでもお休み下さい。
ここでは身分の上下は関係なし。これがマサヒデ様の方針です。
あ、でもお客様の前ではちゃんとして下さいね」
「は・・・」
「さあ。落ち着かないかもしれませんが、目を瞑っていなさい。
少しでも疲れを取って下さい」
「は。それでは、失礼致します」
少しして、す、す、とイザベルが寝入ってしまった。
----------
がらっ!
勢い良く玄関が開いて、は! とイザベルが飛び起きる。
「ただーいまっ!」
鬼族の女の声・・・
どすどすと廊下を歩く音。
「あっ」
ばっちり目が合ってしまった。
シズクが気不味そうに目を逸らせて、
「あ、あーっと・・・お疲れ様・・・でした?」
「構いません。ここでは身分の上下なしと聞きました。
今朝はお騒がせ致しまして、大変失礼を致しました」
イザベルが頭を下げる。
「あっ、ああー・・・うん。いいよ。
マサちゃん相手じゃ仕方ないよ」
マサちゃん。マサヒデの事か。
あのマサヒデを、こんなに狎れた呼び方をするとは。
「昼餉は食べたの?」
「あ、いえ。まだ」
あれ? とシズクがマツ達を見る。
いつもなら、もう食べ終わっているが・・・
マツが小さく笑って頷いて、
「起きるのをお待ちしておりました」
「これは! 申し訳ありません!」
「お気になさらず。大変だったでしょうから・・・」
カオルが膳を持って来て、マツ達の前に並べながら、
「シズクさんはどうします?」
「いいよ。もう食べてきたから」
「はい」
白米。汁。申し訳程度の、焼いた薄い肉が数枚。漬物。
絵に描いたような粗食。
マツとクレールを見る。
この2人は貴族だが、とても貴族の食事ではない。
「さ、ご遠慮なく」
「いただきます!」「いただきます」
3人が食べ始める。
イザベルも箸を取る。
「うっ・・・ぐ」
口にする前から、涙が出て来た。
野営ならまだしも、普段からこのような食事になる。
膳を見て、急に現実が感じられてきた。
これから私は冒険者。
「お口に合いませんか?」
は、とカオルに目を向ける。
「いえ、そうではないのです」
「今は、無理にでも腹に入れておいた方がよろしいかと」
「はい」
椀を取り、汁をすする。
温かい。
「美味しいです」
「良うございました」
イザベルが黙々と箸を進める。
後ろで、うーん? とシズクが首を傾げる。
「カオル」
「何でしょう?」
じ・・・と、シズクがカオルを見つめる。
「いや、ちょっとよく分かんない。後にする」
「ん? 何ですか?」
「うん。やっぱり教員候補かな」
「そうですか?」
ごろん、とシズクが寝転がる。
「おかわり下さい!」
クレールが椀を突き出し、カオルが飯を盛る。
ばくばくとクレールが食べる。
ちまちまとイザベルが食べる。