第605話
魔術師協会。
イザベルとの立ち会いが終わり、皆で朝餉。
空気が少し重い。
マサヒデが庭で肩を落としているイザベルをちらっと見て、
「彼女は貴族ですよね。どういった家の方です?」
こと、とマツが椀を置いて、
「魔の国では古くから続いている家です。
財政はそれほど裕福とは言えないのですが・・・」
マツがちらっとイザベルを見て、ちょっと口を濁し、
「エッセン=ファッテンベルク家は、その・・・
代々、武門で鳴らしている家で・・・名門です。
名は、魔の国では広く知られております」
「なるほど。武門で鳴らした貴族、名門ですか。
あの身体つきで、あの鎧に、あの大きな剣を片手で・・・
並の獣人族ではないと思いましたが、そういう血筋でしたか。
納得がいきました」
マサヒデがもう一度イザベルをちらっと見る。
武で鳴らした家。
それは肩を落としもするだろう。
が・・・
「武で鳴らした家にしては甘い。甘すぎる。
真剣勝負を挑んでくるのに、負けたら弟子になんて・・・」
カオルも頷く。
マツが少し困ったような顔で、
「マサヒデ様、それは厳しすぎるのでは」
「いやいや。マツさん、普通に考えて下さい。
真剣勝負で彼女が勝ったとします。
良いですか。真剣での勝負ですよ。結果、私が死んだらどうなります。
彼女の目的は、私からトミヤス流の技術を学ぶ事だったでしょう」
「あ」
「彼女が負けて、彼女が死んでも同じ。
私の弟子にはなれないではありませんか」
「確かに、そうです」
「真剣勝負を命の取り合いと心得ていないから、こんな考えになる。
だから格好つけて、いざ真剣で、なんて軽く言うんです。
目的を考えたら、今回は木刀勝負でないといけないんですよ」
マサヒデはイザベルを見て、
「これが良く言われる、所詮は貴族剣法かって馬鹿にされる典型的な例です。
貴族剣法って、流派とか技術でなく、こういう心構えの剣の事です。
彼女は甘い。武の名門の名が泣きますよ」
どさ、とイザベルが手を付いて、ぼろぼろと泣き出した。
「カオルさん、今日は馬術の予定でしたけど、彼女を見ていてもらえますかね。
残って冒険者になると言うのなら、準備を手伝って頂きたい。
帰ると言うのなら、予定通り道場の馬術に」
「は」
「シズクさんは、ギルドで稽古を頼みます。
私は大八車を返して、そのままアルマダさんの所に行きますから」
カオルは少し不満そうな声で、
「ご主人様だけ馬術ですか?」
「・・・いやしかし、昨日、黒嵐と約束してしまったんですよ。
すごく期待してるって顔をしてましたから・・・」
「分かりました」
「申し訳ありません」
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マサヒデは、がらがらと大八車を引いて行ってしまった。
シズクも、ギルドに稽古に行ってしまった。
マツも、執務室に入ってしまった。
居間に残るのは、カオルとクレール。
「クレール様はよろしいですか? 私が残りますが」
「いえ。私も」
クレールは憂いをたたえた目で、庭で泣くイザベルを見る。
知り合いだし、心配なのだろう。
「古い家と聞きましたが」
「ええ。遡れば、ファッテンベルクは魔王様の建国時代になります。
今では数少ない、狼族の家なんですよ。
建国時代に現在の地方の代官として置かれ、後に貴族に」
「建国時代から・・・それほど古い家でしたか」
「はい。いくつか支流がありますが、中でもエッセンは特に武を重んじた家。
武術家も、軍の武術指導になった方も何人も。お父上も軍人ですよ。
歴代に、武と軍に関わっていない方はおられない程です」
「左様で・・・」
ちらりとイザベルに目をやる。
昨晩のマツの話を思い出す。
魔の国は用兵こそ人の国に比べて稚拙。
だが、兵は厳しく訓練されている、と言っていたが・・・
(このような者が、軍の武術指導? 武術家?)
首を傾げずにはいられない。
こんな者が、指導官になれるか? 兵を育てられるか?
武術家としても甘すぎる。
「イザベル様は、昔から武術を?」
「はい。確か、お兄様は士官学校に・・・
いえ、もうとっくに軍に入っておられるでしょう。
何人もの武術家相手に引けもとらず、それはお強い方ですよ」
「そうですか」
「今はどこにおられるでしょうか?
おそらく、下士官に任じられて、どこかの地方で働いておられるでしょう。
50年もしたら佐官になるか、武術指導官になられるのでは」
「それほどの・・・しかし」
と、カオルは口を閉じる。
「どうしました?」
「いえ、紅茶を用意しましょう。
クレール様、葉は何に致しましょうか」
「アールグレイを頼みます。イザベルさんにも」
「は」
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カオルが紅茶の用意に台所に入る。
火を着けて、ちわちわと小さく泡立ち始めた湯を見ながら考える。
本物ではなく、趣味程度の者。
そこそこは強いから、周りに持ち上げられ、本人もその気になった。
調子に乗って勇者祭。
そういった所だろうか。
ポットを温め、カップを温め、湯を戻す。
もう一度沸騰させ、さらさらとポットに葉を入れ、湯を注ぐ。
犬族ではなかった。
狼族であれば、あれほど強い身体も納得がいく。
他の獣人族とは格が違うのも当然だ。
身体の強さだけでない。
先程の動きを見ても分かる。
確かに鍛錬を積んだ動きだったが・・・
(あれは駄目だ)
小さく首を振って、皿にポットとカップを置いて運んで行く。
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「お待たせしました」
クレールにカップを差し出し、庭を見る。
クレールが小さく頷く。
カオルが庭に下りて行き、イザベルの隣に座り、カップを置いて茶を注ぐ。
「どうぞ」
そのまま立ち上がろうとした時、
「お待ち下さい」
「何か」
イザベルが顔を上げた。
「私、冒険者になりたく思います」
「お上がり下さい。茶は中で。クレール様がお待ちです」
「はい」
カオルがカップを皿に戻し、立ち上がった。
イザベルも立ち上がった。
あ、とクレールが顔を上げた。