第604話
魔術師協会。
早朝の庭。
これから、マサヒデとイザベルという獣人族との立ち会いが始まる。
縁側にマツ、シズク、イザベルの仲間4人が座る。
カオルが皆の前に湯呑を置く。
マサヒデが甲冑ごと斬れるのを見せたので、イザベルは待ってもらい、甲冑を脱ぎだした。
さらーっと奥の襖が開く。
「おはようございますう」
くはー、と欠伸をし、目をこすりながらクレールが出て来る。
皆の目がクレールに向けられ、
「あ、あ! お客様!? 失礼しました!」
と、慌てて廊下を駆けて行く。
ぱちゃぱちゃと水の音。
顔を洗っているのか。
しばらくして、しずしずと戻って来て、手を付いて頭を下げる。
「大変失礼致しました! 皆様、おはようございます!
魔術師協会オリネオ支部にようこそ!」
「・・・」
ちら。ちら。
すうーっと頭を上げ、
「あ、あの・・・もしかして・・・」
カオルが頷いて、
「はい。これから立ち会いでございます。
さ、クレール様も縁側に」
「えっ?」
と声を出して、イザベルが振り向く。
よいしょ、と縁側に座るクレールを、イザベルが目を丸くして見ている。
「失礼! 今、クレールと申しましたか?
貴方様は、クレール=フォン=レイシクランでは?」
「はい! クレールです! おはようございます!」
「クレール様! 私です! イザベルです!
イザベル=エッセン=ファッテンベルクです!」
あっ! とクレールが目を丸くして、
「ええっ! ファッテンベルクのイザベルさん!?」
脱ぎかけの鎧を投げ捨て、クレールの前にイザベルが膝を付く。
「お懐かしゅうございます!」
「イザベルさん! こんなに大きくなって!
いくつになったんですか?」
「今年で97になります」
「ああ、綺麗になりましたね・・・お母様にそっくり!」
再会を喜ぶ2人を見ながら、マサヒデとカオルの目は鋭い。
甲冑を脱いだイザベルの身体が違う。
シズクのように筋肉質のごつい身体ではない。
締まってはいるが、細い腕。
カオルと大して変わりない。
この身体で、あの全身鎧で普通に歩いていた。
そしてあの大きな剣。斜めに背負って頭まである。
獣人族にしても、これは並の力ではない。
カオルがクレールに湯呑を差し出し、
「ご存知の方でしたか」
「はい! 最後に会った時は、まだこんなに小さくて。
綺麗になるとは思ってましたけど、こんなに綺麗になるなんて!」
こんなに、とクレールが手を上げる。
「お褒め、有り難く」
「あの、これからマサヒデ様と立ち会うのですか?」
「は」
後ろで、マサヒデが頷く。
手には、朝日を浴びて輝く雲切丸。
「真剣、ですか?」
「は」
クレールが不安そうな顔をマサヒデに向ける。
マサヒデは無表情。
「あの」
やめて、と言いかけて、ぐっとクレールが言葉を飲み込む。
もう準備は始まっている。今更言っても止められまい。
「見てますね・・・」
「は」
「ファッテンベルク様」
カオルが声をかけると、がちゃ、と脱ぎかけの鎧を鳴らし、イザベルが立ち上がる。見届人に手伝ってもらいながら鎧を脱ぎ、剣を片手で取り、マサヒデの前に立つ。
やはりこの女、普通の獣人族ではない。
背負う程の長さの真剣を、片手で持っている。
さすがにシズク程ではなかろうが、これは剛力だ。
剣をよく見る。
大きな剣だが、長さの割に少し細く見える。
良い鋼を使っているのだろう。
「カオルさん」
マサヒデがカオルに声をかける。
「は」
「真剣の立ち会いはそうそうない。
それと、刀の大きな利を見せる事が出来るかもしれません。
よく見ておいて下さい」
「は」
「シズクさん。合図を」
「はいよっ! それじゃあ構えて!」
イザベルが中段に。少し前かがみ。やはり突いてくる。
マサヒデも正眼に構える。
おや? とカオルとシズクが少し驚く。
いつも無形で下に垂らすのに。
「はじめ!」
じ、とイザベルがマサヒデを鋭い目で睨む。
ぷつぷつと額に汗がにじみ出てくる。
マサヒデは落ち着いたまま、イザベルを見ている。
「うんっ!」
イザベルが突く。
マサヒデも突く。
イザベルの剣がマサヒデの脇腹を掠め、稽古着を斬った。
マサヒデの雲切丸は、平正眼でイザベルの水月の前。
(何!?)
真っ直ぐ突いた。
マサヒデは動いていない。横に避けたわけではない。
剣と剣が一瞬当たったが、弾かれた程ではない。
今の一瞬で、何があったのだ!?
イザベルが目を見開き、だらだらと汗を垂れ流す。
「続けますか」
マサヒデの冷たい声。
は! と顔を上げると、マサヒデの剣先がすーっと上がってきて、イザベルの喉の前で止まる。こく、と小さく喉が鳴る。
「もう一度だけ、聞きます」
マサヒデが切先の棟で、くくっとイザベルの顎を上げる。
「続けますか」
続ける、と言った瞬間、死ぬ。
「参った」
蚊の鳴くような小さな声で、イザベルが答える。
マサヒデが頷いて、刀を引き、鞘に納める。
振り向いて縁側に歩いて行って、見届人の前に立つ。
「イザベルさんは代表として1対1の勝負を希望されました。
それで負けたので、通常、貴方達も勇者祭から失格となりますが・・・
ご希望でしたら、次の代表として立ち会いましょう。如何」
「いや! 私は結構です。お前達は・・・」
皆が首を振る。
これでイザベルの組は全員失格となった。
「では、向かいの冒険者ギルドのロビーで、イザベルさんをお待ち下さい」
「は・・・」
「イザベルさんがこのまま帰るか、荷物をまとめるか・・・
彼女がここに残るなら、貴方達にしかと荷物を届けて頂きたい。
ここには通信機があります。
彼女の家には、通信機で今回の経緯と、貴方達が荷を届けると伝えます」
「は」
「道中の旅費はありますか?」
「あります」
「結構。あそこの食堂は貴族の方でも十分ご満足頂ける物を揃えていますから、食事も済ませると宜しい。では、後ほど」
「はい・・・」
がちゃがちゃと鎧を鳴らして、4人が立ち上がり、出て行った。
振り向くと、イザベルが剣を落として正座するように座り込んでいる。
ぐったりと肩を落とし、青い顔でぽたぽたと汗を落としている。
マサヒデが縁側を上がり、刀架に雲切丸を置く。
カオルが恐る恐る、
「ご主人様、今のは」
「あれが刀の利です」
「どういう事でしょう」
マサヒデが少し首を傾げて、
「口で説明するより、体験してもらった方が早いですかね。
木刀を取ってもらえますか。カオルさんも」
「は」
縁側から下りて、マサヒデとカオルが向かい合う。
互いに正眼。
「このくらいですか。突き、届きますね」
「はい」
「では、ゆっくり出してきて下さい」
カオルがゆっくり突きを出してくる。
マサヒデが正眼から、平正眼にゆっくりと変えていく。
カオルの木刀に刃を向けて・・・
「う!?」
マサヒデの木刀の反りに合せて、少しづつカオルの突きが逸れていく。
カオルの木刀はマサヒデの脇腹。
「これで私も突き入れると」
くい、と更にカオルの木刀が逸れていく。
脇腹にも入らず、ぎりぎりで当たらない。
マサヒデの突きは真っ直ぐ入る。
「これが刀の利です。勝手に相手の剣は逸れていく。横に避ける必要もない。
こういう動きをしたので、最後、平正眼になっていた訳です。
これが刀の利。分かりましたか?」
「おっ、お・・・恐れ入りました」
「凄いね・・・手品みたいだ・・・」
シズクも口を開けている。
マサヒデは斬られた稽古着の所に手を当てて、顔の前に持ってくる。
血は出ていない。稽古着だけだ。
「マツさん、稽古着が破れてしまいました。直してもらえますか」
「あ、ああっ! マサヒデ様、傷は!?」
「ありません」
マサヒデが手の平をマツに向ける。
ほ、とマツが息をついて、すうっと稽古着の斬られた穴が閉まる。
「朝餉にしましょう。カオルさん、良い見取り稽古になりましたか?」
「ははっ!」
「あの、マサヒデ様」
「何か」
クレールがちょい、と庭のイザベルを指差す。
シズクが笑って、
「クレール様、エミーリャの時、覚えてる?」
「あ・・・」
「このまま帰るか、道場に行くか、冒険者になってマサちゃんと稽古するか。
後はあいつが決める事。さ、カオル! 飯は頼んだ!」
「はい」
カオルが台所に入って行き、少しして、包丁の音がし始める。
マサヒデも着替えに奥に入って行った。