第603話
翌早朝。
マサヒデ達が素振りをしていると、誰かが入って来た。
ぴたりとマサヒデ、カオル、シズクの素振りが止まる。
知らない者だ・・・
かちゃ、と小さく金属の音。鎧。冒険者か?
「頼もう!」
女の声。頼もう。
冒険者ではなさそうだ。
マサヒデ達が顔を見合わせる。
「はーい! お待ち下さい!」
少しして、奥の間が開き、ぱたぱたとマツが襟を整えながら出て行く。
「私ですかね」
「おそらく」
マサヒデが玄関に回って行くと、黒い鎧に青いマントを着けた者。
背中に背負った長い剣には派手な意匠。
一目で分かる。これは貴族だ。
(む?)
外に同じ鎧を着た者が4人立っている。
これは勇者祭の参加者か?
「貴殿がトミヤス殿か?」
「はい。おはようございます」
「朝早くから失礼。私はイザベル=ファッテンベルク・・・」
がちゃりと音を立てて、女が兜を取る。
まとめられた灰色の髪から、上に耳が出ている。獣人族だ。
黄金色の瞳が鋭い。これは立ち会い所望か。
「あら! ファッテンベルク!? どちらのファッテンベルクですか?」
玄関からマツの嬉しそうな声。
「む・・・失礼した。エッセン。エッセン=ファッテンベルク」
マサヒデを鋭く見据えたまま、イザベルがマツに答える。
「まあ! 懐かしい! 私、随分前に魔の国を出たものですから」
ん? とイザベルと名乗った女が玄関の方を向き、
「魔の国を出た?」
「はい。私、魔族なんです」
「ああ・・・」
じろじろとマツを見る。
随分前に出た? 若く見えるが・・・
「失礼。貴方は何処の?」
「マイヨールです」
「随分前と言うと、長命な種族の方で?」
「はい」
長命な種族でマイヨール。聞き覚えがない。
懐かしい、という事は、知っていると言うことだが・・・
父か祖父の知り合いか?
「あの、ルイス様は・・・」
「おお、お祖父様とお知り合いでしたか。祖父は30年程前に」
「ああ・・・そうでしたか。いえ、そうですよね・・・」
気落ちしたマツの声。
ちくりとマサヒデの胸が痛む。
魔の国を出て何百年。
知っている者は年老いて、少なくなっているだろう。
「祖父とのお知り合いとは知らず、ここまでの無礼をお許し下さい」
イザベルが頭を下げる。
「あ、良いのです。頭をお上げ下さい。
こちらこそ、立ち入った事を聞いて・・・申し訳ありません」
すっと頭を上げて、マサヒデを見据える。
マサヒデが近付いて行き、玄関の前に並ぶ。
「立ち会いを所望ですか」
「いかにも」
「勇者祭の参加者ですか」
「その通り」
お付きの者らしき4人は、敷地の外で立っている。
「あちらの皆さんもですか?」
「そうだが、1対1を願いたい。私が代表だ」
「はあ・・・ふうむ・・・」
困った。
勇者祭の参加者となると「じゃあ私の負けで構わない」は通用しない。
戦わなければ失格だ。
「よろしい、戦いましょう。しかし、そちらから勝負の希望を申し出てきたので、私から条件を出したいのですが」
「聞こう」
「もし私が勝った場合ですが、弟子にして下さいっていうのはやめて下さい。
前に似たような事があって、困ってしまいまして。
既に内弟子が1人いるものですから、余裕がないんです」
「む・・・」
女がぎくりとする。
図星か。
「あ、やはりそうでしたか。
それって、勝っても負けても貴方の得にしかならないですよね。
勝てば大きな名誉。負けてもトミヤス流を私の下で学べる」
「・・・」
「ではですね、違う条件にします」
「よし。聞こう」
「私、向かいの冒険者ギルドで、用がなければ、午前中は冒険者さん達に稽古をつけています」
「それで」
「負けたら、そこのギルドで冒険者になって下さい」
「何!?」
イザベルが目を見開く。
「その鎧も剣も、あの馬も、家から与えられた物でしょう。
手持ちの財産は全部送り返し、冒険者になって稼いで下さい。
勿論、あちらの方々にも帰って頂く。家からの仕送りは厳禁。
仕事、寝床、食べ物、全部貴方の手で稼いで生きて下さい。
貴方が冒険者でいる間は、私の稽古への参加を許します」
「つまり・・・冒険者でなければ、稽古には参加させないと」
「そうです。支度金は私が出します。利子はつけません。
余裕がある時に少しずつで良いので、返して下さい。
暮らしていけないと思ったら、言って下さい。いつでも帰って結構です。
その際、旅費はこちらで用意します」
「ん、ん、ん・・・」
「貴方が勝てば、無条件で私の知る限りのトミヤス流の技術を教えます。
私はまだ皆伝とかではないので、知る限りですが、そこは許して下さい。
この条件でどうです?」
「・・・」
「勝つつもりで来たんですよね」
「当然だ!」
「・・・隣村に、私の父上、剣聖のカゲミツ=トミヤスの道場があります。
この条件が飲めないなら、父上の道場へどうぞ。
私の名を聞いて、トミヤス流を学びに来たんですよね?
で、あわよくば、と、そんな所でしょう?」
「む・・・」
(なんて意地の悪い!)
マツは聞いていて呆れてしまった。
通い弟子にでもしてあげれば良いのに。
せめて、稽古ぐらいは普通に参加させてあげても良いのに。
負けたら道場で、で良いではないか。
くすくすと庭から小さな笑い声が聞こえる。
カオルとシズクが笑っている。
聞こえたのか、ぎ! とイザベルが歯を鳴らし、
「良いだろう! その条件で結構!
勝ってトミヤス流の技術を頂く!」
(ああ)
マツが渋い顔で横を向いた。
マサヒデが頷いて、
「む、分かりました。では、庭の方に。
それと、そちらの皆さんも入って下さい。
正々堂々、1対1で戦った、という証人になって下さい。
目付けで見られてますから必要はありませんけど、まあ念の為です」
がちゃがちゃ、と鎧の音を立てて、後ろに立っていた4人が頭を下げ、庭に入って来て、う! と足を止めた。イザベルも足を止めた。鬼族がいる・・・
「失礼、トミヤス殿」
「はい?」
「そちらの、鬼族の方は?」
「ああ。シズクさん。私の勇者祭の組の1人です」
「左様で・・・」
「ほら、試合で私と戦った」
「あっ! 天井まで飛ばした、あの!」
「そうです」
マサヒデはカオルとシズクの方を見て、
「今からここで、こちらのイザベルさんと立ち会いをします。
縁側で見ていて下さい。カオルさん、皆さんに茶を頼めますか」
「は」
茶? これから決闘というのに、何を呑気な・・・
イザベルがきりりとマサヒデを睨む。
「見届人の方々も、縁側にどうぞ」
皆、がちゃがちゃと音を鳴らし、慎重に縁側に座る。
やはり勇者祭の参加者。警戒しているのだろう。
見届人からも、ぴりぴりした雰囲気を感じる。
「イザベルさん、と言いましたか。得物は木剣で? 真剣で?」
「真剣で」
「真剣ですか? 構いませんけど・・・」
ううむ、とマサヒデが首を傾げる。
はて、何だろう。マサヒデは腰が引けた顔ではないが。
「何か?」
「真剣だと貴方に不利ですが、良いですかね?」
不利?
マサヒデの得物は刀だが・・・
全身鎧を着た自分が不利とは、どういう事か?
「私が不利とは?」
「ええと・・・まあ、見てもらいますか。
すみません、そちらの方、篭手を外してもらえますか」
言いながら、マサヒデは縁側を上がり、雲切丸と無銘を刀架から取る。
見届人から篭手を受け取り、雲切丸を抜いて、
「私は普通に甲冑も斬れますので・・・」
ひょいと篭手を投げ、雲切丸を振り下ろす。
かきん! と高い音がして、両断された篭手がどさっと落ち、小さく跳ねる。
「・・・」
イザベルが目を丸くして落ちた篭手を見ている。
「別に、この刀が特別と言う訳ではなくてですね」
雲切丸を納め、無銘を取って抜いて、半分になった篭手を取り、
「これでも」
かきん! ごとん・・・ころん・・・
「まあ、普通の刀なら斬れますので。これもトミヤス流の技術のひとつ。
今のは、特別にお見せしたんですよ」
無銘を納め、転がった篭手を拾い集めて、
「マツさん。直してもらえますか」
「はい」
マツが手を向けると、すーっと篭手が元に直る。
イザベルの見届人の1人に渡し、
「ちゃんと直っているか、ご確認を願います」
「は、はい」
恐る恐る手を伸ばし、篭手を受け取って、持ち上げたり、くるくる回したり、ごん、ごん、と叩き、手にはめて握ったり開いたり。
「どうでしょうか」
「何も変わりありません・・・」
マサヒデが頷いて、
「と、まあ・・・貴方が甲冑を着ていても、私には関係ないのです。
真剣勝負でしたら、無駄な甲冑は動きの邪魔になる。脱いだ方がよろしい。
動ける方が良いと思いますが、どうでしょう。お待ちしますが」
イザベルが顔を青くして、
「・・・では、有り難く・・・」
と、見届人の所に歩いて行き、甲冑を脱ぎだす。
もう引くことは出来ない・・・
その時、さらーと奥の襖が開く音がした。