第602話
大きな鉄の塊を8個。
大八車に乗せて、シズクは片手で事も無げにがたがた引っ張って行く。
「マサちゃーん」
「手伝いますか?」
「いや、それは良いけどさ。まだ授業中じゃないかなーって」
「ええ? まさか・・・もう夕方ですよ。
夕餉の買い物もあるし、支度はとっくに始まっていると思いますが」
「分からんぞおー。マツ様もクレール様も興味津々だったろ。
カオルが調子に乗って、ああだこうだしてないといいけどね」
がらがらがら・・・
「・・・なきにしもあらずな・・・気がしないでも」
「でしょお?」
「カオルさん、乗りやすい所がありますからね」
「どっかで時間潰してかない?」
「大丈夫ですよ。まだやってたら、早く夕餉の支度をってやめさせます」
「頼むよ? マツさんが何か言うかもしれないけど」
「大丈夫、大丈夫」
----------
魔術師協会。
がらがらと大八車を運び入れ、玄関を開ける。
「只今戻りました」「ただいまあ」
カオルが玄関で手を付いて頭を下げている。
ほ、とマサヒデとシズクが顔を見合わせた。
「おかえりなさいませ」
「腹が空きましたよ。今日の夕餉は何です?」
「蕎麦です」
「おお、良いですね」
大丈夫そうだ。
「車軸を運んで来たので、ここですぱっと切ってもらいますか。
台所の樽に入れましょう」
「は。奥方様を呼んで参ります」
すぐにマツが出て来て、玄関から下りてくる。
「おかえりなさいませ」
マサヒデが頷き、
「こちらです」
大八車に乗った、鉄の車軸。
「あら・・・こうして見てみると、大きな物ですね」
「ええ。やはり、持ってみるとかなり重いんですよ。
これを軽くすれば、馬車も良くなります。
このままだと、あの樽に入りませんから、すぱっと」
「お任せ下さい!」
マツが袖をまくって、細い腕をぐっと持ち上げる。
「さ、シズクさん」
「はいよっ」
大八車から下ろして、地面に置く。
「シズクさん。それではやりづらいですから、持っててもらえますか?」
「えっ」
「すぐに切りますから。あ、足に落ちないように気を付けて下さいね」
マサヒデとシズクが顔を見合わせる。
「それ、かまいたちの術で切るんですよね?」
はあ? とマツが首を傾げて、
「ええ、そうですが。何か?」
「大丈夫ですか?」
もう! とマツが口を尖らせて、
「簡単な術なんですから、当たり前です。お疑いなんですか?
さあ、シズクさん、持って。私の顔の前くらいの高さで」
「うん・・・」
ぐぐー・・・と持ち上げていくと、ひゅ、とマツの手が振られ、下半分がごとん、と落ちた。もし手元が狂ったら、これではシズクも真っ二つだ。
「うぇあっ!?」
「ああっ! 土の上なのに、すごい音! お腹に響きますね!
これは重いでしょう。軽くしないと、黒影が大変。さ、シズクさん、次を」
「はい・・・」
「では、私はこれを台所に・・・」
----------
よいしょ、よいしょと切った車軸を樽に入れ、マツが樽に手を突っ込む。
また、ぬか床を混ぜるように、ゆっくりと手を回す。
「どのくらいかかりますかね?」
マツが眉を寄せて、
「ううん・・・これは1週間はかかると見ました。
鎧よりは軽いですけど、太いですからね・・・
中々魔力が染み込んでいかないと思います」
「染み込むんですか」
「はい。芯まで中々届かないでしょう。
じっくり漬けませんと」
魔力の漬物は、やはりよく分からない。
重さだけではないのか?
「よいしょ」
ぱこん、と蓋を閉めると、ぶる! と大きく樽が震え、がたっと音がした。
音に驚いて、お!? とカオルが振り向く。
「あっ! この感じは・・・少々手間取りそうですよ」
むむ、とマツが眉を寄せて、腕を組む。
「そうなんですか?」
「途中で重さを確認しますけど、これは1週間では無理そうです。
10日と見ました。かなり良い鉄ですね」
「良い鉄だと時間がかかるんですか?」
「ぎゅっと詰まっておりますから、染み込んでいかないんです。
それに、この太さもありますから、尚更です」
「そういうものですか・・・」
「これは鍛冶族の鉄かもしれませんね。
ここまで詰まっているのは、普通の鉄ではないです」
「鍛冶族のですか? すごい鉄じゃないですか」
「かも、ですよ。馬車を作った職人さんに確認してみないと分かりませんが」
「ううむ・・・鋼ではないにしても、鍛冶族の鉄となればかなりするはず。
でなくても、それほどの鉄だと結構な値がしますよね」
「はい。これは職人のこだわりを感じます」
うむうむ、とマツが樽を睨みながら頷く。
「・・・」
カオルが困惑した目をマサヒデに向ける。
マサヒデもちらっとカオルを見て、小さく首を傾げる。
さっぱり分からない。
----------
皆で膳を囲んで夕餉。
いただきます、とクレールがぞぞっと蕎麦をすすり、ぴたりと止まった。
「む! カオルさん!? これは良いわさびでは!?」
「さすがクレール様。違いがお分かりに」
「爽やかに抜けるこの香り・・・味も辛すぎず絶妙!」
「ふふふ・・・」
「一体どこで!? 市場で売っている物ではありませんね!?」
「いいえ。市場で売っている物です」
「なんですって!? これほどのわさびを!」
「普通の安いわさびです」
「む! 何か秘訣でも!?」
「すりおろして3分待ち、10分間の間に食べる・・・
これがわさびの秘訣です」
「むむむ・・・」
「10分しかありません。お急ぎ下さい」
「はい!」
ぞぞぞぞぞぞー!
「おかわり下さい!」
「はい」
ぺちゃり。
「あっ! マサヒデ様!」
「え? え? 何です」
クレールの大声に驚いて、マサヒデが顔を上げる。
ぴ! とクレールがマサヒデの猪口を指差し、
「これは辛口のつゆ! そんなにつけてはいけません!
びっ! とつけるのは薄味のつゆです!」
「は?」
「蕎麦の味が!」
「私はこれで良いです」
ぞろぞろぞろー。
もしゃもしゃ。ごくん。
「くっ・・・」
「良いじゃないですか。美味しい食べ方は、一人ひとり違うんですから」
「ぐぬぬぬ・・・」
マツが小皿を差し出して、
「マサヒデ様。こちらもお試しに」
「これ、塩ですか?」
「ただの塩でも中々いけるんですよ」
「へえ・・・」
ぱらり。
ぞろぞろぞろー。
「おっ! 悪くないですね。何か、蕎麦の匂い・・・が良いと言うか?」
「でしょう? これも通の食べ方ですよ」
「へえー! こんなのもあったんですね。うん、これは良い」
ふ、とマツが小さく笑ってクレールを見る。
「くっ」
くす、とカオルが笑って、
「さ、クレール様」
「ええい! いただきます!」
ぴち。ぞぞー。ごくん。
「むむむ・・・」
「クレールさん、そんなにへそを曲げないで下さいよ。
大体、蕎麦なんて庶民の食べ物じゃないですか。
パーティーで出るような物じゃないでしょう?」
「ええ」「そうです」「だよね」
「む、むむむ・・・」
「肩ひじ張った料理ではないんですから、変にマナーをとって通を気取るより、好きに食べた方が良いと思いますがね」
ぞろぞろぞろー。
「ですね」「そう思います」「だね」
「くくっ・・・ううむ・・・」
「今度、ラーメンでも食べに行きましょうよ。
美味しい屋台を探してみるとか」
「あら、素敵ですね!」
「牛丼なんて面白くない? どんな食べ方が好きか試してみようよ。
ギルドで食べれるし、ねぎ抜きとか肉抜きとか出来るし」
「お! それも良いですねえ」
庶民の食べ物と、勉強したのに・・・
クレールが悔しそうに蕎麦をすする。