第596話
冒険者ギルド、食堂。
「本日の稽古はお見事でございました」
「そうですかね?」
「はい。私も学ぶ事の多いお言葉でした」
「なら良かったです。これからもこんな感じでいきましょうか」
「はい。たまに、我々との立ち会いを混ぜていくと、気も締まりましょう。
皆様が何か見つけたとあらば、見ることも出来ます」
「うん・・・それは良いですね。
そうそう、実は稽古中もずっと気になっていたんですが、あの鉄」
「あれが何か」
「いや、実際に鉄になって鍛冶仕事に入るのはどのくらいかかるかなって。
カオルさんは分かります?」
「ううん・・・たたらで3日と聞きますが、何しろ量があれだけですし。
たたらではないかもしれませんので、何とも」
「ふむ」
「たたらであれば、普通は砂鉄を使いますね。
今回はあの鉱石を砕くなどして、細かくした上で焼くことになりましょう。
そうして・・・」
「ふうん・・・色々と混ぜる具合なんかも調べるでしょうし・・・
1週間か10日、といったところですか」
「・・・」
「どうしました?」
「ご主人様。この町には、製鉄所がないではありませんか」
「あっ」
「となると・・・送って、戻って来て、という手間が掛かりますね」
「では、10日以上は掛かると見ておきますか」
「それが目安かと・・・」
その頃、ホルニ工房では、小さな炉で小さな鉱石が溶かされていた。
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郊外のあばら家。
シズクは縁側で「くぁ」と欠伸をした後、目を瞑ってしまった。
騎士達も馬と戯れている。
アルマダとクレールが、一冊の本を挟んで向かい合って座っている。
「では、人の国で代表的な兵法書、ウー=スン兵法書の簡単な解説。
ウー=スンは2000年以上前の人。そもそも実在したのか不明でした。
数年前に原本が見つかり、やっと実在したと証明されました。
が、正直に言ってその辺はどうでもよろしい」
「大事なのは、この兵法書が優れていると言うことですね」
アルマダが頷き、
「その通り。人の国では、ほぼ全ての国の士官学校でこの兵法書を学びます。
現代戦ではどう使うか。この戦争ではどう使えるか、等々。
応用してみれば、ビジネスにも非常に使えるという訳です」
「なるほど」
「細かく説明すると長くなるので、要約します。
まず、百戦百勝は良くない」
「え!? 兵法書・・・ですよね?」
「そう。彼はこの兵法書でこう説きます。
戦わずして勝つ。これが最上。兵を出すのは最後の手段。
戦とは国の大事。国民の生死、国の存亡がかかるもの。
例えこちらが大国でも、古今に小国が勝った例はいくらでもある。
いざ戦となる前に、よく考えねばならない。そもそも戦にすべきではない」
「ううん・・・」
「これをビジネスに置き換えるとどうでしょう」
んん、とクレールが唸って、腕を組む。
「例えば・・・金を出さずに、企業をグループに入れる、とか・・・
こちらから買収するのではなく、入れてくれと向こうから願わせる?」
「私の解釈も同じです。
さて、その為には何が必要か。
相手を知り己を知れば百戦して殆うからず。
相手の事を良く知るのみでなく、自分の事を良く知ること。
相手の長所短所だけでなく、自分の長所短所を知って、初めて成り立つ」
「なるほど・・・」
「経営難で困っている会社をグループに入れるにも、良く調べてから。
入れた所で、ずっとマイナス続きでは意味がない。
将来性はあるか。今はマイナスでも、長い目で見ると利益を生むだろうか。
その利益は、補填してからいつプラスになるか。
経営を調べてみる。人を替えれば、一気に上向きになるかもしれない。
そして、それをこちらの長所短所で補えるか・・・
と、私の解釈では、こんな所でしょうか」
「ふむふむ」
「攻の善き者には、敵、其の守る所を知らず。
守に善き者には、敵、其の攻むる所を知らず。
攻撃上手の者には、敵はどこを守って良いのか分からなくなる。
守り上手の者には、敵はどこを攻めて良いのか分からなくなる。
続きます。
微なる事、これ無形の如く。
神なる事、これ無声の如く。
故に能く敵の司命を為す。
一言で言うと、神出鬼没、と言う所でしょうか。
さて、これをビジネスで例えるとどうでしょう」
「これは分かります。
相手が手出し出来ないよう条件を出す。
相手に分からないよう、準備を進める。
分かった時にはもう手遅れ、傘下に入るしかない。
それを上手く行うこと」
「その通り。私の解釈も同じ。流石クレール様、飲み込みが早い」
「えへへへ・・・」
「では、次。
国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
敵国をそのまま傷つけずに攻略するのが上策。
敵国を撃ち破って勝つのは下策。
これはそのままです。分かりやすいですね」
「はい!」
「次。
兵は拙速なるを聞く。されど、巧久なるを聞かず。
戦で無理をしたが、素早く決着させた良い例はある。
だが、時間をかけて上手だったという事例は無い。
ビジネスも同じ。可能な限り速戦即決。
多少無理をしても、ここだと思ったら即買収。
だらだらと時間と金をかけるのは下策です。
その間に、他社からちょっかいをかけられてしまうかもしれない。
新しい後ろ盾を見つけられてしまったら、機を逃がしてしまいます」
「なるほど! 確かにその通り!」
「では、具体的にどこを見て決定するか。
これをウー=スンは大きく5に分けました。
道。為政者と民とが一致団結するような政のあり方か。
天。天候などの自然はどうか。
地。地形はどうか。
将。戦争指導者の力量はどうか。
法。軍の制度、軍規はどうか」
「うわあ、分かりやすい!
社内が一致団結しているか!
気候! 近隣の産出物!
立地! 人、輸送路、輸送手段!
社長や各部のトップの力量!
社の制度はどうか!」
「その通り。さらに具体的にはこう。
敵味方、どちらの王が人心を把握しているか。
将軍はどちらが優秀な人材か。
天の利・地の利はどちらの軍に有利か。
軍規はどちらが厳格に守られているか。
軍隊はどちらが強力か。
兵の練度はどちらが上か。
信賞必罰はどちらがより明確に守られているか」
「そのままですね!」
「他にも、彼が着目した点で素晴らしい所があります」
「何でしょうか」
「兵站です。彼は物資の輸送を非常に重視しています」
「なぜそこに? 確かに、ごはんは大事ですけど。
あ、士気とか装備の優劣とか・・・」
「それもありますが、それだけではない。
ビジネスに置いても、兵站という部分は非常に重いのです。
現在、輸送、運送業は、世界のビジネスの何割くらいか分かりますか?」
「ええと・・・色々走ってますし、キャラバンもいるし・・・4割くらい?」
「8割です」
「ええっ!?」
「これを知っているだけで、如何にこの方の兵法が慧眼であるか良く分かる」
「面白いです!」
アルマダがにっこり笑って、
「でしょう? この兵法書は、ビジネスにほぼそのまま落とし込めるのです」
「はい!」
「古今の戦の記録を見ながら読んでも楽しい。
クレール様であれば、ビジネスにも活かせる。
勿論、ビジネスのみでなく、政にも、当然、魔術での戦い方にも」
「はい!」
「ウー=スン兵法書なら、蔵書になくてもどこの本屋でも買えます。
他にも、色々な方の兵法書があります。
見比べてみるのも、また面白いかもしれませんね。
歴史を学ぶと同時に、ビジネスを学ぶというのも一興でしょう」
「はい!」
ぱたん、とアルマダが静かに本を閉じると、シズクのいびきが止まる。
「終わったあ?」
「ふふ。終わりましたよ。完全に寝ているようで、しっかり聞いている。
シズクさんも策士ですね」
シズクが手をひらひらさせて、
「ないない」
「あなたも、意外と経営者向きかもしれませんよ」
「あははは! それはないなあ! じゃ、クレール様、帰ろうか」
アルマダが笑って頷く。
クレールが頭を下げて、
「ハワード様、ありがとうございました!」
歩いて行く2人を見て、ふ、とアルマダが笑う。
一見正反対に見えて、あの2人は良く似ている所が多い。
それに・・・
(レイシクラン家が、これ以上大きくなる必要があるのか?)
と、クレールの背中を見て苦笑してしまった。