第589話
「試斬ですか」
ううむ、とマサヒデが腕を組む。
食堂でマサヒデとカオルが茶を飲んでいると、冒険者2人が話し掛けてきた。
試し斬りをしたい、と言う。
トミヤス道場でも、試斬はほとんどしない。
下手な者が斬れば、簡単に得物を傷めてしまう。
ちゃんと筋が出来てきたな、という時に、確認に数回やる程度。
・・・何よりも、臭うからやらない。
が、実際に何かを斬る、という感触は大事だ。
遊びでするものではないが、彼らの仕事を考えると、必要な事だろう。
仕事内容によっては、荒事になることも少なくはないのだ。
しかし・・・
「まあ、やるにしても、ここの訓練場では出来ません」
「何故でしょう」
「巻藁って、すごく臭うんですよ。訓練場がちょっと」
冒険者が顔を見合わせる。
「居合とか演舞みたいのでよく見るやつは、畳表巻藁って言うんですけど」
「はい」
「畳の表面の、茣蓙みたいなやつをですね、巻いてあるんですが」
「はい」
「水に漬けておくんですよね。何日か。
すごい臭いになりますよ。想像の倍くらい。
だから、ああいう場でやるのは、実は水に漬けてないってのが多いです。
人が集まる所で、あれは・・・」
「そんなにですか?」
マサヒデが顔をしかめ、
「そんなにです。いやあ、ちょっとここでは出来ないですよ。
訓練場の中があの臭いで、となると・・・迷惑極まりないです。
当然、漬けておいた水も、ですし」
カオルも顔をしかめて、うんうん、と頷く。
「斬った後も、そんな臭いのする物を片付ける必要があります。
当然、片付ける方は・・・ねえ? 臭いがついたりとか・・・
漬けておいた水も当然ですから、捨てに行くのも大変ですし」
「そこまでですか」
「そうですよ。それと、試斬したいとなると、やはり自分の得物で、自分がどこまで出来るようになったかを試したい、ですよね?」
「そうです」
「失敗したら、刃が欠けたり、曲がったりとか・・・
まあ、剣だとそうそう曲がりはしないですか。
でも、瑕は覚悟して下さいよ。大なり小なり、瑕はつきます。
研ぎに出す事になるかもしれません。
それでも良いなら、あなた方で場所と巻藁を準備して下さい。
片付けも、あなた方でして頂けるのなら、やりますが」
そこまで嫌なのか。
酷く臭う上に、得物を傷めてしまう事もある。
まあ、嫌になるのが当たり前か。
冒険者ががっかりして俯いてしまった。
ううむ、とマサヒデが首を傾げて、
「しかし、何かを斬るという事を経験しておくのは大事です。
あなた方の仕事柄、荒事になる場合や、危険な仕事もありますし」
お? と冒険者が顔を上げる。
「試斬と言えば巻藁ですが、わざわざあれを準備するよりもですね。
山とか森に行って、竹を斬ってみなさい」
「竹ですか?」
「ええ。巻藁も、中に竹の芯を入れる事があります。
あの臭い巻藁が肉と同じくらいの硬さというか、重さなんです。
竹が、大体人間の骨と同じ硬さだからですね」
「なるほど! 肉を斬って、骨まで斬れるかと!」
「そうです。ですけど、骨が斬れるなら、肉も斬れるに決まってます。
だから、竹を斬れるかどうかで試してみるのが良いと思います。
臭くもないし、準備も大していらないし」
「おお、確かに!」
「竹は表面がつるつるしてますから、しっかり筋が出来ていないと、まず入りもしません。無理矢理に斬り込んだりすると、がっちり挟まれて抜けなくなります。引っこ抜いたら瑕だらけ。竹とか人の骨ってそれほどなんです。太さは1寸くらいか、それ以下ですよ。それ以上は鉈や斧でないと」
「それほどですか・・・」
「しかし、逆を言えば、竹が斬れるなら腕は十分ということです」
「そうか! そうですね!」
「あ、それと」
「はい!」
「悪い事は言いませんから、安物を1本買って行って、最初はそれで試してみた方が良いですよ。それで斬り込めるなら、自分の得物で試すという感じで。大事な得物で、いきなり試して刃が欠けた、とかは嫌でしょう」
「はい!」
うきうきしながら、冒険者達が食堂を出て行った。
マサヒデが不安そうに見送る。
「彼らで大丈夫でしょうか?」
「まあ、失敗するのも良いと思います。
斬るという事がどれだけ難しいか、身をもって分かれば」
「まあ、それもそうですが」
「実際の所、1、2寸も斬れれば十分なんですけどね。
何なら、当たるだけでも十分だと思いますが。
カオルさんはどう思います?」
「ううん・・・鎧を着た者を相手にする場合が多いでしょうから」
「ああ、そう言えばそうか。となると、結構深く斬り込めるくらいでないと、相手も驚きもしないですか」
「はい。当たっても軽く弾かれる程度では、逆効果では」
「自分の心が引いて、相手が優位に、と・・・
ふうむ。そろそろ、稽古の仕方も考えるべきですか」
「それもよろしいかと思います」
----------
魔術師協会。
マサヒデとカオルが顔を突き合わせる。
マツは横で読書。
「私としては、実際に鎧を着た相手・・・と行きたい所ですけど」
「ううん・・・」
2人が腕を組む。
「稽古では一番大事な所が学べない」
「刺すまでは誰でも分かりますね。抜く所」
「そう。となると、やはり柔、体術くらい・・・」
「ご主人様はやはり道場で? クロカワ先生とか?」
「いえ、普通に道場で。やり方というか、具合は分かります。
けど、ぶっちゃけると鎧通しは下手というか、鈍りまくってると思います。
私、普通の鎧なら斬れますから、あまり必要性を感じなくて・・・
実際に使ったこともありませんし」
「・・・」
「そんな私が教えて良いものかどうか」
マサヒデが眉を寄せる。
カオルは首を傾げる。
この人の『下手』は周囲から見たら遥か上なのだが・・・
「構わないと思います。術理が伝われば良いのですから。
それに、私が師範役に立っても」
「ああ、カオルさんは得意ですか」
「まあ、それなりに。あとは、盾相手など如何でしょう」
「盾、か。そうですね。冒険者の皆さんは盾を持つ方も多い。
これは、普通に稽古で出来ますね」
「馬相手の稽古・・・は流石に無理ですか」
「訓練場に入っていけませんし・・・
それに、我々は馬上はあまり・・・」
マツが本から顔を上げて、
「馬なら、クレールさんに手伝って頂いては?
死霊術で呼び出してもらえば良いではありませんか」
「おお!」
「なるほど! 流石は奥方様!」
「それに、馬を使うのでしたら、外で稽古をしても良いではありませんか。
訓練場でしか稽古をしてはいけない、という決まりはないのですから。
すぐそこは町の門、広い野原ですし」
「確かに!」
ぱ、と2人の顔は明るくなったが、すぐにカオルが眉を寄せる。
「しかし、ご主人様。我々が師範役になって良いでしょうか?
馬相手の練習というのに、我らが降りるわけに参りません。
かといって慣れぬ我らでは逆に・・・」
「む・・・ううむ・・・」
「馬を傷つけぬかも心配です。
やはり、馬相手の稽古は諦めましょう」
「いや、そうですね。まず、我々こそ馬術を稽古すべきです」
「はい」
2人が険しい顔をしていると、そっとマツが隣に座って、湯呑を出す。
「冒険者さん同士の立ち会いを見れば良いではありませんか」
「と言いますと?」
「今まで、マサヒデ様、カオルさんが師範役になり、さあ来い! と打ち込ませていたのでしょう」
「そうです」
「皆様、周りは鎧を着た人ばかり。
余程に抜けている方でなければ、相手も鎧を着た方が多いとお分かりのはず。
マサヒデ様の立ち会い方など、一朝一夕で身につけられはしませんよ」
「ふむ」
「であれば、実際に皆様同士の立ち会い方を見て、これでは通じないという所だけ、直していけば良いかと思いますよ。お仕事もありますから、毎日稽古には通えませんし」
「なるほど」
ううむ、とカオルが首を傾げる。
「お言葉ですが、即席の稽古では、悪い癖がつくことが多いと思いますが」
「・・・」
マサヒデが腕を組む。
彼らは弟子ではないのだ。
それに、真剣に剣を学びたい者は、とっくに何処かの道場に行っているはず。
ならば、自分の手を押し付けるより、彼らの手を伸ばすように教えるべき。
「・・・カオルさん、それは違う。
いつの間にか、訓練場の稽古が剣術道場のようになっている。
だが、彼らは武術家ではない。冒険者。
でなければ、とっくにどこかの道場に通っています」
は、とカオルが顔を上げた。
「そもそも、私も、実戦の戦い方を学ぶ機会だと稽古を始めたはず。
それが、今は私の戦い方を押し付けている感じだ。
彼ら自身の戦い方を伸ばすような教え方でなければ・・・」
「は・・・」
「この手なら、こうするともっと良いかも、と教えるべきです。
私達であればこうする、こんな手もあるくらいで」
マサヒデが頷いて、
「うん、正しいやり方はこうだ、と押し付けていたんだ。
実戦と道場稽古は違う。いつの間にか、ここを忘れていました。
彼らは彼らの戦い方でやってきたのだから、そこに正解があるんです。
私達には分からなくても、実戦ではそれが正解なんですから」
「は」
「少し、私も改めなければ・・・」
ええい、とマサヒデは頭を振り、
「くそっ! 今の私の教え方は、他派を頭から否定しているのと同じだ!
なんと愚かな事をしていたんだ!」
どうぞ、とマツが羊羹の小皿を差し出す。
「マサヒデ様が教えようと真剣だから、自然とそうなってしまっただけです。
師が間違いに気付いたなら、皆さんも冒険者としてもっと伸びますよ」
「はい・・・」
羊羹を口に運び、湯呑を取る。
教えるとは、なんと難しい事か。
いつもの茶が、渋く感じる。