第588話
翌朝、魔術師協会。
マサヒデは起き上がるなり、部屋の襖、障子を開け放ち、着替えを持って湯に向かう。シズクとクレールも、眠い目をこすりながら、マサヒデの後に付いていく。
出ていく3人を見ながら、くす、とカオルが笑って、台所へ。
湯を沸かし、出汁を入れ、味噌を溶かす。
とんとんとん、と深ねぎを切り、さらっと鍋に入れる。
豆腐を出して、さささ! と切り、これも鍋に。
きゅうりの浅漬を切って、小皿に置き、膳の上に置いていく。
さささ、と碗を置く。
あとは米が炊けるのを待つだけ。
「おはようございます」
「奥方様。おはようございます」
「私も湯に行って参ります。
まだマサヒデ様には嫌われたくありませんからね」
くすくすと2人が笑う。
「それでは、テルクニを頼みます」
「は」
ぺこ、と小さく頭を下げて、マツも出て行った。
(今朝は素振りは無しか)
戻って朝餉を済ませ、軽く一服したら、訓練場に稽古に行く時間。
手の内。肩。マサヒデのあの顔。見事、と言ったコヒョウエ。
もう、マサヒデの中では、完全な正解が出ているはず。
「・・・」
湯呑を取って、茶を注ぎ、居間に入って床の間の前に座る。
朝日を浴びて、刀架の雲切丸が輝く。
青貝微塵塗り。
塗り鞘。
塗り鞘を割って、完全に修復出来てしまうとは・・・
普通、塗り鞘は割って修復など出来はしない。塗られているのだから。
カオルが首を傾げる。
マツの修復の術は見事だった。
(何か魔術を習おうか?)
一寸に満たない火が出せるだけで、大きく手が増える。
土の魔術が使えれば、撒き菱なども要らなくなる。
風の魔術があれば、遠くから毒を撒き散らしても、送る事が出来る。
単純で小さな術だけで、かなりの幅が広がる。
(ううむ)
くぴ、と湯呑に口をつける。
魔術を使うなど論外、などと言われたりしないだろうか・・・
忍は手など選ばないと思われているが、意外と頑固な所もある。
養成所では、魔術は一切仕込まれなかったし、使う者もいなかった。
監視員に確認してみようか?
ちら、と庭を見る。
レイシクランの忍は、魔術を使うのだろうか?
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冒険者ギルド、訓練場。
マサヒデは今日は鞘入の木刀を持って、前に立つ。
冒険者達も、鞘付きの剣を持っている。
「今日は、近い距離での押さえ方、そして、それに対するにはという稽古です。
刀でも剣でも全く同じ技術が使えます。
知っておけば、役に立つと思います。
普段は槍をお使いの方にも、色々参考になると思います。
基本の形をお見せしますので、2人1組で練習して下さい」
「「「はい!」」」
「では、カオルさん」
「は」
マサヒデとカオルが向かい合う。
柄を少し前に出せば、互いに当たる距離。
「このような距離の場合ですね」
す、と柄を出して、カオルの水月に柄頭を当てる。
マサヒデが冒険者の方を向く。
「このように当てるのもありです。
ですが、皆さん冒険者の方々は、鎧を着ている方が多い。
これではまず通用しない場合が多いでしょう。そこでどうするか。
短刀などがあれば、そちらで対応するのも十分ありですが・・・」
互いに柄に手を掛ける。
こん、とカオルの手首の上に、マサヒデの柄が乗る。
「この状態に持って行きます。これでほぼ勝ち」
上から体重を掛けると、カオルががくんと前のめり。
その状態のまま、冒険者達の方を向き、
「前から押さえるようにすると、力の強い人には負けます。
押すので、相手は簡単に下がれますから、剣を抜かれます。
上から体重を掛ける。手首が極まる。こうですね。
シズクさんみたいに、とんでもない力の方でなければ、まず大丈夫」
はい、と冒険者が手を挙げる。
「相手が膝を落としたりして、抜こうとしたら、どうするのでしょう」
マサヒデが頷いて、カオルが膝をつく。
「こうなったら」
足を上げて、カオルの刀の柄を踏む。
「はい。この通り。他にも相手がいるなら、蹴り飛ばして離れても良い」
おお、と拍手が上がる。
「で、カオルさんが下がろうとしても」
足を乗せたまま、マサヒデが前に出る。
「これで抑えたまま。相手は抜けませんし」
すらりとマサヒデが鞘から木刀を抜く。
こん、とカオルの背に木刀を当てる。
「カオルさんは座ってしまっているので、私は前の邪魔がなく、抜けます。
斬るも刺すも自由ですね」
ひょい、と足を離すと、カオルが立ち上がる。
「もう一度」
近付いて向き合う。
カオルが柄に手を掛ける。
マサヒデの柄が、カオルの手首の上。
マサヒデが冒険者達の方を向く。
「繰り返しますが、この形に持っていけば、ほぼ勝ちです。
ただ、相手が大きくて、上から押さえようとしても出来なさそうなら」
柄を反時計回りに外側に回し、カオルの肘に下から当てて、上に上げる。
「この通り。相手が大きい程、上げやすい。で、胴はがら空き。
半分打つように、半分押すように上げるのがコツです。
ただ、がつん! と打つだけでは、ここまで仰け反りませんよ。
狙う所は、ここ」
カオルの腕を下に下げて、肘の少し上を左手でくっと持ち上げる。
カオルの肘が上がり、仰け反る。
「見ての通り、これは柔術をそのまま持ってきただけなんですね。
なので、柄で押し上げられないなら、手で上げて押し倒しても良いんです。
で、相手はこのように仰け反っていますから・・・」
マサヒデが一歩カオルの横に踏み込んで足を掛け、カオルの首に手を当てる。
「はい、既に仰け反っているから、大きくても、これで簡単に倒せます。
戻ってこないように、下から顎に手を当てるのも良い。
倒す時は、後ろに飛ばすのではなく、真下に落とすように。
兜を被っていようが、確実に頭を揺らせますよ。
強く打つと死ぬかもしれませんので、練習では絶対にやらないで下さいね」
戻って、柄をカオルの肘の下に置く。
鞘ごと上に伸びている。
鞘を指差して、
「剣をベルトに固定している方は、上に抜きながらやると良いでしょう。
そして、固定されてないと、このように鞘ごと上がってしまいます。
しかし、このまま左足を引いて、鞘だけ後ろに下げてしまえば」
木刀が抜かれ、カオルの脇の下。
「はい。これで鎧の隙間から突き入れる事が出来ます。
首や顎に下から突きこむことも出来ます。
避けられたり、突き入れられなくても、先程のように踏み込めば倒せます。
それが出来なくても、相手は抜けず、こちらは抜いた状態。有利です」
はい、と冒険者が手を挙げる。
「対応するには」
「柄から手を離し、横に開いても良い。そして外から叩けば」
ぱん! とカオルの柄が弾かれる。
「と、これで相手には一拍の隙が生まれる。
抜き打ちがいけそうなら、この隙に斬り付けても良いです。
まあ、下がりながら抜くのが一番簡単ですね」
ぱっとマサヒデが下がって抜く。
「単純明快、これが簡単」
木刀を納めて、カオルの目の前に戻る。
「しかし、せっかく下がるんですから、その動きを無駄にしては勿体ない。
こんな応用もあります」
カオルが柄に手を掛ける。
ほい、とマサヒデがカオルの柄を左手で掴んで、
「はい、カオルさん、抜いて」
ひょいと下がりながら、カオルが抜いた木刀を引っ張る。
「お手伝い」
う! とカオルが驚いて、目を見開く。
流石のカオルも、これは予想出来なかったようだ。
「おや。カオルさんの得物が無くなってしまいました」
ぴた、とカオルの前に木刀をつける。
おお! と拍手が上がる。
「これで私の勝ち、と言いたいですが、間合いを考えるとどうか」
マサヒデは左手に持ったカオルの木刀を指差し、
「この通り、今、私は左の片手だけで持っています。
カオルさんは短い方が得意、間が近い、私の左手は塞がっている。
一見有利に見えて、冷静に見れば、私はむしろ不利。
さっと脇差やナイフを抜かれて内に踏み込まれれば、私は逆にやられます」
木刀の先で、マサヒデの足元とカオルの足元を差し、距離を示す。
「まあ、見た目は凄いと思うかもしれません。
驚くでしょうし、一瞬の隙も、まず取れると思います。
ですが、少し場慣れた方なら、その一瞬の後に簡単に対応してくるでしょう。
体当たりで突っ込まれたり、短い得物を抜いて内に踏み込んできたり」
カオルの手に木刀を戻し、冒険者達の方を向く。
「今のは基本です。応用は幅広く、ものすごく効きます。
2人1組で、互いに押さえてみて、避けてみて下さい。
皆さんは、私より遥かに実戦経験が豊富なはず。
色々な状況を想定してみて、使い方や対応を考えてみましょう」
わらわらと冒険者達が立ち上がり、向かい合う。
冒険者達を見ようとマサヒデが踏み出すと、カオルが引き止め、
「あの、ご主人様」
し! とマサヒデが口を鳴らし、
(ちょっと。皆さんの前でご主人様は)
「失礼しました。マサヒデ様」
「はい。なんでしょう」
「マサヒデ様の、応用の例などをひとつ」
「私の応用ですか。ううむ・・・こんなのとか?」
カオルの手首の上に柄を置いて、柄をカオルの木刀の鞘の下に突っ込み、半円を描いて反時計回りに回し、鍔に引っ掛けて上に上げる。ぐい、とカオルの身体が横に向けられる。
「う!? うう!?」
鞘ごと押し付けられ、仰け反ってしまう。
鍔に引っ掛けて、ぐいと持ち上げられ、マサヒデの柄頭が顔の目の前。
左手は挟まってしまって、ほとんど動かせない。
右手も柄から外れてしまっているし、この状態では抜けもしない。
木刀は鍔で引っ掛けられて押し上げられ、少し鞘から抜けている。
真剣だったら、目の前に刃があるのだ。
押さえられた上に、そんな状況では確実に焦る。
「ここで顔とか顎に突き入れちゃっても良いんですけど・・・
背の高い相手だと、ちょっと無理に押し込む感じになってしまいます。
それに、ここまで持ち上げられないですから、こうします」
すこん!
マサヒデが鍔に引っ掛かけた柄を勢い良く開くように振ると、鞘から木刀が抜けて飛んでいった。
「え!?」
「あっ、しまった!」
手前の冒険者の組の足元に、木刀が転がった。
お? と冒険者がこちらに顔を向ける。
マサヒデが慌てて駆け寄って来て、
「すみません! ちょっと力が入ってしまって!」
と、頭を下げて木刀を拾う。
向こうを見れば、カオルが仰け反って驚いた顔でこちらを見ている。
何があったのか分からないが、先程の応用で木刀を吹き飛ばしたのだ、と想像はつく。
「危ない、危ない。当たらなくて良かった。
いや、本当にすみませんでした」
「いえ・・・」
ぺこぺこするマサヒデを見て、冒険者が喉を鳴らす。
驚いた顔で固まっているカオル。
拾った木刀を持って歩いて行くマサヒデ。
「なんか、とんでもねえ技術教えてもらったのかな・・・」
「かも・・・」
「練習するか」
「おう」
冒険者が向かい合い、柄と柄を突き当てる。