第585話
魔術師協会。
シュウサン道場での稽古が終わり、帰ってきた後。
マサヒデは縁側で腕を組んだまま、庭を向いている。
カオルもマサヒデと二言三言話した後、額に手を当て、じっと黙ったまま。
「マサヒデさん」
アルマダが声を掛けると、難しい顔をしたマサヒデが振り向いた。
「む・・・はい」
「三傅流が使えていないのでは、と悩んでいるんですね」
「はい」
「ならば、イマイ様に尋ねれば良いのです。
悩むのは聞いた後で構わないでしょう。
尋ねても分からなかったら、好きなだけ悩みなさい」
「ううむ・・・その通りです・・・」
がっくりとマサヒデが肩を落とす。
隣でカオルも肩を落とす。
「大体、抜刀術は三傅流だけではないでしょうに。
駄目なら、他を覗いてみれば良い」
アルマダがカオルを見て、
「カオルさんなら、道場の書庫から本を借りてくる事が出来る。
色んな流派の本が、大量にあるではありませんか。
抜刀術も腐る程ありますよ」
「は・・・」
アルマダがにっこり笑って立ち上がり、2人の間に立って、ぽん、と頭に手を置いて、くしゃっと手を回し、
「お二人共、そんなしけた顔をしないで下さいよ。
クレールさんの小柄を祝いに行くのに」
「あっ!」
マサヒデとカオルが顔を上げた。
アルマダが呆れた顔をして、
「ちょっと、忘れてたんですか?」
はあー、とマツ達もため息をつく。
「やれやれ。そんなに衝撃を受けていたとは。さ、行きますよ」
くる、とアルマダが振り返り、クレールに、
「ひどいものですね。妻の作が歴史に残る名刀になるか、と言う時に」
「全くです!」
クレールが呆れた顔でマサヒデを見る。
「すみません」
む、とクレールが拗ねた顔をして、
「それほど、マサヒデ様にとっては大事だと分かります。
だから、許してあげます」
「ありがとうございます」
「カオルさんも許してあげます」
「申し訳もございません」
ふ、とアルマダが笑う。
「さ、行きましょう! 私、もう楽しみで楽しみで」
アルマダが言うと、マサヒデも急にわくわくしてきた。
沈んだ気持ちが吹き飛ぶ。
「うん、行きましょう! さ、早く!」
やれやれ、と皆がマサヒデを呆れた顔で見る。
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職人街、船宿虎徹。
座敷の中で、6人が行灯を囲み、額を突き合わせて車座に座っている。
まるで密談でも始めそうな雰囲気。
一方、席に着いたマツ達は、諦めて先に始めていた。
こちらは酒も入って明るくなっている。
「こちらです」
ホルニが懐から紙に巻かれたクレールの小柄を出す。
「勝手に頼んでしまいましたが、拵えの注文も出しました」
マサヒデが小さく頭を下げ、
「いえ、ありがとうございます。鑑定には出すつもりでしたから。
領収書は私宛にしてもらって下さい」
「いや、娘の名が入りますし、私が」
「構いません。クレールさんの小柄ですから、私宛に」
「は」
マサヒデがホルニの手から小柄を取り、
「では・・・」
一礼して、そっと抜く。
「む!」「これは!」「なんと・・・」
はっきりと映りが見える。
アルマダが行灯を手に持って引き付ける。
「何だこれは・・・一体、何だ・・・」
「どうしてこんな物が・・・」
「ううむ・・・」
ぐっと手を伸ばして離し、また引き付ける。
映りがぼんやりと光る。
角度を変えれば凄い沸えで輝いている。
ラディが膝を寄せ、
「マサヒデさん」
「何でしょう」
小柄を見つめながら、マサヒデが答える。
「それ、匂出来のはずだったんです」
「はあ」
「全然、焼いてないんです」
ん? とマサヒデ達が顔を上げる。
「焼いていない?」
「そうです。焼きが甘いんです。
なのに、そんなに沸えが出てるんです」
「どういう事です?」
「私にもさっぱり」
ホルニに顔を向けると、ホルニも首を振る。
隣のイマイも肩を竦め、
「これ、僕の憶測だけどさ」
「お聞かせ下さい」
「ミカサ伝の前の古刀にも、綺麗に沸えが出てる刀っていっぱいあるでしょ」
「ありますね」
「これ、今まで鋼の違いだって思ってたけどさ。
土置きが問題なんじゃないかなって」
イマイがホルニを見ると、ホルニが頷いてマツの小柄を出す。
抜いて、マサヒデの方に向ける。
「これがマツ様のね。しっかり焼きが入って、沸えが出てる。
クレール様のも沸えが出てる」
マサヒデ達が頷く。
「焼きが甘いのに沸えがついた。焼き方ではない。鋼も同じ。
それ以外の違いはどこか。土の置き方だよ。
クレール様のは分厚くべったり、不器用に置かれてた。
マツ様のは綺麗に薄く置かれてた」
「分厚く、ですか」
「そう。焼きも甘い上に、土が厚かった。
当然、温度は低くなるよね。
温度が低いなら、匂出来になるはず」
「ええ」
「でも沸出来になった。だから、土の置き方の違いじゃあないかな、てね。
多分、マツ様ので同じ温度で焼いたら、匂出来になってたと思う」
「なるほど・・・」
アルマダも頷いて、ラディを見る。
「これ、再現出来ますか」
「分かりません。数を試してみないと、何とも」
「いや、そうですよね・・・しかし見事だ。
乱れ映り。二重刃。美しい沸え。大きな飛び焼き。見た事もない刃紋。
葉(よう:刃中の働きのひとつ)もある。
これ、何という刃紋ですかね・・・湾れ互の目に・・・一本だけ蛙丁字?
偶然の産物とはいえ・・・見事だ・・・」
マサヒデが小柄から顔を上げ、
「重要保存は通りますよね」
ラディ達が頷く。
ホルニが腕を組んで、
「間違いなく。特別重要にも届くかもしれませんな。
もしかしたら、その上にも」
マサヒデが頷いて、紙巻きに小柄を納める。
「よろしくお願いします」
「はい」
ホルニが慎重に懐に納める。
「では・・・」
マサヒデが席の方を見る。
もうマツ達はとっくに呑んで食べている。
ふっとマサヒデが笑い、
「我々も行きましょう。今日は、ラディさんという新たな名工が生まれた祝いの宴です。私の奢りです。派手に呑んで、食べて下さい」
ホルニ、ラディ、イマイがにっこり笑う。
「では、遠慮なく」
「ありがとうございます」
「ラディちゃん、おめでとう!」
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やっとマサヒデ達も席に着いて、お猪口に酒を注ぐ。
「おそーい!」
「もう! お待ちしましたよ!」
「そうです! 我慢出来なくて食べちゃいました!」
「ははは! 申し訳ありません。あまりにクレールさんの作が見事なもので」
「うーん・・・なら良いです。そんなに良かったですか?」
マサヒデがにっこり笑って、
「ええ! それはもう! さあ、乾杯といきますか!」
マサヒデがお猪口を上げ、
「それでは、新たな名刀匠、ラディさんとクレールさんを祝って、乾杯!」