第582話
シュウサン道場。
カオルとジロウの立ち会いが終わった。
カオルは立ち会いには負けたが、素晴らしい結果を出した。
ジロウから技術は盗めた。
本人は勝負の後、消沈してしまったが、ジロウが肩を落とし、息を切らせるまで追い詰めた。先回はここまで追い詰められなかった。
マサヒデがアルマダに顔を向け、
「ジロウさん、疲れてますね。休憩を申し出ましょうか」
「そうしましょう」
アルマダが頷く。
マサヒデが手を挙げて、
「コヒョウエ先生!」
「む。どうなされた?」
「ジロウさんは随分とお疲れのご様子。
一度、休憩を挟みたいと思いますが」
コヒョウエは少し首を傾げて、
「ジロウ。どうする」
「大丈夫です」
まあ、こう言うだろう。
万全の時に相手が来るとは限らない。
どんなに気を付けていても、事故も病もある。
むしろ、体調が悪い時にこそ戦えるよう、慣らしておくべき。
どんな状態でも戦える者が武術家。
カゲミツが諸国を回っていた際は、わざと3日3晩も呑み明かし、誰かが寝込みを襲ってくるのを、今か今かと待っていたそうな。いくら酒好きとはいえ、3日も寝ずに呑み続けるのはきついはずだ。呑まなくてもきついのだから。
「我儘で申し訳ありませんが、万全のジロウさんと立ち会いたいのです」
「だ、そうだ。これは客の我儘、断りも出来まい。
塩を送られている訳でもなし、ただの稽古よ。
ほれ、ジロウ。そう固くならず休め」
「は」
ジロウは、どっかりとその場に胡座をかいて座る。
やれやれ、とコヒョウエが呆れた顔で、門弟に顔を向け、
「おいコメタロウ。すまんが、茶を頼めるか」
「はい!」
門弟が立ち上がって道場を出ていく。
「おおそうだ、マツ殿からサン落雁を頂いたのであった。
うむ、皆で楽しもうではないか」
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「ううむ、さすがサン落雁。しかし、茶がな」
「申し訳ありません」
ジロウが頭を下げる。
「ところで、マサヒデ殿」
「はい」
「こやつから何か盗めましたかな」
「はい」
「えっ」
マツとクレールが顔を向ける。
マサヒデとコヒョウエがにやっと笑う。
「なあに、そうお気になさらず。
こちらも、マツ殿、クレール殿からそれは良い土産を頂いた」
コヒョウエが落雁をかじって、
「この落雁とワイン以外にも、それはもう、たーんと。
のう、ジロウ」
「はい」
「お前、あの土産は多すぎやせんか?
あれは儂にも、ちと重いな」
「まあ、その・・・正直に言いますと、少々」
「はーっはっは! で、無願想流を前にしてどうだ?」
「私では手に余ります」
「我が流派であれば一捻り、くらい言えんのか」
ジロウが笑って、
「申し訳ありません。私、父上程に嘘は上手くなくて」
コヒョウエは顔をしかめ、
「おい、客人の前で人聞きの悪い事を言うな。
そこは方便と言え、方便と」
「口下手で申し訳ありません」
「全く・・・」
渋い顔をして、コヒョウエが湯呑に茶を注ぐ。
す、とマサヒデが湯呑を上げると、ちょい、と裾が引っ張られ、手を止める。
クレールがマサヒデの顔を見上げて、
「危ないじゃないですか。溢すかと」
「あの、技の盗み合いって聞いてましたけど」
「ええ」
「私達の魔術もお土産だったんですか?」
「そうですよ。だから、手を貸して下さいって頼んだんじゃありませんか」
「魔術師とはあまり戦った事がないだろうって」
「だからですよ。良いお土産になりました」
マサヒデがコヒョウエに顔を向け、
「コヒョウエ先生、いかがでしたか?」
「いや、お見事としか言いようもありませんな。
此度はこのような機会を作って頂き、ありがとうございます」
コヒョウエが頭を下げる。
横でジロウも頭を下げる。
「ほら。何かあるんですか?」
「お礼だから、手を貸して下さいって!
魔術師と立ち会った事は少ないだろうからって!」
「ええ」
何を怒っているのだろう。
コヒョウエとジロウが顔を合わせる。
マサヒデがマツに顔を向けると、マツも首を傾げる。
「私の魔術は見世物なんですか!?」
ああ、なるほど。
結構良い立ち会いをしたから、そっちに頭が行ってしまったのか。
「クレールさんだって、私達の立ち会い見て楽しんでたでしょう」
「う」
「私達、と言っても、カオルさんは少し違いますけど・・・
武術家って、武芸者とも言いますよね」
「はい」
「武の『芸者』ですよ。分かります?
今の平和の世で、武術は見世物です。
私達は芸者。武術は見世物商売なんですよ」
「ええー!?」
ぱん、とコヒョウエが膝を叩き、にこっと笑い、
「む! さすがマサヒデ殿には分かっておられる!」
「いや、これは受け売りです」
「命を掛けて戦う事もあるのに、芸者!? 商売!?」
「そうですとも。広場で勇者祭の試合を見て、皆さん楽しんでる。
真剣の殺し合いでも、それはもう盛り上がってますよね。
賭けをしてる町だってあるくらいですよ。
すごい見世物だと思いません? 芸者の大舞台じゃないですか」
「む、む、む・・・」
「魔術だって商売ですよ。
マツさんも魔術師だから、今の商売が出来てるんです。
ラディさんも、治癒魔術が使えるから、病院で働いてた。
ね? 魔術も商売でしょう」
「でも、でも・・・」
「ふふふ。言う通りだけど、何か嫌だって気分でしょう?」
「ううん・・・はい。嫌です」
「私もそうでしたから、良く分かります。
つい先日、分かったばかりです。いや、まだまだかな」
コヒョウエがにこにこしながら、
「クレール殿。この道場をご覧下され。
トミヤス道場と比べて如何かな?」
「え? ええと・・・あの、人が・・・」
クレールが気不味そうに下を向くと、コヒョウエがげらげら笑って、
「はーっはっは! そうそう、そこですぞ!」
コヒョウエがジロウの肩に手を置いて、
「こやつは、腕を磨くばかりで商売をせんから、こんな道場。
カゲミツは商売上手だから、あんな田舎村なのに、繁盛しておりますな。
貴族は抱え込むわ、王族とも仲が良いわ。
名は魔の国まで轟き、世に知らぬ者はおらぬほど」
「お父様は剣聖ですから、当然では?」
「いやいや、そうではない。剣聖は1人ではない」
「えっ? 他にもいるんですか?」
「『剣聖』は国から与えられる称号。つまり、国の数だけ剣聖がおる。
されど、今や剣聖と言えばカゲミツの名が挙がる。
クレール殿、他の国の剣聖の名、ご存知かな?」
「いいえ・・・あの、では、剣聖ってたくさん・・・」
「そう。カゲミツは剣聖の中でも、飛び抜けて商売上手と言う訳ですな。
剣聖の称号があっても、ここと同じ程度の道場の者がおりますぞ。
中には食うにもぎりぎりで、国のお情けで何とか生きておる者もおる」
「ええー! 剣聖なのに!?」
マサヒデ達が驚くクレールを見て笑う。
コヒョウエが笑いながら頷き、
「如何にも。剣聖はただの称号。
身分でも仕事でもなく、貴族のように領地も与えられぬ。
それゆえ、食うには自分で稼がねばならぬ。
ここまで分かりましたかな?」
「はい」
「されど『剣聖』と呼ばれる者が、剣術以外で身を立てて良いものかな?
はてさて、困った。冒険者ギルドで日雇いも出来ぬ。
さらば勇者祭。我が腕であれば勇者など容易! 魔王様に願って金を!
はて? 剣聖が立ち会いを所望せんで良いのかな?」
「はあー・・・剣聖って、大変なんですね・・・」
「その通り。商売上手でなければ、剣では生きては行けぬ。
儂の道場も小さく、門弟も少なかった。只々、強く・・・儂も若かった。
ふふふ、いや、カゲミツには全く敵いませぬな。
おっと、私がこんな事を言っておったなどと言うてはなりませんぞ。
あ奴、すぐに調子に乗りますからな」
「はい・・・」
「武芸者はどれほど腕が立っても、商売下手では生きてはゆけぬ。
野垂れ死ぬなら、まだましな方。
食うに困り、悪事に身を染める者まで出る始末。
そうなると、腕が立つだけにこれまた厄介。
いや、武芸者とは厄介な生き物でございますな! ははははは!」
「ううん・・・」
ふ、とマツが笑って、
「クレールさん。大魔術師という称号もありますね」
「あっ!」
「そういう事です」
「ううん、分かりました、何か分かった気がします」
うんうん、とコヒョウエが頷き、
「ジロウ。お前、食えずとも悪事には身を染めるなよ。
マサヒデ殿が、マツ殿とクレール殿を連れて駆けつけて来るぞ」
「父上!」
「はーっはっは!」