第579話
シュウサン道場。
マツの防護の魔術に、コヒョウエもジロウも驚き、目を丸くした。
コヒョウエが首を傾げ、木刀を持つ形で手を上げ下げしながら戻って来る。
「さ、クレールさん。頑張って下さい」
「はい!」
元気良く返事をして、クレールが縁側を下りて行く。
コヒョウエがクレールを見ながら、
「マサヒデ殿」
「はい」
「クレール殿は、いかな魔術を」
「得意は水の魔術と死霊術です」
「死霊術。うむ、パーティーの時の虎は見事でしたな。
やはり、本業は歴史を学ぶお方か」
「いえ。歴史は好きですが、学者ではありません。
死霊術を使って戦います」
「ほう! それは珍しい!」
「死霊術だけなら、マツさんより上です」
「何! マツ殿よりもか!?」
「技術が上なだけで、マツさんほど魔力はありません。
ですので、竜などを呼んだりは出来ませんが」
「虎程度はお手の物と」
「お手の物という程では。頑張って、4、5頭はいけるでしょうか?
あまり長くは無理かもしれませんが」
「ううむ・・・」
「しかし、魔術師に一番大事な物を心得ています」
「ほう。一番大事な物とは」
「いたずら心です」
ぱしん、とコヒョウエが膝を叩き、
「はーっはっは! なるほど!
よし、見せて頂きましょうかな! ジロウ! 良いか!」
「は!」
「クレール殿!」
「はい!」
「構え!」
ジロウが正眼に構える。
クレールが杖を出して握る。
「始め!」
くるん、と円を描くようにクレールが杖を回す。
ばばば、とジロウの周りを狼が囲む。
は! とジロウがきょろきょろと顔を回す。
その隙に、ぽんぽん、とクレールの前にいくつも水球が浮かぶ。
「おお!」
コヒョウエが驚いて身を乗り出した。
だが、見世物を見ているような驚き方だ。
顔に余裕がある。
(一撃は入るかな?)
アルマダとの立ち会いの反省を活かしている。
囲んだ狼は2重の円。
よく見ると、水球も歪んでいる。
この水球に気付かなければ、入るかもしれないが・・・
「とぁ!」
ぱぱん! と狼を木刀で弾き飛ばし、2重の囲みから出る。
後ろから狼が追ってくる。
「むっ!?」
ジロウがぱっと横に跳ぶ。
ばん!
水球がジロウの足元に凄い速さで飛び、地面に穴を開ける。
ばん! ばん! ばん!
ジロウが跳ぶ。
地面に穴が開く。
クレールから離れていく。
離れるジロウを狼の群れが追って行く。
「む! これは見事!」
感心して、コヒョウエが頷いている。
(ううん)
1頭ずつ、狼が減っていく。
もう3頭しかいない。
クレールは増やそうとしていない、というより増やす余裕がないのだろう。
あれだけ離れていても、ジロウを目で追うので手一杯か。
ばぎん!
また狼がジロウの振りで減った。
すうっと宙で霧散する。
ばばば! といくつも水球が飛び、庭を穴だらけにしている。
水球の方に気が行っているのか・・・
数が増えている。
かすりもせず、惜しいという程の当たりは最初だけだ。
跳び回ってはいるが、ジロウに焦りの色は見えない。
ぼごん! と顔を木刀で殴られ、また狼が霧散する。
最後の1頭。
と、ぶわっとクレールの後ろ髪が巻き上がり、襟から大量の虫。
「おお、これは見事じゃ!」
コヒョウエが手を叩く。
やはり余裕がある。
ジロウも驚きはしたが、ぱん! と最後の狼をはたき落とし、構え直す。
ふわふわふわ・・・
蝶と蛾の群れが、ゆっくりジロウに飛んでいく。
「む?」
コヒョウエもジロウも、怪訝な顔をする。
この虫をどう使う?
毒でも撒くのか?
しかし、屋外。少しの風で散ってしまう。
余程強い毒でなければ、少し離れていれば平気だ。
いや、そもそも、そんな毒を持った虫を服の中に仕込むまい。
クレールから離れた所で、ジロウが足を止めて首を傾げている。
足の遅い蝶の群れは、まだ遠い。
「ジロウ様!」
蝶の群れを挟んで、クレールがジロウを呼ぶ。
「大きな方! 小さな方! お選び下さい!」
「・・・」
ぴた、とジロウが足を止め、蝶の向こうのクレールに目を据える。
ぼん、とジロウの真上に大きな水球が浮かぶ。
ひょ、とジロウの後ろに小さな水球が浮かぶ。
「ふふふ」
コヒョウエが笑う。
「マサヒデ殿は、どちらを選ぶと見ますかな」
「もっと小さな方です」
「もっと小さな?」
と、コヒョウエがジロウに顔を向けたまま眉を寄せる。
少しして、ぱ! とジロウが駆け出す。
蝶の群れを抜けて、クレールの目の前。
ぴたりとクレールの目の前に木刀を置く。
「そこまで!」
コヒョウエが止めて、ジロウが木刀を下げた。
クレールがにっこり笑って、浮かんでいた水球が消える。
「一本、頂きましたー!」
「え?」
「ジロウ様、足は綺麗にしておきませんと」
はて? と袴を少し上げて、
「む? これは?」
水球を避けていて汚れたのか?
足がすねの中ほどまで真っ黒。
手を伸ばすと、もぞっと汚れが動いた。
「あっ!?」
慌ててしゃがんで足をはたいて手を見ると、ノミ、シラミのような小さな虫がびっしりと着いている。うっ、と嫌悪感に襲われ、ぱしぱしと手を叩く。
「えへへー。毒虫でなくて良かったですね!」
ひょいとクレールが杖を振ると、びっしり付いていた虫が消えた。
「これは、いつから」
「うふふ」
ばたばたと蝶がクレールの所に戻ってくる。
ぴ、とクレールが人差し指を立てると、蝶が止まる。
「この蝶を見て、足を止めた時です」
「ううむ・・・参りました。
てっきり水の球かと思いましたが、小さな方とは、この虫の事でしたか」
「そうです。では、解毒の術を掛けますね。
この蝶と蛾、毒の粉を持っておりますから」
さあー! とクレールの背中に蝶が入って行く。
「えっ! しかし!」
先程、この蝶の群れを突っ切ったばかり・・・
クレールが座って、ジロウの胸に手を置く。
「ジロウ様、私は魔族です。ですから、この程度の毒は全く平気です。
ですが、人族のジロウ様では、放っておくと死んでしまいます」
「う、ううむ・・・お願いします」
ぐったりしたジロウを見て、コヒョウエが手を叩いて笑う。
「はーっはっは! いや、お見事! ジロウ、してやられたな!」
「は、面目もございません」
コヒョウエがにこにこしながら、
「ふっふっふ。マサヒデ殿、もっと小さな方とは、お見事」
コヒョウエは褒めてくれたが、ううむ、とマサヒデは腕を組む。
「クレールさんのいつもの手ですから。
もう少し、こう戦術というか、幅を広げて欲しい所です。
同じ毒虫なら、蝶と蜂を混ぜて、飛ぶ速さに違いをつけるとか・・・
動物でも、鳥を混ぜたりして、空から攻めるとか・・・」
「うむ、なるほど。自由奔放な思い付きこそ、魔術師の強さ。
マサヒデ殿は、魔術師になっても大成しておりましたかな」
「とんでもない! それは絶対にありません」
「何故」
「私は座学が嫌いですから」
「ははははは!」
笑いながらばんばん膝を叩いて、コヒョウエが立ち上がった。
「ではマサヒデ殿、次は中で」
「はい。クレールさん、上がって下さい」
「おいジロウ、お前もがっくりしておらずに上がれ。
お前、魔術に対してはからっきしだな」
「は、面目もございません」
皆が縁側から道場に上がる。
コヒョウエが座る。
ジロウが立つ。
マサヒデ達が壁沿いに座る。
反対側に、ジロウのただ1人の門弟が座る。
これから、立ち会いが始まる。