第572話
イマイ研店前。
クレールが待ち切れない、という顔で、勢い良く玄関を開ける。
「こんにちはー! イマイさーん!」
「はーい」
イマイが出て来て、にこにこしながら玄関に座る。
「ラディちゃんから聞いてますよ。小柄の研ぎですね」
「はい!」
「ささ、入って下さい」
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イマイが茶を持って来て、2人の前に差し出す。
マツが箱を差し出し、
「こちら、お土産のケーキです」
「あ! ありがとうございます!」
クレールの顔を見て、にこ、と笑い、
「でも、まずは研ぎを仕上げましょうか。
お二人は食べてて下さいね」
と、クレールに手を差し出す。
「お願いします!」
クレールが頭を下げ、イマイの手に紙に巻かれた小柄を渡す。
「お任せ下さい」
しゅ、と紙から引き出して、じー、と見て、うんうん、とイマイが頷く。
「ラディさんが言うには、クレールさんのは匂出来というものだそうです」
「匂出来・・・ふんふん・・・」
よ、とイマイがやすりを取って、
「ちょっと待って下さいね」
かりっ! と刃先近くの棟の所で、一度やすりを引く。
「・・・んー・・・こう、かな」
と、2人の前に出す。
「あ?」「あれ?」
「どうです? 雰囲気が凄く変わりましたよね」
「本当!」「ええー!」
「今ので、1厘(約0.3mm)も削ってないんですよ」
「ええっ!?」「本当ですか!?」
にやっとイマイが笑う。
「そうなんですよー。ほーんの少しだけで、刀の雰囲気って凄く変わる。
どう? 良くなったでしょ?」
「驚きました・・・」
「はあー・・・」
「後は、この辺かな」
かり! と鎺元くらいで軽く引く。
先程よりも小さく引いた。つまり、1厘以下。
顔の前に上げ、軽く手首を回しながら、じー、と見る。
「良し! どう? 僕はこのくらいが良いと思う」
また雰囲気が変わっている。
2人が目を丸くして驚く。
「綺麗に、なりました・・・」
「はい・・・」
上から下までぴたりと収まり、急に上品な感じになった。
「では、これで研いでいきましょうか。
どうぞ、ケーキ食べながら見てて下さい」
よ、とイマイが砥石の前に座る。
ぴちゃ、と水を付けて垂らす。
「良し、と」
しゅりしゅりしゅり、と研ぎ始める。
身近な者の注文だからか、あまり張り詰めた感じはしない。
2人が箱からケーキを出し、小皿に乗せて食べ始める。
イマイが研ぎながら、
「師匠から、研師の心得って言うのを何度も聞かされたんだけど・・・」
しゅりしゅりしゅり。
ぴちゃり。
「研師ってどういう仕事かというと・・・」
しゅりしゅりしゅり。
ぴちゃり。
「お化粧直しをするのが研師なんですよね」
しゅりしゅりしゅり・・・
はて? とクレールが首を傾げる。
「お化粧直し?」
しゅりしゅりしゅり・・・
「何て言うか、自分の研ぎ方を出してはいけないんです」
しゅりしゅりしゅり・・・
「と言いますと?」
「お化粧が上手い人って、被せるんじゃなくて、引き立たせますよね」
おお、とマツとクレールが頷く。
しゅりしゅりしゅり・・・
「ナチュラルメイクに徹する、それが研師なんです」
うむ、とマツがケーキを飲み込んで、
「というと、職人の個性が出せないのですか?」
しゅりしゅりしゅり・・・
「そうすると、刀本来の美しさが消えてしまうんですよね」
しゅりしゅりしゅり・・・
「ただ、ここが、判断が難しい所なんですよね。
どこまで刀の個性を立てて研げるか。
立てすぎても嫌味な感じになるし・・・まあ、感覚ですね」
しゅりしゅりしゅり・・・ぴたり。
ぴちゃ、と水を付けて、布で拭く。
「んん?」
イマイが首を傾げて、
「ラディちゃんは、クレール様のは匂出来って?」
「はい」
「んー・・・ああ、渡す時に間違えちゃったのかな?
すーごく沸えが出てる。こっちがマツ様のか」
「ではこちらがクレールさんのですね。でしたら、こちらを先に。
クレールさん、早く早くって。うふふ」
くす、とマツが笑って、イマイに小柄を渡す。
クレールがマツに顔を向けて、
「マツ様、良いのですか?」
「ええ。構いませんとも」
「では、こっち研いでいきますね」
イマイがマツが差し出した小柄を研ぎ出す。
しゅりしゅりしゅり・・・
「んん・・・」
ぴちゃ、と水を付けて拭く。
驚いた顔をして、クレールに顔を向ける。
「ああ! うーまいこれ!」
「上手いですか!? 私の刃紋が!?」
「上手いですよお・・・」
言いながら、砥石に当てる。
しゅりしゅり、と研ぎながら、
「あ、いいなあ、これいいなあ!」
「やった! 描いた通りに出たんですね!」
「うん! この直刃は中々出来ないよ!」
直刃?
マツとクレールが顔を合わせる。
すう、とイマイが布で拭いて、目を細めて顔の前に上げる。
「ああ・・・沸えも綺麗だあ・・・すーごいな、これぇ・・・」
口を半開きにして、目を細め、光りにかざす。
「沸え?」
「うん・・・沸え・・・」
あ、とイマイが気付く。
両方とも、沸出来?
「あれ? 沸出来?」
んん? とマツも首を傾げて、
「あの、直刃って、真っ直ぐの模様ですよね? 描いたのは、私です」
「え? じゃあ、こっちがマツ様の?」
「多分・・・」
「あれえ?」
イマイが首を傾げる。
「ラディさんは、クレールさんは土が厚く、早めに出したので、匂出来と」
「ううん、それじゃあ、まず匂出来になるはずだけど・・・」
クレールの小柄を取る。
「どう見ても沸出来だなあ・・・ううん・・・」
2人の前に2本の小柄を差し出し、
「ほら、両方ともきらきらしてる。すっごく沸えが出てる」
「あら、本当」
「綺麗ですね!」
ううん? とイマイが首を傾げる。
「ええと、直刃がマツ様でしたよね。
クレール様の方を先に研ぎます?」
「お願いします」
マツの小柄を置いて、クレールの小柄を改めて研ぎ始める。
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イマイが指で地艶を掛けながら、
「いや、こーれは謎だあ・・・」
ぽつんと呟く。
手を止めて、目を丸くして小柄を眺め、小さな声で、
「ぅぉ・・・ぅぉぉ・・・」
と声を出す。
「何これ? 見た事ない。面白いなあ、こんなのになるんだ・・・」
ん? とマツとクレールが小柄からイマイに顔を向ける。
「いや、凄い刃中の働きだ。これ、誰が見てもミカサ・・・
ミカサ伝だね、間違いなく。これ良いわあ!」
しゅう、と紙で地艶の汚れを拭き、ほら、とイマイが2人の前に小柄を出す。
「見た事ないでしょこれ!」
刀がよく分からない2人にはさっぱりだが、きらきらしているのが分かる。
「これ、きらきらしてますから、沸出来なんですよね?」
イマイが興奮して、小柄を指差す。
「そう! すんっごい沸えが付いてるの! ほら、先の方のこの辺とか」
「綺麗ですね!」
「うん! でもこれ何? これは何だろう!?」
イマイが興奮しながら困惑している。
戻してまた水を垂らし、すりすりと指で研ぎながら、
「ああー・・・どうしようこれ」
「どうしたんですか?」
「いや、研ぎって、もう最初に出来上がりの姿が頭に出来てるんだけど・・・
全然想像してたのと違う。突き抜けてるなあ・・・」
「ええー!?」
「初めてだあ・・・こんな感覚・・・」
「だ、大丈夫なんですか?」
イマイが眉を寄せて、
「普通は想像通りに、完成の姿が出るんだけど・・・」
すりすりすり・・・ぴたり。
「これ、全然想像と違う! 全く別物!
どうしたら良いんだ!? こんなの初めてだあ・・・」
「そこを何とか!」
「ううん・・・これさ、焼きが甘いのに、これだけ沸えが出て・・・
沸の出方が尋常じゃない・・・刃紋もこれ、何て表現したら良いんだろう?
ね、クレール様、どうしたら良いと思う?」
「え!? 私ですか!? ええと、イマイ様、何とか!」
「何とかって・・・出っ来るかなあ? こんな刃紋、見た事ない!
どう刃取りしたら良いんだ!? 誰か教えてくれないかなあ」
イマイが腕を組んで、じーっとクレールの小柄を見つめる。
「普通だったら、差込(さしこみ:研ぎ方のひとつ)なんですけども」
「はい」
「これだけ焼きが甘いと、差込しても、刃紋が分からない」
「はい」
「じゃあ、どうすれば良いのか・・・」
「・・・」
「分からないっ!」
イマイが悔しそうに目を瞑り、下を向く。
「そこを何とか!」
「んー、とりあえず、見えてる所の刃取りをしてく・・・しか、ないよね」
すりすりすり・・・ぴた。
「あれ?」
「また何か!?」
イマイが目を細めて、顔に小柄を近付ける。
「ここ、焼きが入ってないと思ってたけど、研いでたら焼きが出て来た。
いーや、どうなってるんだこれ。
ラディちゃんも、焼きが入ってないと思ってるはずだし、見せたいなあ」
イマイがマツの小柄を手に取り、両手にそれぞれの小柄を持ち、
「マツ様のも、凄く良く出来てるけど」
「はい」
「何て言うか、悪く聞こえるかもしれないけど、良く出来てる刀。
凄く技術力があるってのが、はっきり分かる。
綺麗な直刃で、刃中の働きもあるし、沸えがあって肌も美しい。
この辺が見所だってなるけど」
「はい」
クレールの小柄を上げ、
「クレール様のは、どこをどう見ても見所しかない。
ここが見所って言うのはなくて、全部見所。前代未聞」
「そんなに!?」
「うん。もう、これ全てが見所。
肌も刃紋も、もう全身の全てが見所しかない。
これはサダスケは・・・超えたね。
焼きが甘いのに、何故か沸えがしっかりついてるでしょ。
ここにでっかい飛び焼きまで・・・あって・・・? んん?」
あれ? とイマイが目を細めて、小柄を水平にして、
「ええ? んー・・・? あれっ!? これ映りか!?
うわ、映りまで出てる!? ええ!? どうなってんの!?」
イマイが驚いた顔で、おお? おお? と顔を左右に動かす。
「刃紋は見た事ないでしょ。その上、二重刃。
こんなの誰にも焼けないよ。もう奇跡としか言いようがないもの。
いや、これはコウアンもあの世で悔しがってるはずだよ」
「ええー!?」
イマイが真剣な顔でクレールの顔を見て、
「これ、カゲミツ様に見せたら、間違いなく取り上げられるね。
絶対に見せちゃ駄目だよ。気を付けてね。
見られても駄目だよ! 絶対にだよ! いいね!?」
「そこまで!?」
「うん。100年後の人がこの小柄見たら、絶対驚く。
クレール? そんな刀工いたのか!? 名工だよこの人! って。
これ、刀剣年鑑に載るよ。重要保存は確定。特別重要もいくかな。
国宝も十分視野に入ると思うね」
「こここ国宝!?」
すりすりすり・・・ぴた。
「あ、あれっ!?」
「今度は何が!?」
「・・・また二重刃だ。切先も二重刃になってる」
イマイがマツとクレールに小柄を差し出し、切先を指差して、
「ほら、刃紋の中に刃紋がある。ね?」
「あ、確かに線がありますね・・・これが二重刃?」
「へえ・・・」
イマイが首を振り、
「ああ、何だこれぇ? もう訳が分からない。
どこ刃取りしたら良いか、さっぱり分かんないもん」
口を半開きにして研ぎながら、
「クレール様、天才だよ。素人が映りを出せるとか・・・
いや待て待て、本当に映り・・・?」
イマイが小柄を傾けて、ちら。
「あ、やっぱり映りだわ。天才確定」
「天才ですか!?」
「うん。クレール様、天才」
興奮しながら、困惑しながら、クレールの小柄を研ぐイマイ。
新たな天才刀工が生まれてしまったのか。