第567話
からからから・・・
「只今戻りました」「只今戻りました!」
マツとクレールが魔術師協会に戻って来た。
「ああっ!」
と、カオルの声がして、すぱ! と玄関に出てくる。
「お、お帰りなさいませ! すぐに買い物に!」
くすくすとマツが笑って、
「買ってきました。今夜はニジマスのムニエルで勝負ですよ」
「奥方様の手を煩わせ、申し訳もございません!」
ば! とカオルが土下座。
「うふふ。良いのですよ。相当お疲れのご様子でしたもの。
私達も、楽しませてもらったんです」
「明日が楽しみですね!」
クレールがにっこり笑う。
マツは、よ、と土間を上がって、
「さ、カオルさん。皆で夕餉の支度をしまよう。
ええと、全員入る訳にはいきませんし、2人ずつで・・・
入れない人は、マサヒデ様に見えないように、地下で隠れて」
「は!」
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マツとカオルが台所に立つ。
「ニジマス、ですか?」
「はい」
「ムニエルと言えば、海の魚かと」
「川魚でも美味しく出来るんですよ」
「ふむ」
「鮎の方が良かったかしら。ニジマスは骨が大きくて硬いし・・・」
マツが小首を傾げる。
カオルがじっとニジマスを睨み、
「確かに、骨が硬いですね」
まな板を出して包丁を握り、さ、と腹を開く。
「はらわたはちゃんと出してありますね。このまま焼いても」
「ええ」
マツがぱらぱらと塩をかける。
マサヒデは鮎は頭ごと食べてしまうが、ニジマスはさすがに無理だ。
ふ、とカオルが笑って、どん、と頭を切り落とし、さささ、と骨を取り除く。
「あっ!」
まな板の隅に、綺麗に骨が積まれている。
「ふっ・・・」
カオルも皮の方に、ぱらら、と塩をかける。
「カオルさん!」
カオルが包丁を乗せたまな板を、す、とマツの方にやり、
「どうぞ」
「む・・・」
料理に慣れたマツも、さすがにこれは無理だ。
ピンセットで1本1本取り除くしかないが、可能なら空きっ腹に一番乗りで優位を取りたい。
「む、む、私はこれで結構です」
にや、とカオルが笑う。
「では」
さらりと拭いて塩を取り、少し待ってぬめりを取る。
塩胡椒とほんの少しのハーブをかけて、小麦粉を綺麗にまぶす。
あっという間に終わってしまい、カオルが竈門に火をつけて、フライパンを熱くする。バターを溶かし、じわわわ・・・と焼いていく。
一番乗りは私だ、とマツの方をちらりと見ると、
「ふっ」
「む・・・」
横でマツが余裕の顔を見せている。
何かあるのか・・・
「半分切って、私達の味見用に取っておきましょうね。
マサヒデ様も、4切れは多いと思いますし」
「は」
ひっくり返し、開いた身の方も焼いていく。
すぐに焼けて、あっと言う間に完成。
焼いたニジマスを皿に乗せ、半分切ってもう一枚の皿に乗せる。
「では、私が焼く番ですね」
ぽちゃ、とマツが小さな水球を出して、フライパンの上で綺麗にぐるぐると回す。油を取っているのか? と、カオルが見ていると、フライパンが一瞬だけ薄い氷で包まれる。熱ですぐ溶けてしまったが・・・
(冷ます? 熱したのに、なぜ冷ます?)
よいしょ、とマツが油を出して引く。
この匂いはオリーブオイル?
「ふふふ・・・これもお勉強。
早くマサヒデ様の所に持って行きたいでしょうけど、見てて下さいね」
マツが冷めたフライパンにニジマスを置き、ぽ、と魔術で火をつけて、竈門にフライパンを乗せ、焼き始める。火は着いたばかりで、まだ弱い。
弱火から焼き始めるのか・・・
「じっくり焼くのがコツなんですよ」
「は」
数分して、火が強くなり、皮に焼色が付いた所で、やっとバター。
じゃー、と音がして、バターが泡を立てながら溶けていく。
「こうやって、揺すりながら」
軽くフライパンを揺すり、
「バターが焦げ付かないように・・・そして」
さじを取って、溶けたバターを上からかける。
何度か繰り返し、
「うん、そろそろ良いでしょう」
さ、と懐紙を重ねて並べ、ニジマスを置く。
上にも懐紙を乗せて、油を取っている。
フライパンは火の上に置いたまま・・・
(う! ソースか!)
じゃわわと音を立て、ぶくぶく泡立っていたバターの泡が細かくなった所で、
「今です!」
さ! と醤油を加え、竈門からフライパンを上げる。
懐紙をどけて皿の上に乗せ、つー、とバターと醤油のソースをかけ、
「ふふふ。出来ました」
半分に切って、カオルが焼いた物と同じ皿に乗せ、
「さあ、まずは私達の分を味見して頂きましょう。
中々良い勝負だと思うのですが」
「は・・・」
骨を完全に取り除き、身は勝った。
焼き方は負けた。
味付けも負けた。
「クレールさん、シズクさん。空きましたよ」
「はい!」「はあーい!」
2人が台所の地下の書庫から出てくる。
「そこのお皿に乗っているのが、味見用です。
私達の分も残しておいて下さいね」
さっとマツとカオルは膳を持って出て行った。
すん、とクレールとシズクが鼻を鳴らす。
食通と、鋭敏な鬼族の鼻が、台所の香りを嗅ぎ分ける。
「醤油を使いましたね」
「だね。あと油だ。バターだけじゃないな」
「これはオリーブオイルですね」
「まだあるよ。ハーブ? 香草? あれだ。
何かは分かんないけど、使ってるね」
まな板の上の皿を見つめる。
綺麗に開かれて薄くなっている方を摘んで食べてみる。
うん? さく、さく、と切っていく。
「む・・・骨がない・・・」
「ない・・・これはカオルだよね」
薄く、ぱりっとした食感。
強いバターの油の香りを引き締めるハーブ。
噛むと、中のニジマスの柔らかな肉。
小骨ひとつ無い。
見事としか言いようがない。
「ううむ・・・」
「カオルには絶対勝てないな・・・」
もうひとつ、開かれていない方を摘む。
こちらは骨があるが・・・
「う!」
「美味い!」
ニジマスの太い骨がある分、確かに食べにくい。
食べにくいが、味付けは完全に勝っている。
「この香り、やはりオリーブオイルで焼きましたね。
バターは途中で加えて焼いたのです。
そして・・・」
ソースのかかっていない所を摘んで食べる。
「うん・・・最後に焼いたバターに醤油を混ぜ、ソースに使ったのです。
これは見事としか言いようがありません」
「そうか・・・」
むむむ、とクレールが唸り、
「このソースは、焼いた時のバターをそのまま使っていますね。
一度焼いたバターを捨てて、新しいバターを入れていれば、更に美味。
しかし、この手抜き加減も、家庭の味という感じが出て悪くない。
そう、ひと手間かけつつも上品過ぎず、謂わば、馴染みやすい味。
レストランでも、家庭でも、広く上下関わらずに出せる味・・・見事です」
シズクが半分呆れながら、
「クレール様、すげえな。よくそこまで分かるね」
クレールがじっとマツのムニエルを睨みながら、
「私を舐めないで下さいね」
「うん・・・まあ、うん・・・」
険しい顔をしたまま、どけられた懐紙を見る。
油が染み込んでいる。
クレールが懐紙を指差して、
「これを見て下さい」
ん? とシズクが首を傾げ、
「油、拭いたやつだよね?
マツ様とカオルが交替する時、フライパン拭いたやつ」
「・・・多分ですけど違います。これは、マツ様が焼いた魚を拭いたのです。
そのままソースをかけると、油っこくなりすぎます。
バランス良くするために、表面の油を拭いたのですね。
さすがマツ様です」
「すげえー! そこまで分かっちゃうのか!」
よくもここまで分かるものだ。
これが食通、という者か。
「よし・・・大体は分かりましたよ。
勝てはしないでしょうが、何とか同着には持って行きましょう」
ニジマスをまな板の上に乗せ、ぱらぱらと塩を振りながら、
「私達に、カオルさんのような骨抜きは無理です。
マツ様の焼き方を真似るしかありません。
ですが、焼き方も・・・バターをどのタイミングで入れるかも・・・
ソースで追いつくしかないですね。新しいバターを使いましょう。
それと・・・何か、一手。私でも出来る、一手を・・・」
「うん。そうだね・・・」
クレールの顔は真剣そのもの。
まるで立ち会いのようだ。
簡単な料理だって言ってたのに、なんでここまで?
厳しい顔でニジマスを見るクレールの後ろ。
シズクが腕を組んで、首を傾げている。