第557話
街道。
カオルが黒影に乗って走る。
どかかっ! どかかっ! どかかっ!
凄い音と揺れだが、何と気分が高揚する馬だろう!
もっと、もっと、という黒影の気持ちが伝わってくる。
長羽織と髪が大きく揺れる。
興奮で大声で笑い出したくなるのを堪え、走らせる。
たまにすれ違う馬車の御者が目を丸くしている。
田んぼにいる百姓が、こちらを指差している。
(やはり良い馬だ!)
大きく揺れながら、にやにやしながら走らせる。
おっと・・・黒影の息が荒い。
これは黒影に乗せられてしまった。
「よし、どうどう」
足を緩めると、黒影がふうふうと息を弾ませている。
「ふふ。お前が悪いんだぞ。お前は私を気分良くさせる」
ぽっく、ぽっく、とゆっくり歩かせて行く。
先に、先日シュウサン道場に行った時に寄った茶屋が見える。
(もうここまで来てしまったのか)
いくら何でも、これは走らせすぎた。
茶屋で、少し休ませよう。
日も高くなってきたし、弁当も済ませるか。
ぶしゅ、と黒影が大きく息を吐く。
休もうかな、という感じが分かったのか。
ぽん、ぽん、と優しく首を叩いてやる。
「さ、もう少し。あそこに見える茶屋まで」
茶屋に近付いていくと、店主が目を丸くしてこちらを見ている。
繋ぎ場に黒影を止めて、馬屋が鞍に付けてくれた袋からりんごを出す。
「ほら」
最初の一口で、がぶっと4分の3程食べてしまった。
もしゃりもしゃりと口を動かし、べろん、と残りの部分を口に入れる。
「よしよし。良い食いっぷりだ」
もうひとつ出して、差し出す。
がぶり。
「ふふふ。まだまだあるぞ。良く走った褒美だ。食わせてやる」
にやにやしていると、店主が恐る恐る近付いてきて、
「お客さん」
「何か・・・あ、ああ、これは注文もせずに、申し訳ありません。
少し馬に褒美をやりましたら、すぐ参ります。茶の用意を願います」
「へ」
へこ、と店主が頭を下げて、店の中に戻って行く。
カオルが袋に手を突っ込んで、もうひとつ、りんごを出す。
「さあ、もうひとつだ」
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街道の茶店。
カオルは弁当を食べ、団子を食べて、ゆっくり休憩。
走って来た黒影も、りんごをたらふく食べて、満足気な顔だ。
「ふう・・・」
のどかだ。
昼間はまだ暑いし、蝉も派手に鳴いている。
だが、朝晩は少しずつ過ごしやすくなってきた。
田んぼの稲も、黄色くなった稲が混じっているのがはっきり分かる。
1ヶ月もすると、本格的に刈り取りが始まるだろうか。
田が多い。この街道も、今は閑散としているが、それは賑わうだろう。
「さ、お嬢さん、どうぞ」
ぼけっとしていたら、店主が茶を淹れてくれた。
「これはどうも」
店主がにっこり笑って、黒影を見る。
「あの馬には驚きましたよ。熊が立ってんのかと」
「ふふ。馬屋の主も、これは本当に馬か、と驚いておりました」
「ははは! 違いねえ! 時にお嬢さんは、冒険者ギルドの方で」
「いえ。私は、トミヤス、マサヒデ=トミヤス様の内弟子です」
おお! と店主が驚き、
「トミヤス様っちゃあ、あの300人抜きの! 剣聖の息子さんで!?」
「はい」
「こいつは驚いた! あ、そうか! あの馬はもしかして、トミヤス様の?」
「いえ。私が捕まえました」
「なんですって!?」
「あ、いや。馬のいる場所はマサヒデ様からお聞きしまして。
捕まえに行きましたら、偶然に」
余計な話にならぬよう、誤魔化す。
山に入った、何故、魔剣の調査を・・・などと話せない。
「マサヒデ様が山に修行に入りました際、偶然に馬の住処を見つけたのです」
「へえ! やっぱ山籠もりとかするんですねえ!
て事ぁ、こないだ乗ってきた馬もそこで」
「ええ。こちらに寄ったとお聞きしました」
一緒に居たが、あの時はまだ内弟子姿ではなかったので、適当に合わせる。
「左様でしたか! いやあ、一緒にいた方々も、皆、えれえ馬に乗ってたもんで、驚いたもんですよ」
カオルが微笑んで、
「マサヒデ様の馬は、馬屋もいたく感心しておりました。必ず名馬になると」
「やっぱり! えれえ綺麗でしたからねえ。
いや、ははは。そういや、あん時はトミヤス様と知らず・・・」
店主が少し気不味そうに笑う。
「何か」
「いや、馬の弁当は持ってきたのに、自分のは忘れちまったって。
私も笑っちまって、握り飯を作ったんですがね。
まさか、あれがトミヤス様だったとは」
「ふふふ。マサヒデ様らしい。
知らない方は、皆、あれがトミヤス様だったか、と、後で驚かれます」
「そりゃあ、お弟子さんの前でこう言っちゃなんですけど・・・
ガタイもひょろいし、とても300人抜きをする方だなんて」
「鬼族の娘も居たでしょう」
「ああ、おりましたが」
「あれも、試合に出ていたのです」
「え! て事ぁ、トミヤス様は、鬼より強いって、本当だったんですか!?」
「ええ。あの方は弟子になった訳ではありませんが、同じ所で暮らしております。ふふふ。マサヒデ様にしごかれておりますよ」
「なんてこった・・・鬼に稽古つけるだなんて、とんでもねえ・・・」
「ふふ。お父上の、剣聖のカゲミツ様にもお会いしたことがあります。
マサヒデ様は、自分が10人居ても掠りもしないと言っておられました。
私、最初は信じられませんでしたが・・・」
「でしたが、て事は?」
こくん、とカオルが頷いて、さらさらと風で音を立てる田んぼを見る。
「立ち会ってみれば、人ではないのではないか、と恐ろしくなりました。
マサヒデ様や鬼など、比べ物になりません。
ですが、道場から一歩出ると、正に豪放磊落を絵に描いたお方。
ただ居るだけで、明るく、楽しく・・・あれが、器というものでしょうか」
うんうん、と店主が腕を組んで頷く。
「ううむ、器、ですか・・・
強えってだけじゃあ、剣聖にはなれねえって事ですね」
「はい。カゲミツ様自身も、自分より強い者はいくらでもいると」
「そこをしっかり分かってるってのが、やっぱり器ってもんでしょうな」
「私もそう思います。あ、そういえば・・・
そう、そうでした。カゲミツ様も、以前この街道を通ったと思います」
「え!?」
「この先の、小さな道場に用があったとか・・・
私も、本日はそこに文を届けに行くのです。
この街道を沿って行けば分かるとの事でしたが」
カオルが街道の先を見る。
分かっているけど、初めての演技。
「ああー! 若先生の道場ですかい!
確かに、若先生は有名じゃねえが、そりゃあ腕利きだ。
カゲミツ様がご興味を示されるのも、無理はありませんな」
「あ、ご存知の方で?」
店主が先を指差して、
「ええ勿論。道場は、あそこの小高い丘になってるとこの向こうです。
こっからじゃ見えねえですけど、すぐですよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
湯呑に残った茶をぐいと飲み干し、立ち上がる。
「もしかして、道場破りってやつですかい?」
「ふふ。まさか。マサヒデ様をご覧になりましたでしょう?
道場破りなど、しそうに見えましたか?」
「いや、全然」
横に置いた笠を取って、頭に乗せ、顎に結びながら、
「あはは! 先日の稽古が実に為になったとの事で、また一緒に稽古をしたい、とのお願いなのです。私も、他派との稽古は初めてで、胸が鳴ります」
「左様でしたか。いや、若先生も喜びましょうな」
「そう願います。それでは」
「お気を付けて!」
黒影に跨って行くと、店主が頭を下げて見送ってくれた。
カオルも軽く頭を下げて、黒影に乗って街道を歩いて行く。
もう、シュウサン道場はすぐそこだ。